LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

金田一温泉「緑風荘」

2012-12-16 11:15:04 | サイキックの眼

     

金田一温泉「緑風荘」


ざしきわらし(座敷童子)で有名な、
岩手県二戸市金田一温泉の旅館に
伺った時のお話しです。

興味をもった動機は
作家・三浦哲郎氏の小説をもとにつくられた、
劇団四季ミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」を観たからだった。
その舞台となったのがこちらの温泉旅館。


2006年の2月、盛岡駅から列車で旧東北本線(現・いわて銀河鉄道)を北上する。
雪深く、どこを見ても真っ白な景色、そして列車がまきあげるキラキラと輝く雪。
昼の時間帯なので乗客も極少ない。
僕はミュージカルのナンバーをくちずさみながら、ひとり無邪気に旅の気分を盛り上げた。

二戸駅で降りて、金田一温泉までは路線バスに乗り換える。
午後15:00、目的地の「緑風荘」に到着。
 
列車の中では無邪気にテンションも良好だったのだが・・、旅館に到着するころには疲れがドッと出てしまっていた。
旅の疲れではなくて・・人生の疲れ?。
 
この旅館で一番有名なのは、言わずと知れた築300年の古く大きな母屋の奥座敷。
1日ひと組しか泊まれない「槐(えんじゅ)の間」に宿泊すると、座敷童子に会うことができて、願い事も叶う・・・。
というのだが・・。
 
僕は別棟の一般客室に泊まったのですが、「今日は槐の間ではなくて、僕の部屋に座敷童子さん達が来るよなぁ」と、来る道中から直感?していたのです。

槐の間は連日予約でいっぱい。
 
奥座敷の槐(えんじゅ)の間の宿泊客が来る前は見学して下さい、そう旅館の方に言ってもらえたので、先ず足を踏み入れてみた。
僕の感じたのは・・床下に大勢の霊か魂が居るように思われた。その魂たちは、何処からか?出入り(ではいり)しているようで、数が定まらない。
25人くらいか?と思えば・・14くらいになったり。70をこえるような数の魂も感じた。
 
僕は「ユタと不思議な仲間たち」を観て、座敷童子という存在に興味と疑問を抱いた。
「なぜ生きている人の為になるのだろう?」
実際に旅館内には、「夢が叶いました有難う御座いました」という宿泊客から座敷童子へのお礼の為の人形やおもちゃ・ぬいぐるみでいっぱいで。廊下や壁には芸能人・著名人・政治家等のパネル写真でギッシリでした。
 
「ユタと不思議な仲間たち」の物語は、飢餓などで飢えから仕方なく・・間引かれた子供の霊たちが、産まれることへの憧れと・・生きる者達への生命の問いかけをする。
そしてそんな逞しい座敷童子と出会った主人公の「ユタ」は、生きる本当の大切さを学び成長してゆく。
僕はこのミュージカルを観た時に、先ず最初に思ったことは、
「座敷童子だって生まれかわってこの世で生きてほしい。姿無きあの世で人助けばかりせずに、この世で・・・。」
そう思ったのでした。
くりかえし何度も劇場に足を運び、再演の度に涙して・・、きっと座敷童子と自分と重ね合わせていたのだと思います。
 

夕方16:30
旅館内は客室以外は暖房は無く、そしてハンパない疲れが出て、先ずは床に入って休んだ。
この時も・・姿見えぬ座敷童子さん達に「少し休ませてもらいます」と言ってみたのだった。
そんな気持ちだった。
 

そして18:00
外は真っ暗に陽が落ちていた。
夕食時間なので、身支度をして、旅館の方に言われていた母屋に向かおうと自室を出る。
自室は一般棟の2階。暗くなった館内をあらためて見ると、人形やぬいぐるみがいっぱいで、置き場所がないほど。
自室にも沢山あった。
木造2階建てのその廊下を一階へ降りるために歩く。
階段までは客室のドアが3つ並ぶ。
そのドアを通り過ぎて、階段踊り場まで歩いていくと・・・
 

『 ドバンッ!!!!!! 

