『 1+1=2 』
これは、いちばん最初に学ぶ計算式。
学ぶと言うか…ここからが始まりで。
ここからが何もかもの原点であり、
産まれ故郷でもあり、
未来への出発の起点と言えるでしょう。
1+1=2
皆さん、こんにちまでの人生の積み重ねと紆余曲折、刻(きざ)んできた時間を長い永い方程式にしてみたとしたら?、どのような計算式になるでしょうか…想像してみてください。
足し算ばかりでしたでしょうか?
それとも、引き算やら割り算が多い人生だったのか?
はたまた、掛け算を多用出来た人生だったのか?
家計簿ではないが、もしそんな人生の帳簿を数字や数式に記録していたならば、どのような方程式に組み上がるだろうか。
大きな黒字が出ているか?
或いは赤字のマイナスの結果?
まぁまぁトントンというトコロか(笑)
・・・答えたくない
答えが出ない、出せない、出したくない(溜息)
こんがらがって、何が何だか解らない!?
人生をどう計算しても…数字が合わない?
数字があっているかどうかなんて、もうどうだっていいやん。
どうにかなるって・・・たぶん。
モノゴトの始まりは、すべて『1+1=2』から始まります。
なぜなら「1+0=1」で、1から先の未来は起こらないからです。
「1×1=1」、2 はココからも産まれません。
2 が産まれるには、『1+1』が最初の最初、基本なのです。
と、数学理論を永遠にコンコンと説明するのではありませんです。笑
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子供の頃の、小学校の最初の算数で、
● もんだい 1 + 1 = 〔 〕
これ解る人は手をあげて~
ハーイ は~い ハーイ は~い
は~い ハーイ は~い
じゃあ全員で答えましょう、さん!はいっ!
② にぃ~でぇ~~す
ごめいとう!
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まだ始まったばかりの算数の最初の一歩
いちばん純粋な答えであり、間違いようがないし、
そして、なによりもスッキリしている。
そう思います。
けっして…「こんなもんアホでも解るやんけワレ~」、などと…お下品な関西弁でなど言ってはいけません!笑
或いは、
ルルル~~ッ♪ クルクルクル
タ~ン!アンド!タ~ン!キメッ!!
と、晴天の下…そよ風の吹く中でダンスを踊りに踊りきって!バシッとキメた爽快感のような。
『1+1=2』 とは、そんなスッキリ感と爽快感があるではありませぬか。笑
『1+1=2』 でもって、喧嘩は起こりません。
最初のスタートの第一歩の地点なので、疑いも、誤魔化しも、本来は起こりようがありません。
『1+1=2』 これを見て、イライラする人はいません。
産まれたばかりの、出産したばかりの赤ちゃんのような、そんな気持ちと良く似ているように思えます。
①と ①が 出逢って、足されて融合すると ②が 産まれてくるのです。
『1+1=2』 には、計算が合わなくなる不安はありません。
ストレスを感じることはない。
本来はそうだろう。
ただ、未来への成長の為の希望と不安は、清々しい思いで感じはします。
それが基本のスタートライン、始まりの始まりなのです。
毎日、また毎日・・・、計算が合わない。
どこで間違ったのだろう?、イライラする。
この調子だと大変なことになるぞ…どうしよう。
なにか良い方法は無いのかな?
…えっと?なになに。。
「1+1=2」 はもう古い!
1+1をなんとなんと!あっという間に2倍3倍…10倍にする方法があるんだって?!
他にもあるぞぉ
なにもチマチマと ①から足してないで、最初から ⑤でも ⑩でも ⑳でも 好きなだけ足したり掛けたりすればいい!ってか?
じゃあその ⑤やら ⑩やらはどこで手に入れればいいんだ?すぐにでも欲しい。
既製の ⑤や ⑩やらが 大量に生産されて売っている、それも安価で手に入るときた!
でも、どうやって⑤や ⑩が 作られているのだろう?
どうしてこんなに安いのだ。
もう 「1+1=2」 なんてどうでもいい、チンタラやってらんない、こんなのチョロイチョロイ!楽勝!楽勝!、オレも今日から大富豪だぜぃ!!
