LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

エジプト (2004年)

2018-02-24 20:43:17 | 時間旅行

     

エジプト (2004年)

    
     
2004年10月下旬、2週間の予定でエジプトへ1人で向かった。
中国・旧ソ連・旧東ヨーロッパ・トルコ・インド・バングラデシュ・南北米など10代から20代にかけてバックパックを背負って1人旅に没頭してきた。
そうするしか方法を見つけられず、放浪というカタチでもって前進せざるを得なかった。
そして月日が経ち2004年、当時34歳。久しぶりに旅に出た。
いつかはアフリカ大陸に立ってみたい、先ずはエジプトから。
いや…それも理由なのだが、ほかにも理由があった。
それは…当時

ディズニーミュージカル「アイーダ」(劇団四季)にハマってしまったのだった。
劇場内の作品の演技や舞台セットではなく、ナマのエジプトに触れたくて仕方なくなってしまった。
若いころのように数ヶ月単位の旅行はおいそれと出来なくて、2週間の予定で旅立ったのだった。
    
KLMオランダ航空で<関空⇔アムステルダム⇔カイロ>の順で航路をとり、一路エジプトへ。
2週間の予定であらかた決めていたのは、
<カイロ ≫≫寝台列車≫≫ アスワン ≫≫バス≫≫アブシンベル>
北部カイロから南部の観光都市へと片道約1000キロほど縦断し、そしてまたカイロへと往復するオーソドックスなコース。
他にも立ち寄る観光地はあれど、2週間の短期の予定でひとつの街で長く滞在したかったので、カイロとアスワン2都市のみとした。
アブシンベルは神殿のみの観光の地でアスワンから早朝出発の日帰り。
他にも有名なルクソールやアレキサンドリアなどもあったが、すべて省いた。
目的は、ミュージカル「アイーダ」のストーリー舞台となったエジプトと…
そして、アイーダの故郷…旧エチオピア、現エジプトのアスワン。
   
ここからは、カイロ→アスワン→カイロの順でフォトエッセイを続けて参ります。
   
   

■ エジプト・カイロ
   

大都市カイロの夕暮れ




カイロで最初に泊まった安宿(屋号も値段も忘れた)
ひとつ上の写真のような建物の中のワンフロア―のみをホテルとしていた
ベッドとマットレスのサイズが合っていなく、もの凄く疲れた。笑


お食事中の方には申し訳ございません…
部屋もバスルームもお洒落なグリーンでトータルコーディネイト


安宿の朝食


この日は金曜日。
イスラムの人々の休日、コーランが響く。



■ カイロからアスワンへ、寝台列車に乗りナイル川に沿って南下する。


カイロの駅 これは近郊の列車


2人用・寝台個室
当時のガイドブックによると有名な観光都市以外への立ち入りは危険とされていた。
このような観光向けの長距離列車の停まらない途中駅などその近辺は盗賊も居て大変危険と書かれていた。




寝台個室までデリバリーサービスされる夕食と朝食



■ アスワン (旧エチオピア領・ヌビア)


アスワン駅前の食堂にて
写真を左へ5分ほど歩いていくとナイル川に着く。


この駅前食堂での夕食のパスタ
行き交う観光客や現地の人々の様子を眺める。
ここで何度か食事やお茶をとる。

ある夕暮れ時、駅前の僕の座るテーブルのすぐ前で…
30歳くらいの夫婦2人が、5歳くらいの息子にタバコか?菓子?などのモノ売りをするように促しているのが始まった。
身なりも様相も悪い人には見えない。良い人とか悪い人とかではなく、その土地の人らに必要なコトなのだろうと思った。
「すぐに帰ってくるからココに居なさいね」みたいな感じのやり取り?なんだと僕は思いつつ…も、その男の子は暗くなった駅前で1人で物売りを始めた。大丈夫なんかな?と気になっていると…その両親らが去って5分も経たないうちに…警察に補導されトラックの荷台に乗せられ連れて行かれてしまった!!わんわん泣いていた。
ちっ!ちょっとぉ~!?誰か助けて…あ…げ…られ…ないのか?
食堂も両隣の店も客や店の従業員らで混雑している、誰も気にはしていない、眼中にない感じ。
親子3人の登場から男の子が補導されるまで、僅か10分ほどの出来事だった。
僕にはこの事はどうすることも出来なかったが、この後の旅の中で、この地の人々の本当の暮らしが垣間見える出来事と出会うことは多かった。