 
いきなり大きな音がした。
今通ってきた廊下で。
ドアを開ける大きな音。
「あぁそうだ、同じ18時に夕食のお客さんが出てきたんだな」
と、咄嗟に思ったのですが・・・。
 
寒い木造の廊下。
いま通り過ぎてきた廊下。
そぉ~~~~っと振り返ってみると。
僕の自室の隣の部屋のドアが全開になっていた。
確かに閉まっていたドア。
そして廊下を戻って、勝手に開いたドアの中を覗いてみた。
真っ暗な客室に誰も居なかった。
僕は思いました。
座敷童子さんたちが、力いっぱい挨拶してくてたんだな!って。
嬉しいとか恐いとか・・とくにこの時は感じてはなかった。
やっぱり居るんだ・・と冷静だった。
 
そして食事に向かうと、奥座敷にほど近い母屋の客間に夕食が用意されていた。
お膳は全部で5つ並べてあり、僕以外の宿泊客は4人だとわかる。
食事は終始僕1人のままで、あとの4人は翌朝まで会うことはなかった。
その時、お給仕して下さっていたのは旅館の女将さんらしき方でした。
 

「なにか願い事を叶えにこられたんですか?」
と会話が始まりました。
「いいえ・・、劇団四季のミュージカルを観て」
僕はそう返事をして。
「あぁそうでしたか」
と、ツレなく。
 
「いまさっき!2階でドアがバーーンと勝手に開きました!!!」
そう女将さんに話しをすると・・
「窓も開いてないし風も通る訳ないのにおかしいね」
感情もなく・・ツレない返事でした。
僕は思いました、この旅館は座敷童子が目当ての客であるので、女将さんという一人の人間となると、仕事としては複雑な日々なのだな。

そそくさと食事を済ませ、とにかく寒い館内。何もすることもなく・・疲れもあったので、早々に寝ました。
 
翌朝、温泉に浸かりサッパリして、朝日で明るくなった館内廊下の有名人パネル写真とサインを見つつ、朝食に向かった。
昨夜の母屋とは違い、鉄筋の大広間でした。
僕が一番乗りで、また女将さんがお給仕してくださった。

今朝も女将さんから話しかけられ。
 
「お客さんは奈良のご出身でしょう?」
「はい」
「ミュージカルを観て来られて」
「はいそうです」
「原作では、座敷童子は飢餓で間引かれた子供の霊ですが、本当は違うんですよ。
藤原亀麿という京都出身の藤原家の霊で、昔この地まで追われてきたのち、この家に住むことになった藤原家の子供の亡くなった霊なんです。お客さんは奈良のご出身で、春日大社がありますよね?」
「はい、自宅から歩いて行ける所ですが。」
「春日大社はもともと藤原家が氏神様として建てた神社なので、一度お参りに行きたいと思っているんですよ」
「そうなんですか・・」
 
「実は僕、透視をする仕事をしているんです」
言わないつもりだったのですが・・何故か?そう言うべき様に思ったのです。
すると女将さんは・・
「この沢山送られてくる人形をどうしたらいいのか…増える一方でね。」
と、いわれました。
僕が仕事のことを言わずに・・と思っていたのは、霊能者のような人や救いだけを求めたり、不思議体験をしたい人や有名人・政治家相手にもう旅館側の方が慣れきっているだろうと察しがついていたので。
実際来てみて、僕の思っていた通りでした。
でも、先ほどの女将さんの溢れる人形への悩みは「本音」でした。
 
朝食を戴きながら会話をしていると
「・・・?」
何か僕の脳裏に、誰かの言葉?声?が思いつくのです。
聞こえるというか?なんというか。
その言葉が僕の脳ミソで変換されるような。
僕はその言葉を女将さんに伝える必要があるような…
 
「女将さん?」
「はい・・?」
「いま僕の身体を通して、女将さんに伝えることがあるのです。たぶん座敷童子さんの声です。僕の右肩の後ろに居るように思います。それを言いますね。」
「女将さん?、大根は作っておられますか?」
「はい作ってます・・、朝食にお出ししている味噌汁やお漬物にも、みんなうちで取れたものですよ。」
「では、大根を絶やさないように。」
そう伝えると。。終始無表情だった(失礼)女将さんが、ポロリと涙を流されたのです。
琴線に触れたようでした・・。
 
