LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

罪悪感が欲しい

2022-10-07 18:34:44 | サイキックの眼
 
 
罪悪感が欲しい
 
 
罪は何処から来るのだろう?
欲深いことは罪になるのだろうか?
カエルが昆虫を丸呑みすることは罪になるのだろうか?
ヘビがカエルを丸呑みすることは罪になるのだろうか?
食べるものが見当たらなくて、他者や他者のモノを奪っても罪にならないのだろうか?
顕微鏡をのぞき込んでみて、微生物が微生物を取り込んで進化していくことは罪にならないのだろうか?
宇宙も進化をし…物質と物質が奪い合いをすることは罪にならないのか?
天災が襲ってきて、家が倒壊することは罪にならないのか?
 
これらはどうすることも出来ないこの世の原理だ。
この世の原理とは…たいへん恐ろしいものだ。
 
生まれてきたということは…
この世の原理を生きること。
足りないものは胃や五感で喰って身につけて細胞や知識を増やしてゆく。
この世の原理の“完璧”に向かって成長を果たそうとする。
それはとても極めて残酷なことだが…極めて平等なことなのだ。
目に見える植物も動物も、極めて残酷で平等な生き方を全うしている。
 
この世の原理に、人間の考える平和など何処にもない。
「静かな空や海を見ていると平和な気持ちになる」
それは太陽系という生物の寿命が人間よりも相当長いもので、
成長期や奪い合いの生き残り戦争も一旦は終わり…
満腹の満たされた静かな時間を過ごしているようなもの。
また空腹になれば激しく動き出すやもしれず、
その時は、地球上の生物はひとたまりもなくなる。
つまり…太陽系と地球は、
原理の戦いに勝ち、
バランスも取り続けられ、
満腹で平和な状態が続いている。
その満腹状態の地球に、いろいろな生物が派生し~発生しやすい。
その地球の満腹栄養分を奪い合い、
人間は悲喜交々(ひきこもごも)…
満腹の為に…
苦しみ、
奪い合い、
嘘をつき、
憎しみあい、
善良であろうと脅しあい、
平和の為にワザと歌ってみせたり、
何の実入りも無い戦争反対運動をしてみたり、
何の意味も感じない人生に困惑し狂ってみたり、
宗教は飴とムチのマニュアル本を聖典と名付けたり。
 
“馬の耳に念仏” ではないが
“微生物に念仏”
“銀河系に念仏”
“太陽系に念仏”
この世には原理と原則があるだけだ。
その原理とは、非常に残酷で、非常に恐ろしい。
宇宙にロマンを感じることや、
平和な世の中を夢見る静かな日々とは、
満腹になりバランスのとれたひと時にすぎない。
星も花も景色も動物も美しいのは…
自らが満腹になる戦いに勝つ方法を取得してきたからだ。
 
人間は違う。
この世が怖い
生きるのが恐ろしい
満腹の奪い合い、知識の奪い合いは、醜い寄生虫のようだ…という。
 
この世の凄まじい恐怖から逃れたい。
残酷な喰う喰われる宇宙の原理と原則を忘れて過ごしたい。
苦しいことは他人に押しつけたい。
でも自分は、良い人と思われたい。
 
そして…
 
地球にやさしい活動をして、
少しでも罪悪感を減らしたい。
(!?)
その活動が達成できずに、
更なる罪悪感を抱くようになり…
(!?)
自分が逃れようのない罪深い存在だ!とかなり…
(??)
このままでは地球が滅んでしまう…
とかいうようになり。
 
そして…
次にどうなるかというと、
 
「死なない程度の嗜好欲と罪悪感が欲しい」
・タバコ
・ジャンクフード
・飲酒
・不摂生
・ギャンブル
「捕まらない程度の犯罪欲と罪悪感が欲しい」
・歪んだ行為
・その他エトセトラ
  
 
つまり…
今の人間は、この世の原理から外れ続けている。
この世の恐ろしい成長から逃げ続ける。
この世の全ての有機生物の中で、人間は恥ずかしい選択をしている。
その “罪悪感” に直視も出来ない。
だから、本来もつ本能も軟弱になり狂ってきて躁と鬱になる。
その 恥ずかしい“罪悪感” すらも苦しく情けなくなり…
その挙げ句に…
罪を問われることのない “気楽な罪悪感” を求めるようになる。
重い罪を軽い罪で濁したい。
依存性のある麻薬とかはコレね。笑
(見たことないけど)
 
この世の残酷で恐ろしい原理を生き抜くことは、
『 罪 』などという野暮なモノなど超えているのです。
『 罪悪感 』が欲しいのは、生きる恐ろしさが怖いからなのです。
罪を許す…許さない…よりも、
誠実や…不誠実…よりも、
この世のシステムは、
ため息ものみ込むほど
果てしない仕組みで成り立っている。
罪悪感を感じている暇などないほどの時の流れの中で、恐怖と対峙している。
そして何の根拠も見えない社会とも対峙しなければならない
 
宇宙の恐ろしい自由
社会という名の不確かな不自由
 
情けなくていいじゃないか?
落ち込んでもいいじゃないか?
出来そこないでもいい?
どうしようもなくても仕方ない?
でもどうにか出来たのではないか!?
自分の成長は自分の責任ではないか!?
 
追い詰めるにも勇気がいる。
苦しいことも悲しいことも
体力と精神力がいる。
時間だって限りがある。
 
だから人は…
狡くてもいい
馬鹿にされてもいい
恥ずかしくてもいい。
苦しみと恐怖を忘れられる、
死なない程度の、
笑える程度の、
罪悪感が欲しいのです。
 
 
サイキックの眼  ヤマモト・コージ