わっはっはっはっは!の~はっ!
①と ①から始まって
「1+1=2」 で②が生まれ
その②をもって
「1+2=3」 で③が生まれて
そして
「1+3=4」 で④が生まれ
それから
「1+4=5」 で⑤が生まれ
「2+3=5」 からも⑤が生まれたりし
そしてそして
⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫ ・・・・・・・・・・
ずっとずっと
この世のすべての原理は、これのみで構成されています。
宇宙の速度、時間、距離、そして私達の新陳代謝や寿命や・・・
産まれてから・・・死ぬまで・・・
永遠と、これが続いているだけなのです。
いまこうしている最中も、ただただ ①と ①から順に産まれている。
悩みや、えも知れぬ苦しみが人間にはあります。
病気や、人生の不遇など。
なぜ苦しく耐えがたいようになるかといいますと、
人生が 『1+1=2』 ではないからなのです。
この人生が 『1+1=2』 からやり直せたら…、やり直してみたいな。
と思い、そう出来たらと思うことでしょう。
人生の計算の合わない方程式から、調子は崩れてきます。
どこかで帳尻が合うかどうかは、無いと言っておきます。
もしも有ったとしたら、それは必ず破綻します。
なぜ?計算が合わないと調子を崩し…破綻にまで行き着くかと、そう言い切れるのかと言うと、
①と ①から始まって
「1+1=2」 で②が生まれ
「1+2=3」 で③が生まれ
「1+3=4」 で④が生まれ
「1+4=5」 で⑤が生まれ
⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫ ・・ずっとずっと
これが基本で、永遠に脈々と続いている中に産まれて生きているのであり、これにそぐったモノしか残らないのです。
言い方を変えれば、この ①と ①から続くこの算式の中で居ることが幸福感なのです。
そしてこの算式にそぐっていない状態なのが苦しみであり、辛いのです。
つまりこう言えます。
毎朝、一日の始まりに・・・
『1+1=2』!!
と言えて起きることが出来たらどんなに幸せか!ってコトです。笑
そしてまた一日の終わりに・・・
あぁ今日も一日 『1+1=2』 だったなぁ~
良かったなぁ、オヤスミナサ~イ Zzz
それとは逆に
あ゛~ダルい、なんであの会社わよぅ、「1+1=3」にして成績を上げろって言うんだよ!、取引先も「1+1=2」では契約出来ない、もっと率の良い他社と取引きするって言うし、どうしたらいいんだ!どうやったら「1+1=3」になるんだよ!なんでこんなに苦しいんだ・・・。
なぜ 「1+1=3」 では苦しくなるのか?
それは 『1+1=2』 の中で生きているからです。
ココロも、身体も、新陳代謝も、24時間も、365日も、
みんな 『1+1=2』 から始まっているモノだからです。
なので、『1+1=2』に寄り沿っている時が一番幸せなのです。
なぜなら、 『1+1=2』から産まれてきたからです。
ですから…
死を迎える時もまた
私の人生 『1+1=2』 の連続だった 」 と言えて死ねたらば、どんなに幸福か。
計算が合わない、
あれはどうしたっけ
あぁイライラする、苦しい、代謝が悪くカラダの調子が思わしくない。
アレがナニして・・ナニがナニして、あの人ダマされて、そんでもってダマし返したったから、モトは取れてるはずだけど、なんだか釈然とせんわぃ。
足の引っ張り合いの果てにズタズタになって、ヘトヘトですわ。
① という意識と ① という意識とが融合して ② という新たな意識体 が産まれる。
私達は、永遠と脈々と続くその中で生きている。
それ以外の数式がもしあったならば、それは残る事は出来ず消え去ってしまうのです。
死にたくなるような…消え去りたいような苦しみのあるときは、こういう時のコトなのです。
『1+1=2』 とならない、そうなれない事情があったならば…消え去ってしまいたくなる苦痛に苛(さいな)まれるのです。
『1+1=2』 なんて言ってても、この社会では生きてはいけないよ…
でも、これが土台に在るのです。
サイキックの眼 ヤマモト・コージ