暫く・・、5分ほど沈黙が続きました。
そして女将さんは
「実は・・このあたり一帯はもともと私達の土地だったのですが、売ったり・・貸したりしてきてね、後は大根畑しか残してなくて、その土地も今年中に手放すかどうか?家族で考えていたところだったんです。涙」
「女将さん・・、座敷童子さんこう言ってます。【大根は根菜類で、地中深く根付くものだから、この先、何かがあっても土地が流れ失うことはないから、大根畑だけは手放してはならないよ】。」
と、僕が喋っているのですが、実際・・本当かどうかは良く解らない内容でしたが、女将さんにはとても大事なメッセージだったようです。
泣いておられました。
 
その後、更に特別な部屋に案内されました。
こちらのご家族の居間でした。
天井が高く、大きな見た事がない立派な神棚があったことだけ覚えています。
あと・・更に親しいような芸能人の写真も。
女将さんは・・「何か感じますか?」と、僕に聞いてこられましたが、特には良く解りませんでした。ただ先ほどのことで、「とれた大根を神棚にお供え祀られたらどうですか?」と、伝えるにとどめました。
 
そしてその後チェックアウトまで女将さんに会うことはなく、旅館をあとにしました。
旅館ご主人のような?男性の方に駅まで車で送って戴きました。
 

そして旅の終わり、青森の三沢空港から大阪行きの飛行機に乗り、真っ白に凍てついた東北の地を窓から眺めていました。
すると・・。
何故か?僕の右肩の後ろに、朝食の時の・・あの大根の話しの?あの時の座敷童子の感覚があるのです。
眼にはみえませんが、しっかりと居る様に感じました。20センチくらいの魂が。
わかりました・・そうか。
「奈良の春日大社に行くんだね?」
その魂の歴史が古いものなので、僕にはその時代背景がすべて理解出来ませんでしたが、座敷童子さんの実家が春日大社であることはよくわかりました。
実家に帰りたいんだ。
明日早速いっしょに行きましょう。
 
奈良に帰宅後の翌朝。
参道を歩いて奈良・春日大社に行きました。
右肩に20センチほどの魂が居るような感じは昨日と変わらずありました。
そして、鳥居をくぐり・・あと50メートル程で本殿に着くという時に、僕の右肩から駆け足で本殿の方向に走り去っていく・・その魂を感じました。
やっと帰ってきた子孫のような無邪気な感じで、・・肉眼には見えませんが、そう感じました。
その座敷童子の魂が「藤原亀麿」かどうかは解りませんでしたが、緑風荘・女将さんの話しから考えれば、疑いようはなく自然かもしれません。

 
それから丸一年後の2007年2月。
僕はもう一度、緑風荘に行きました。
確かめたかったのかも知れません。
何を?。
藤原亀麿という座敷童子さんが緑風荘に居るのだろうか?、それとも本当に奈良の春日大社に帰郷したのか?。
そんなこと解らないし・・、知る必要もないはずなのだけど、再訪をきめた。
自分の眼を信じたかったのだ。
 
再訪道中・・もう昨年のような無邪気な気持ちは無かった。なにせ確かめるのが目的なのだから。
つまり、どこかもう解っているのだ。
 

昨年と同じように列車とバスを乗り継いで、旅館に着いた。
大きな玄関を入ると・・なんと!?
開運グッズやスピリチュアル系パワーグッズがワンサカ売られていたのでした。
やっぱりか・・。
そして客室に入って旅館案内のファイルに目を通すと・・開運・パワーグッズの販売紹介と、スピリチュアル系パワーが増す??とされる出張マッサージ依頼のチラシがありました。
勿論1年前にはまったくありませんでした。
 
やっぱり前回のあの僕の右肩に乗って、奈良の春日大社に飛び込んでいった・・あの魂は「藤原亀麿」だったのかな?
 