アスワンでの、また別の夜のこと。
奈良に住んでいると同じような事で、古い都で観光地となると夜は早々に暗く静かになるものなのです。
ここアスワンも同じで、厳かな遺跡群とナイルの川の流れの中で、夜は音もなくひっそりとしている。
そんな夜、暗く静かな街のある建物の中から賑やかな音楽が轟いていた。
それは講堂か集会所のような建物の2階だった。
僕は臆面もなく入口の2階へ続く階段を上がって入ってみた。なんでも見たかった。
するとそれは結婚式だった。
この写真の新婦さんの実の兄(写真無)という男性が「どうぞ中に入って」と誘ってくださった。
結婚式はきっとイスラムのしきたりの中でおこなわれていたろう、きっと結婚披露パーティーだ。
ウェディングケーキと少々のお菓子、そして瓶のコーラ類でもてなしを受けた。
どうも…カメラをもっているのが僕だけだったようで、撮ってくれと頼まれた。
後日、教えてもらった住所に写真を送ったが、届いたかどうかは不明だ。
パーティーは新婦さんの兄が仕切っていた。
会場内、音楽とダンスで盛り上がる中…お兄さんと僕は2人コーラを手に会場入口の外の2階のポーチに出た。
外は真っ暗に静まり返ってる。
お兄さんは言う、「自分は独身だ、先ず妹を結婚させてあげなければ」と僕に…静かに呟いた。
黙って聞いた。お互いカタコトの英語でなんとか疎通出来た。
2階のポーチから下を見下ろすと、おもての道路に5人ほどの女性がたむろするのが見える。
それをお兄さんは見つめながら、「良い女性だ」と、また静かに呟くのだった。
フィルム写真を焼いて見て気付いたのだが、新郎さんの頬に大きな傷がある。
どの国のどの土地も、生きることの大変さが痛切に伝わってくる…
見つめあう眼差しに…その深さを感じ取れるように思う。


ナイル川の中州や対岸の遺跡をめぐるツアー観光客専用船
各担当の外国客の為の国旗が川風になびく。日本の国旗も。


一般の渡し船に乗って遺跡めぐりに向かう


アスワンの街からナイル川を越えた対岸
この景色をみながら何時間だったか佇んだ。
ミュージカル「アイーダ」の劇中、エジプトの将軍ラダメスはアイーダをエチオピアの王女と知らず奴隷としてヌビア(=今のアスワン)からエジプトに連れ帰るが、厳格な将軍ラダメスも奴隷の身の女王アイーダも、身分もシガラミも無い自由なヌビアの川の美しい中州を思い出すシーンがある。各々自分の高い身分と身の上と不自由な人生を変えたいと願う2人の気持ちが、このアスワンの川と中州の美しさを思い返すことで意思が通じ合ったのだった。
ここに立ってみたかったんよ~!(ひとりだけどっ…泣)

♪ なにものにもしばられず
♪ あの地平線めざし
♪ この世のウサを捨て去り
♪ 新しいなにかを信じて
♪ どうしたのかな…こんなことを
♪ こころ許して話してしまう
♪ 旅を夢見ながら…こころ開き
♪ はかない喜び語り合った

将軍と奴隷という身分の中、なぜか気持ちが通じ合い歌う劇中歌。
その思いをはせていたのが、この地だった。


イシス神殿(ナイル川・フィラエ島)















