LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

共依存と信頼

2014-12-21 19:30:31 | サイキックの眼

     

共依存と信頼


共依存とは、字の如く・・共に互いに依存する、と言うコトとなり。

信頼とは、信じ合えて、頼り合える、と言うコトだ。

共依存と信頼は、
〔共依存⇔信頼〕対義語の関係となりうるでしょう。

より詳しく言いますと・・・、
これは答えになってしまうのですが。

共依存の関係は、互いに自立していない関係性で。
信頼の関係とは、互いが自立しあっていて、頼り合う関係性と言える。

コレは・・ものすっごく難しいモンダイと言うか、なんと言うか?なんです。
それを綴って参りたいと思う次第です。
(笑)
実際には笑えません・・・。
巨大なモンダイです。
僕も、一応は数知れず乗り越えてきました。


共依存とは、自分の都合の良い付き合いが成り立っている。
共依存とは、互いの都合の良い付き合いが成立している状態といえる。
自分にとって都合が良い者同士の双方の意見が合致している。

 そんなん当たり前やんかいさ

     なんでか?

殆どの社会性関係も、〔ご都合〕 と 〔ご都合〕 が、互いに成立しあい成り立っているからでしょう。
国と国どうしもそう、市町村どうしだってそう?かもしれない。

都合の良いコトばっか言いやがってッ!!
アホちゃうか
なんでやねんボケ!
でもまぁ仕方ないわなぁ
ここは我慢しやんとなぁ
こっちにも都合があるさかいに・・・。

共依存関係の内心とは・・まぁこんなカンジの感情のヤリ取りが生じている。
なので
〔都合の悪いコト〕を→〔都合の良いコト〕に→〔〔代えたい〕〕
という衝動から共依存の関係は誕生?する。
つまり
共依存の誕生の聖地は(笑)、
『自分にとって都合の悪いコトがある状態から産声をあげるのです』
※ ホントにスミマセン、笑いごとではありません・・。
ホンマはメッチャ巨大で真剣なモンダイなんです。
  笑いも入れないとビビリます。

〔自分にとって都合の良い相手〕
これが共依存です。
SとMの関係なんかは、まさにそうでしょう。
強い立場と弱い立場の相互関係。
それを楽しむ場?!ならば構いませんが(笑)、
職場の上下関係や、会社と会社の上下関係。
上下関係じゃなくても・・腐れ縁みたいなのもあるでしょう。
でもそれらは所詮は他人ですが、やっぱりなによりも一番の大問題を抱える〔共依存〕が、プライベートの身近な人間関係となる。
いや・・・?
夫婦だってモトは他人です。
ならば、親子の共依存は大変なモンとなるでしょうよね。
だって、親子の間で〔自分にとって都合の良い相手〕というコトなのだから。
言い換えれば
〔自分にとって都合の良い子供〕
〔自分にとって都合の良い親〕
もちろん
〔自分にとって都合の良い夫〕
〔自分にとって都合の良い妻〕
これがコトの始まりで・・・
ニワトリが先か?タマゴが先か?!ってなワケでして。

コトコトと・・〔共依存〕が煮詰まってきました。

つまりの事、
〔共依存関係〕には〔信頼〕というモノが存在していないのです。
〔共依存関係〕の先に、〔信頼関係〕は成り立ちません。

でもこう考えてみて下さい。
動物や植物は、互いに〔共依存〕?とは言いません。
それは〔共存〕なのです。

〔共存〕には〔信頼関係〕が成り立っています。

共に、共が、存在している。
それを〔信頼〕というのかも知れません。

動物や植物には、自分の存在意義を疑うことはありません。
でも人間と人間同士は、自己の存在に自信が無く、存在意義に疑問を持ち続けるのです。

つまり、何が言いたいか?と申しますと、
『共依存関係から産まれた子は、共依存関係に苦しみ続けると言う事です。』
そこには、何の〔信頼関係〕も芽生えないのです。

〔信頼関係〕とは、〔共存〕している自覚と、自立から成り立っています。
何から?の自覚と自立を指しているのかと言いますと、
「自然と呼ばれる、生命の厳しさ。」でしょう。
「生きる恐さの中で共に〔共存〕している自覚と、その恐さに対する精神の自立。」