女将さんに昨年の大根の話しから、僕の事を覚えていると思っていたのですが…ご本人に聞いてみてもまったく覚えておられませんでした。
もう座敷童子の純粋な存在は、どこにもありませんでした。
ただあるのは、安易に欲のみを求める宿泊客へのサービス提供だけでした。
 
そして更に2年後の2009年。
ニュースで「緑風荘全焼」を知ることになり。
丁度世間はスピリチュアル系のブーム真最中で(今も?)、パワースポット?を求めてきたであろう宿泊客達が火事から逃れ助かったニュースがテレビに映っていました。
 
僕はそのニュースを見て思ったのは、
「座敷童子という魂の在り方、その時代が終わったんだな。・・魂と魂の繋がりや、求め合って生まれる信頼関係。それがスピリチュアル系ブームで変わってしまった。」
パワースポットとやらに行けばパワーを授かり、開運ブレスレットを着ければ運気回復。
もう座敷童子さんの心は必要ないのです、その表れでしょう…。
座敷童子さんが出て行ったから?と解釈することも出来ますが、そうではなく・・スピリチュアル系のパワー?や開運ブレスレット?ありきになっていくことを知っていたから、去っていったと僕は思います。
 
芸能人の開運話しとかでブームが加速したりします。
僕のカウンセリング依頼者さんでも、占いで神社に水を汲みに全国行脚しているひとやら、パワースポットやら話はお聴きしますが、いつもこう言います。
「努力を積んで苦労を重ね・・実力が備わって・・それでも最後の最後に右に行けば良いのか?左に行けば良いのか?迷って解らない、そんな有名人等が占い等で夢を叶えている話しをマスコミから聞くのであって。ただ幸せに成りたいだけの為にパワースポットに行っても何も発動しないよ。先ず自分の中身がそぐわなきゃ。」
こんなふうに言うと大体黙ってしまわれます。
 

「ユタと不思議な仲間たち」の劇中でも座敷童子は最後は旅館と村を離れていきました。
そのシーンの劇中歌「夢をつづけて」
(ユタと不思議な仲間たち 夢をつづけて Youtube検索有り)
村から去って行く座敷童子に
『♪どうぞお願い時間をとめて
 いつまでも傍にいてほしい♪』
こう歌われます。
座敷童子たちに
「もっと大事なことを教えてほしい、何にも知んねえから・・人間にとって本当に大事なことを・・だから行かないでほしい」
村の女の子サヨちゃんの心の叫びを歌にして、最後舞台の幕が下ります。
 

金田一温泉「緑風荘」の座敷童子さんは、
肉眼に見えずとも、確かに今も奈良・春日大社に居るように、僕はそう感じます。
自分の運命、藤原家としての務めを果たしたい、やり直したい、出直したい。
そんな気持ちが伝わってくるように思えてなりません。
女将さんが、春日大社の話しを僕にしたとき、藤原亀麿氏は心の眼が醒めたのかも知れません。
或いは僕が奈良から岩手の緑風荘に赴くことすら決まっていたことなのかも、そんな想像もできます。
 
そして大根のメッセージですが、
【この先、何かがあっても土地が流れ失うことはないから、大根畑は手放してはならないよ】
この先、何があっても・・・
僕もこの時はこのメッセージの意味は知る由もありませんでしたが、この3年後にニュースによって理解できました。
 
 

大事なのは積み重ねる心ある魂の在り方です。
時代のスピードはそれを許してはくれません。
早く答えを出さなければ負けてしまう。
人間の造った取り返しのつかない時間は過ぎて行きますが、自然や動植物の持つ時間はいつも一定で、必ずその自然時間が宇宙の公式タイムであり、・・人間時間は自然時間とのギャップに苦しみます。
都合の良い運だけを求めても、何の足しにもなりません。中身がカラッポになるだけですから。
 
それよりも自分のこころに耳を傾けてほしい。
そして人のこころにも意識してほしい。
 
座敷童子さんも、きっと自分の人生を見つめ直す努力を始められたのかも知れません。


サイキックの眼 山本 浩二


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❖ 追記 2020年11月04日
   

       
たぶん…2006年か?2007年に宿泊したおりに、
ギブアウェイとして戴いたのだろうマスク。
ですが、戴いた覚えが全くない…m(__)m
13~14年の時を越えて、
2020年10月に、なぜか(家の中で)見つけてしまいました。
ホームぺージをご閲覧くださる皆様にも、
コロナウィルス予防のお守りになりますように。