LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

末代まで続く傷

2022-05-22 15:31:06 | サイキックの眼
  
 
末代まで続く傷
 
 
どこもケガをした覚えがないのに痛い。
その痛みは、いつからあったものなのか知らない。
あたりまえのことように疼く…
子供の頃や若い頃だと、
さほど気にすることもないし、
日々の新しい出来事で忙しい。
 
『原因不明の苦しみ…
 原因不明の不幸…』
これらを放って無視し続けるとどうなるのか?
それは
『原因不明の喜び
 原因不明の幸せ』
これを求め始めるのです。
不本意な毎日を過ごす人生に、苦しむ。
適当な依存を求め、時間は過ぎ行くばかり。
なにをどうしていいのか分からなくなり、眠れなくなったりもする。
つまり、『原因不明の結果』に苦しむのです。
病院には、このような患者が溢れている。

原因ってなんだろう?
その結果とは? 
「原因があって結果がある。」
「原因の無いところに結果は生まれぬ」
別の言い方をすると、
「火の無い所に煙は立たぬ」です。
 
人間には、やっていいことと、悪いことがある。
それは時に難しいことではある。
が、しかし、時間をかけて取り組めば…
そう思うのだが、限られた時間の中で、せっかちになる。
辛抱が必要とお坊さんなどはいうが、今すぐ楽になりたいようだ。
そうこうしていると、原因不明の傷は更に痛みを増し化膿してくる。
そうすると、もう修正不可能な段階になる。
 
家族や近しい周りの人は黙っている。
みな無視を決め込むのだ。
解決は出来ない、したことがない。
金さえあればいい、あとはどうでもいい。
 
なぜ?どうでもよくなるのか?
…どうにもならないからだ。
なぜ?どうにもならないのか?
…それには時間がかかるからだ。
…時間と労力が掛かるからだ。
 
そうすると手を抜くようになる。
嘘を付くようになる。
気が回らなくなり、粗雑になる。
コントロールが効かなくなる。
そしてしまいには、
他者の足を引っ張り、
わざと混乱させ…
そしてわざと傷を負わせる。
 
例えば、子供が自分で走って転んでケガをするのって経験ですよね?
原因と結果が、ライブで揃っています。
責任は自分にありますから、自分で良い結果へと学んでいこうと思えます。
自由です。
 
ですが人間…不自由に晒されると、何をするか分かりません。
 
不自由から…自由になるのは簡単ではないのです。
お金さえあれば自由に暮らせる生きられる?
お金が平等に行きわたることで自由になる?
でもお金では買えないものがあります。
時間です。
時間だけはどうにもなりません。
限られた生命の時間をお金で巻き戻すことは不可能です。
では…次にどうするのか?
「他者の時間を奪う」
「他者の時間を潰す」です。
戦争もこれです。
 
つまりは、
『自分の時間は自分で守らなければならない』
ということだ。
  
本来…その“時間”は…
各家庭で守り合うのが家族なのですが…
どうもそうではない俗習が多いのです。
なので、
「家族内だから傷は深い」
「家族内だから傷が癒えない」のです。
 
その傷とは?
『親も祖父母も親戚筋も、みな持っている傷です。』
それを科学の分野では〔DNA〕というのかもしれません。
または〔運命〕とも。
  
《 原因・時間・労力・結果》
これが自由というものではないだろうか?
これが不自由だと…苦しい人生となる。
これが曖昧だと、トラウマの始まりだ。
すべてがうまく回らなくなる。
 
なにが正しいのか?
そうでないのか?
これを話し合えないことは苦しい。
間違っていても我慢しなければならない。
そうでないと生きていけない。
その歪んだ癖は、スグには直らない。
《歪んだ原因・歪んだ時間・歪んだ労力・歪んだ結果》
こんなことで、いつかどこかで辻褄が合うことなどまずない。
さらに歪んだ結果は必ず訪れ、それは末代まで続くだろう。
 
苦しみと傷は、慢性的になり、原因不明の病となって人生に宿り続けます。
 
 
サイキックの眼 山本 コージ