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-サイキックの眼-

吐け口の行方

2015-05-02 07:48:12 | サイキックの眼

      
      
吐け口の行方    〔※ 吐け口の無さ の続き 〕


吐きたくても、吐けない。
吐いちゃダメ!飲み込んで!オックンしましょう。
いえいえ、吐きたい事なんてござぁませんコトよ!ㇹㇹㇹㇹ~ッ!・・・オ゛ェ
胃腸薬!消化剤飲んで、無理にでも消化せねばならん。
あぁ・・もぅ消化器官の処理能力がオーバーしています、これは切り取ってしまいましょう、切り取ってしまいさえすれば楽になりますから。

消化出来ないモノってなんだ?
食べものが悪い?なんか悪いモノでも食ったのか?
ハハハハ・・・汗

動物だって、植物だって、微生物だって、消化のしないモノは食べません。
食べたとしても、器官に排出するワザを持ち合わせているだろう。
でも現代の人間にはその本能のワザ、体技が無くなりつつあると思うのです。

一度飲み込んだら、出してはいけない。
飲めと言われたら、飲まなければならない。
出していいと言われるまで、勝手に出すことはならない。
決まりを守って、良い人でなければならない。
自分は我慢しても、人には良くしなければならない。
自分の欲は見せてはならない。
美化活動に専念しなければならない。
キッチリまとまっていなければならない。
もっともっと!素晴らしいルールを提案し続けていかねばなりません。
……エトセトラ

(疲)・・・病気になりそう
吐け口が無いんよね。

なんで?吐け口が無いの?
なんで?吐け口が必要なん?
なんで?吐け口が必要になるんだろう。

公務員関係全般、有識者や聖職者の不祥事が毎日起こっている、そんなニュースが目に入る。
もちろんその他の環境の人だってあることで、各々の関係性が違うだけであって、不祥事ゴトも事件ゴトも、モトをたどれば同じであって。
それは積もり積もった『吐け口』の出しどころによるもので。
絶対にしてはいけません!それをする事は犯罪です!
なんて言う側の立場の人が・・つい出来心でやってしまいました、と・・なり。
満員電車の中でも、譲り合って座りましょう!と放送が流れれば、溜息や舌打ちが・・つい漏れてしまう。

つまり 『「吐け口の無さ」 は万病のモト』 と言っておきたい。

これからこの先、今までには無かったまた新たな病気が増えるだろう。
それは、吐け口が無く、積もりに積もったウップンやストレスが引き起こすものです。
そしてそれは、其々の性格や生活家庭環境から、どこかで何かしらの「吐け口の先」をつくるのです。

吐け口の先
つまり「吐け口の行方」

ギャンブルやお酒とか、一般的に依存症みたいになるモノだって、本来は嗜好や趣味ですが、何らかのウップン晴らしの為に用いることがあるが、そういったモンではなく。

新たな吐け口、現代社会の新たな吐け口の先として、『我慢』があるのです。
『我慢』から起こる、無意識に作られた吐け口です。
その「吐け口の行方」は・・・・・

癌 慢性頭痛 拒食症 過食症 食物アレルギー アトピー
統合失調症 軽度~重度精神障害 自閉症 依存症 
性的問題 肥満 ダイエット症候群 エトセトラ(書ききれない)

まだまだ公のこの場では書けない、個別の様々なカタチのアレルギー、疾患を患っている人が多くおられる。
ストレス・トラウマなど、吐け口が無い、消化出来ない。
だから別の消化器官?、別の新たな消化方法が出来上がってしまうのです。
その人の性格と家庭環境によって、「吐け口の行方」は様々なのです。
自己疾患という形で、無意識に出来てしまった病気や疾患。
でもそういったカタチだけではなく・・・
事件・事故が起こるコトだって同じです。

殺人 傷害事件 交通事故 虐め 虐められ
万引き 金銭トラブル 依存性事件 エトセトラ

これらだって、何かしら我慢に我慢が重なった上に、どうしようもなく・・新たな吐け口をつくってしまった。
或いは、張り詰めた精神がマックスになって・・オーバーし糸が切れて・・モウロウとなり事故がおこってしまった。
変な言い方ですが、事件や事故はいつの時代にも大昔からあるだろう。
これら事件や事故といった、どうしようも出来なかった事象も原因が解明?され、ルールや法律も整い、安全性が高まって??、事件事故が起こらないような社会構築が進歩???してきて????
それでもストレスは溜まり、新たなトラウマも出来てしまう毎日で・・・
人や社会に迷惑をかけてはならないし
かといって、誰も居ないところで新たな生活が出来る、そんな場所はもう無いし
高度な医療や技術、薬品などで疾患を押さえたり除去したりも出来るようになり
それでも・・それでもウップンは溜まる、ストレスの吐け口は無い。

