LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

自己消失

2015-08-19 12:41:13 | サイキックの眼

   

自己消失


喪失。。。
見当たらない。。。
有ったものが無くなり、失ってしまった?
そうではなく
精神的に言える喪失感…それ以上の、消失感。


ここに有った大事なものが・・あれ?
何処にいったのかな
確かにココに置いてあったはずなのに、失くしてしまったかな?
いや
それとも?
最初から無かったのかな。。。
何を失くしてしまったんだったけカナ?
最初から何も失くしてなかったのかも知れないなぁ
まぁいいかっ!
そうそう!気にするこたぁない、
また必要を感じたら買えばいい。
・・・・・・・。
でも、何がココに置いて有って?、何を無くしたんだろう?


こういったコトは、生きているうちに誰でも必ずある。
解らないままだから、誰も気に留めることも出来ない。
それは例えば、物ではなくて、大事なコトを書き留めたメモ用紙でもいい。
根気よく、そのメモ用紙に書いた大事な事柄を思い出すか?
それとも、見つからずに無かった方が気が楽になって好都合か?
無ければ無くても、別に死にゃあしないだろうよ。
見つからなきゃ良いんだから。
ナンダカンダ他にやることもあるし、べつにたいしたことはナイ。

生きていく中で誰だって、あると言えばある、コトの流れです。

それがどないやっちゅーねん!
ってなコトなんですが。
これは自分の個人のコトならば、誰にも迷惑はかかりません。
自分自身の“個人的なコトのみ”ならば何もありませんし、何事も起きません。

子「ここに置いてあったオモチャが無くなってるぅ」
親「いつもホッタラカシでちゃんと片づけないからでしょ!もぅ」
子「グスン(泣)」
こんな感じのベターな親子の日常なら、自分でオモチャを探し直して、次からは失くさないようにしようと反省しつつ・・・ってなモンで、それでもまた反省飽き足らず、また失くしてしまったりと。笑

しかし
こっから(ココから)が本題でして

子「ここに置いてあったオモチャが無くなってるぅ」
親「そんなモノ見たことないよ、最初から無かったんじゃない?」
子「・・・・・・(泣くに泣けず無心・無感情に)」

これが『自己消失』の発生の瞬間です。

例えば、学校の虐めなどで、虐めるターゲットとなる子の靴を隠したりする、なんてのがある。
つまり、消失させたいのだろう。
無くなってしまえばいい、という動機?から、そんな事を思いつく。
靴を隠されて右往左往しているのが笑えるとか、そんなんじゃないだろう。
邪魔な存在は消えてしまえ!…と、集団は考えるようになるのだ。

「大事なモノがあって
大事なモノが解っていて
それは誰にも負けたくなくて
どうやったら頑張って生きていけるか」

こう考えていければ良い。
それが・・・

「大事なモノなんて無い
そんなモノ解らない
なんか不安
目立ってるヤツは消えてしまえばいい
そしたらオレの勝ち~笑」

だいたいこんなパターンだろう。
更にココからが本題

このような例の他人関係だけじゃない、
親子間・親族間が最も重要で。
鬱陶しく(うっとうしく)感じるのは、自己が消失しているからです。
自己が成長出来ていない。
もっと解りやすく言うと、先程のメモ用紙例で。
大事な事柄の為のメモ帳、それはあらゆる人生経験のメモ帳で。
それが空白だらけで、そして破けて紛失したままのページもある状態。
この状態が『自己消失』です。

いつ、どこで。何をしていいのか解らないのです。
経験のストックが無いのです。
怠けていたから?
いいえ、それが理由ではないでしょう。
最初から怠けたくて産まれてくる赤ん坊は居ませんからね。
     
人生経験のメモ帳に、確かに書き記した跡があるならば、なんとか解読しようと試みるでしょう。
社会生活の中で、なんらかのトラウマができて…それを記したページを開きたくないという苦しい衝動もあるでしょう。

