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-サイキックの眼-

生きる力 ~動物保護と動物園に見る~

2012-12-08 11:29:34 | サイキックの眼

     
     
生きる力 ~動物保護と動物園に見る~
   
   
動物保護と動物園
 
サイキックの眼から視た動物に関するお話し。
 
      
動物園の飼育でよく耳にする・・育児放棄。
そして飼育員の方々や研究者が動物育児の代行されるのをよくニュースやドキュメンタリーでみます。
そしてきまって言われるのが・・
「どうして動物の親は子育てを放棄したのだろう?」
そう苦悩されています。
 
   
以前 霊長類研究 をされている施設でも、チンパンジーが育児放棄して・・それを研究者達が見守っているいる様子をニュースで見ました。
なぜ動物園等の動物が育児放棄するのか?
本当に解らないのだろうか?と、僕は不思議におもいました。
 
「動物園も研究施設も、本来動物が全身全霊を使って生きる場ではないからでしょう?。」
 
霊長類研究所の猿は、大きなガラス張りの部屋におかれて、ビデオカメラで複数の研究者がジッと見続けている。
動物園の動物達も、上げ膳据え膳でエサを口に運ぶだけの生涯。
 
屁理屈を並べているのではなく・・。
なぜ子育て放棄するのか?。
一方的に連れてこられて
一方的にツガイにされて着床
子供が産まれれば一安心?。
こんな動物の生涯だと、子育てする意味がメチャクチャになるからですよね。
つまり動物感覚が完全にマヒします。
   
ではどうして飼育員や研究者、動物園を楽しむ我々が気が付かないのか?。
それは我々人間が動物感覚をすでに失っているからです。
そんな我々の人間感覚と社会構成を動物に与えることが動物にとって幸せな生涯なのだと思い込んでいるから・・・。
なので動物の研究者の方々は、先ず研究用の動物と同じ生活をし、体験を通してから研究したり飼育すれば、より良く解るのではないかな?。
 
何の為に角や牙やがあり、
何の為に羽根や水かきが?。
天敵がいて、そして自らも他の動物の天敵になり生きてゆく。
動物園の中では、その自分のチカラの意味を発揮する必要が全くないのですよね。
ならば生きる意味がない訳で、子育てする意味も・・当然マヒします。
霊長類研究者の方々も、ガラス張りの部屋の中で素っ裸になり、見知らぬ異性とツガイになり、上げ膳据え膳のメシを食べ、子育てをし、観察される側になってみれば、より深い研究結果が実ることでしょう。
 
    
続いて動物保護と繁殖からみます。
 
長い長い年月をかけて多彩に進化し続けてきた動植物。
確かに人間の人口増加によって、居場所を追われ絶滅したり、寸前の動植物があるでしょう。
しかしこれも「保護と繁殖」を人間はしたがります。
動植物が各々の意思と力で進化してきたものを、どうしてそれを人間は保護したり繁殖に関わろうとするのか?、これも僕は不思議でしかたがないのです。
生きようとする本能が、生きる力と知恵と更なる進化をもたらす。
だからこんなに多種で多才!な動植物達が居るのです。
もしも絶滅に追い込まれたり・・或いは人間が故意に追い込んでしまったとしても、必ず何らかの形で復活をとげるのです。
その繰り返される本能の積み重ねが、今のこの世界なのであるから。
もしも絶滅してしまったとしても待てばいいのです。
動物に関わる研究者はどうしてそれが解らないのか?不思議でしようがない。
 
なぜ解らないのか?
先にも述べたとおり、人間の本能が退化しているからです。
生きる本能の退化。
   
我々はマニュアル化してきた管理社会を秩序に持ってきたので、動植物達にも人間と同じマニュアルを与えたくて仕方が無い。
(それしか知らない・・・)
その人間マニュアルを動植物に当てはめてしまうと、自ずと滅んでしまうでしょう。
研究者はこれを「ムズカシイ」というのですが。
なぜならその人間マニュアルには、生きる本能が無いからです。
東北の大震災の津波でも、管理マニュアルでは何も防げませんでした。
生きる本能を信じてシッカリ自主行動をとられた方は、生きる力と知恵が働いたのではないでしょうか?。
   
 
子供の頃、僕はいつも思ってました。
どうして自然の動物達の目は綺麗で、
そして愛らしい優しい顔や姿なのだろう?と。
怖い怒りの顔の動物はなぜいないのかなぁ。
いつ喰われてしまうかも知れない危険な毎日をおくっていたら、苦しくて辛くてキツくて怖い顔にならないのか?とよく考えていました。
それから考えて考えて・・今はこんなふうに思うようになりました。
 
『 いつ喰われてしまうかはすべての動植物に平等であり、
 その過酷な自然平等の中で生きる為の「力」と「知恵」と、
 そして「強さ」が、美しい容姿と優しく強い眼にさせる。
 その姿には生きる「愛」がムキだしになっている。』
 
これが僕の動植物研究と結果。
   
これは、人間社会での
「生きる力とは?」
「育児放棄とは?」
「自殺とは?」
という問題原因とも共通しています。
 
生きるチカラがみつからないのです。
育てる意図がみつからないのです。
生きる意味がみつからないのです。
本能が解らないのです。
本能から出るムキだしの愛がないのです。
 
   
もう一度言いますが・・
動物園の飼育員と観覧者、
なぜ矛盾に気が付かないか?。
それは人間社会全体が動物園のように
管理された状態なので、気が付かないのです。
 
動物園の動物を楽しそうに幸せそうに見てしまうのは、我々の生活を否定したくないからなのです。
我々の管理社会を肯定したい心理からなのです。
なぜ育児放棄された動物の子を可哀そうに思い、同情するかのように人間が寄り添うのか?。
なぜ生きる本能を失ってしまった自然動物を保護したがるのか?。
なぜ自然復帰の為の更生をさせたがるのか?。
 
それは我々人間そのものの姿だからです。
  
   
サイキック 山本 浩二
    
       
■ 併せて「ソンナ・コンナ・パンダ」も、ご参照下さい。
    
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