最後の砦は、今までに無かった、新たな吐け口を無意識に作ってしまう。
それが、一般的に言われる現代病でしょう。

「八方塞がり」から、新たな吐け口を見出してしまうのです。

平気で他人を傷つける人の吐け口は、事件事故に。
人を傷つけることなんて考えられない・・という人の吐け口は、自己疾患に。
そして、このどちらも出来ない人のタイプは、鬱や躁鬱になる。(鬱になって正しいカモ)

すべて 「吐け口の行方」です。

また変な言い方をするようですが、
他人や社会間の中で、「吐け口の無さ」からウップンを他者に吐き出してしまい起こってしまった事件や事故といった事象は、法で測られ、お金でその罪を量る(計る)方法が用いられる。
しかし、一番厄介な「吐け口無き八方塞がり」が起こる現場は「家庭内」といえましょう。
誰も裁いてはくれません。
昔のシリーズ物のテレビ時代劇なら、主人公が奉行所で民衆家族の問題を丸くおさめてくれるのでしょうが、そんな絵に描いたような奉行所・・ゴザイマセン。よくよく考えたら、時代劇の主人公ったら、問題ゴトの臭いを感じたら毎回先回りして、問題の原因を掴んでおいて、そして主人公自身が一番際立つギリギリまで時間を引っ張って、完璧な自己の頂点を計ってやってるんやなぁ。(関心…)
それは横に置いといてッ!と (笑)

やはり、当ブログ内で何時も言っていることですが、親子関係から生じる「精神性八方塞がり」の状態は、様々な疾患を生んでしまっているのが現状です。
子供にとって、真っ当な自立が出来ないような見えない抑圧があるのです。
つまり、親が子に向ける「吐け口の行方」の在りようです。
これが先祖代々、ウップンストレスの吐け口を子孫に向けるようです。
現代で言えば、お金が有るので、お金で我が子や孫をコントロールし、ストレスの吐け口にするようです。
それがいけないコト・・だとか、よく考えてみたら違うんじゃないか?とか、そんなことを疑問にも感じないコトが恐ろしいなと思います。
例えば、アトピー性皮膚炎は、親の吐け口の受け皿になってしまっている子供の「八方塞がり我慢病」です。
一般では原因不明とされている食物アレルギーも同じです。
親に反抗できないように子供を完全管理されてきた子供やその孫にその症状が表れるのです。
「八方塞がり抵抗病」と名付けましょう。
不自由のない親の一方的な完璧の生活を子供や孫に与えるので、何も言えなくなる。
もう反抗も抵抗もしようが無くなるので、食物反応で抵抗しようとするアレルギー体質が無意識に身体に出来るのです。いいえ自らそのアレルギーを造ってしまい、それを「吐け口の自慰行為」とするようになるのです。

例えば解りやすいところで言うと、有名人の子供が事件をおこしてしまうのもこれです。
麻薬、万引き、事故、自殺・・・
抵抗のしようがなく、新たな吐け口を求めてしまうのです。
もちろん有名人一般人に関係なくですが。

アレルギーが良くなる食生活
アレルギーが治る薬
アレルギーが治る体操
アレルギーや悩みが消えるオマジナイ

まだまだそんなこと言ってるけど
残念だけど無理に決まってます・・・
そんなモンが増えれば増えるほど、八方塞がりになるんだから。

一番の特効薬はね

まともな会話です。
まともな会話とは、まともな感情です。
まともな感情とは、本当の気持ちです。
本当の気持ちとは、自分に嘘が無いコトです。
自分に嘘が無いコトとは、自分の大事に思う事の強さです。

『本当に大事なコトって何だろうね?』 って
そう話し合える関係と姿勢が大事なコトだと思います。
それには、『自分の大事なコトと向き合い続ける粘り強さ』が必要です。
なので他人の大事なコトを真似て出来ることではありません。
それをすると空っぽの連鎖が起こるでしょう。

「自分にとって大事なコトって何だろう?(悩)」
「あなたにとって大事なコトって何ですか?」
「そうだなぁ~(嬉)、何だろう?(笑)」

親子がこうやって会話出来るコトが、一番の特効薬でしょう。

八方塞がりになり、また他者を追い詰めて八方塞がりに仕立て上げる。
そして吐け口が無くなり、また新たな「吐け口の行方」を無意識に模索し続ける。
     

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