親の経験
祖父母の経験
その経験は、子供や孫にも受け継がれていくものです。
受け継いだ子孫は、そのページを参考に、新たな人生を書き記していく。
だけれども・・・良いモノばかりではないのです。
経験や行いにも良いモノばかりではないというコト。

祖父や親から受け継いだメモ帳が空白だらけで・・破られているところも多々あればどうなるか?
空白のページは、怠けていたページ。
破られているところは、隠ぺいせざるを得なかった事象が記されていただろうページです。

それがです
産まれてきた赤ん坊は、親から受け継いだ『人生のメモ帳』を手にします。何も書かれていないし…千切られたページがいっぱいあるメモ帳を産まれて初めて手にしたら、それが自己スタンダードであると解釈するでしょう。
「いや?何かおかしいぞ?」と、赤ん坊が違和感を感じたとしても…なかなかどうすることも出来ません。
モノゴコロがついて、よその家に遊びに行くようになって、分厚くズッシリとした経験をギッシリ書き記したよその家のメモ帳を見た時、初めて自分の家のメモ帳が貧しいと知る事になるでしょう。

さぁ、初めて見た“よそンち”の分厚いメモ帳の話しを自分の親にも教えてあげよう!と、意気揚々と帰るが…。
言えない
説明しても解らないだろう
だって、“よそンち”で見た人生のメモ帳の・・・あの大切なワクワクするようなあのページは確か?うちのメモ帳は千切れて無かったんだもの。
どうして無いんだろう?
ワクワクするあのページ…うちはワクワクしちゃいけないんだろうか?
どうして?うちはメモ帳に人生を書き記さないんだろう?
どうして?うちの親や祖父母は、何も知らないのだろう?
どうして知っちゃいけないのだろう?
どうして知ろうとすると怒られるんだろう…
・・・・・・。
今日のコトは、親に言わないでおこう。
知らなかったコトにしておけば、うまくいくだろう・・たぶん。
そうだ、ボクのこの「人生手帳」の、今日書き記したワクワクした経験ページは、千切って破り捨ててしまおう。
そうしないと、親が可哀そうだ・・・、そうしないと、ボクの手帳が豊かになって、親の手帳が貧しくなるもの。
見つかっても理由も無く怒られるだけだし。
どちらにせよ、書いた経験は、親に破り捨てられるんだから。

こうやって、自分の大切な事や経験を書き記したページを消失していくのです。
先祖代々、同じコトを繰り返す。
そしてまた、その子孫も受け継いだ貧しい手帳からの人生のスタートを余儀無くされる。
     
『自己消失』 この対語は 『自分作り』 でしょう。

「サイキックの眼」と称し、透視から行いますカウンセリングで、僕は「人生の手帳」を読み解くのです。

故意に千切られて紛失したページ
依頼者本人は気付いていません。
有って然り…ということも認識が無いのです。
本当は、紛失していいページなど「人生のメモ帳」には一枚もありません。
ですが、無いほうが…無かったほうが好都合の人間関係が多いのが事実です。
知って厄介なコトになるなら、最初から知らないほうが楽。
しかし、そのページが必要な時が、人生には必ずあります。
その時は、無力で…問題は解決出来ず、どうすることも出来ない状態が始まるでしょう。
なので、そんな問題が起きないように、その前後ページも更に破っていくのです。
ヒトツづつ対処し、その対処方法と経験を書き記していく事の方が大事なのです。
 
『自分作り』のメモ帳、手帳やノート、作ってくださいね。
『自己消失』したカラッポのメモ帳は、どうやったら修復していけるのか?粘り強く考えていきましょう。
破ったページは、どこに捨てたのか?
親の名誉?の為に千切り捨てた大事なページは、どうしたら直すことが出来るか?
親のクチャクチャメモ帳と同様に、親に強制的にクチャクチャにされてしまった惨めなマイブックはどうしたら良いのか。(泣)

どこの何ページ目と何ページ目が抜け落ちているのか?
綿密に、丹念に、時には辛抱強く・・・
大事な「人生のメモ帳」の修復が出来ればと思っております。


サイキックの眼  ヤマモト・コージ