例えば
株式の取引などでテンヤワンヤしている人々の生活様式?は、〔共依存〕です。
自分にとってだけ都合が良いコトの終わりなきゲームだから。

〔共依存〕とは、自分に都合の良いコトのダマし合いのことでしょう。
ダマし騙され、ダマされ騙しの繰り返し。
それが、社会すべても・・先進国どうしの駆け引きも、みんなそうです。
〔信頼〕無き・・〔共依存〕の落としどころの探り合いだけで、毎日毎日過ごしている。

自然?と呼ばれる動物や植物は〔共存〕しか知らず、恐ろしく深い〔信頼関係〕を生きている。
動物園の動物やペット達は、人間と〔共依存〕を強いられている。
それが人間にとって都合が良いからだ。
よくペットを好む人の言うコトで、
「人は裏切るけど、ペットは裏切らない」とか、
「人は信頼できないけど、ペットならば・・・言うことを聞いてくれる」など。

例えば、野球のピッチャーとキャッチャーは〔共依存〕なんてなれない。
勝つか?負けるか?のマウンドでの〔共存〕という〔信頼関係〕だ。
ピッチャーという立場の自立の為に、日々鍛錬を積む。
キャッチャーも、自分のポジションの技能を成長させる責任を持っている。
これは〔共依存〕ではないでしょう。
もしも・・・〔共依存〕気質のチームがあったとしたら、恐怖に打ち勝つ努力を積み上げた本気の〔共存〕を持ったチームには負けるでしょう。

つまり、
〔共存〕には、自分の都合の良さなどは無いのです。
それが〔信頼関係〕なのです。

親に、親の都合良いように育てられた人は、自分の都合の良いコトしか考えなくなるのです。
なぜなら、そこには最初から〔信頼関係〕など無いからなのです。
〔信頼関係〕のない家庭や家族関係は、どこまで行っても〔共依存〕がついてまわるでしょう。

共に信頼し合い〔共存〕していけるパートナーが居れば良いですよね。
或いは
『共に腹の探り合いをし続けてさぁ、お互い都合良く〔共依存〕して生きていこうね!』
な~んてヤダねぇ。(笑)

それには先ず、自分が何て?言う生き物(笑)なのかをシッカリと知るコトから始める必要がある。
そこから周りを見て、自分がどんな位置に生きているかを知る努力が必要だろう。
勿論・・景色など良くありません。
見たくないモノも視界に入ってきます。
ちょうど、ピッチャーがボールを構えながら、マウンドの360度を見据える緊張感と、そして〔共存〕と言う一人ぼっちの恐怖感でしょうか。
その時は、チームも相手チームも、観客の全てが〔共存〕を体験しているのです。
誰も〔共依存〕などではありません。
応援するファンも、普段は〔共依存〕関係の職場組織で働いていても、野球観戦の時だけはチーム選手と〔共存〕できるのです。
〔信頼関係〕を胸にいっぱい感じて、自己存在意義を実感し、生き返った気持ちに戻れるのでしょう。


〔自分にとって都合の良いコト〕
〔自分にとって都合の良い人〕
これを考え選ぶ人は、もともと自分の居場所が無かった人です。
親や育った環境から、周りの都合に合わせ・・合わせられ育ってきたのです。
そしてまた、
〔我が子を自分にとって都合が良いだろう関係を強いている〕ことでしょう。

〔共依存〕家族
〔共依存〕親子
自分の居場所を相手に〔依存〕することで見出そうとします。
自己感覚が乏しいからなのです。
自己存在意義という感覚が育ってないのです。
自己感覚が見出せないモノどうしが〔共依存〕をするのです。
〔依存〕し合うことしか知らないまま・・親に育てられる。
それはペットと同じです。

本当は、自分はどういった生き物なのか?。
それを知り、考え、生きて行ければ良い事ではないでしょうか。
そこから自分の居場所が存在し、〔共存〕と〔信頼〕が出来る。

〔共依存〕よりも、自分を信じるコトが大事です。
何があってもです。
〔共存〕していこう!と言える〔信頼関係〕。
それには、とことん自分を信頼し続ける勇気が必要です。
なぜなら、ナカヨシでは生きて行けないからです。
生きる恐さに向き合っていくことを〔共存〕と言うのかも知れません。


● あとがき タイトルの副題として追記します。
『 「依存 と 共依存」 そして 「共存 と 信頼」 』
 


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