夕方4時ごろ、アスワンの街中で屋台のお店に立ち寄る。
屋台といっても、ガスコンロに鍋を乗せただけの、店ではない。
鍋の中は鶏レバーと生姜を煮たものが入っており、それをパンにはさんだファストフード。
30代くらいの男性が営む露店商、「ひとつください」と注文した。
パンに鶏レバーの生姜煮をはさんで、ピクルスを添えて手渡される。
「ハウマッチ?」と聞くと…
「お代は要らないよ」と店主。
「・・・・・」
いきなりの事だが、また始まった。
実は、今までいろんな国のどんな所に旅行に行っても必ず起こる事だった。
不思議な事ではなかった…
「では今日は遠慮なく戴きます。明日また同じ時間に食べに来ますのでその時はお代を受け取ってください。」
そうカタコトの英語で伝えたら…
「明日もお代は要らないから待ってるね」
との店主の返事だった。
生姜が効いているもので、日本のレバー煮付けと大差なく美味しかった。
僕はレバーサンドを食べながら、その男性店主はこう話し出した…
「僕は学校の教師だ。だがエジプトの公務員の賃金は安すぎるんだ。だからこうやって副収入を稼いでいる。」
「そうなんだ…」
僕は今までに、旅先の色んな国の色んな人から、いきなり色んなモノを戴く。
真冬のニューヨークのマンハッタンの路上で、違法で帽子の露店を地ベタでひらいていた年老いたお爺さんに…
「お前の被っている帽子はgood!良いよ!」
通りすがりにいきなりそう褒めてくれて、お爺さんが売り物の帽子をヒトツ持たせてくれた。
中国でもインドでもよくあったもので、いつも冷静に謙虚に感謝し頂戴した。




民家の壁に描かれていた


これはアスワンの中級(安)ホテルの窓から撮った一枚
右に見えるのは隣のビルの壁面広告。表通りは土産屋や地元の市場が続く。
ホテル屋上にはプールもあった。


ホテル・朝食ルームサービス
紅茶・パン・豆の煮たやつ・サラダ・チーズ・ヨーグルト


ガイドブックにも載る、アスワンの有名料理店。
1番右の皿、エジプトの名物料理「鳩の詰め物」
ハトの中に穀類を詰めたグリル?
ハトの身は食べるところが無いほど薄くガリガリだった。笑


露店、サトウキビの砂糖。
サトウキビ絞りたてジュースを売る店もあって、アスワンで好物になった。
沖縄でも飲めるので、行ったときは必ず飲むほどに。


ホテルのレストランで




バザール


(ヌビアのミサンガ)
旅先では必ずスーパーや百貨店のようなところにウィンドウショッピングに赴く。
だいたいは電気もつけられず暗く埃だらけで、商品らしいものは見当たらない。
ここアスワンでもそんな閑散とした百貨店があった。
4階建てくらいだったか?昼間でも薄暗いままで拭き掃除もしていないくすんだままのウインドウに陳列された商品。
階段を登っていくと布地だけのフロアがあった。
広いフロアに所狭しと色んな柄の生地やキリムや絨毯などが幾重にも重ねられ売られていた。
そのフロアの中ほどに机がひとつあって、お爺さんが椅子に座っていた。他には誰もいない。
僕はミュージカル「アイーダ」に想いをはせつつ、その生地の柄や模様など見て回った。
そして僕はそのお爺さんに声をかけた…
「この布生地はエジプトのモノなのですか? ヌビアの民族文化のモノってあるんですか?」
お爺さんはいくつかの布生地を指さして教えてくれた。
正直、民族の文化嗜好の違いなど判らなかった。
(失礼しました…汗)
だが、おもむろにお爺さん、机の引き出しの1番奥に手を入れて、僕にミサンガを手渡してくれた。
「これがヌビアのモノなんだよ、もって行きな。」と言っているのがわかった。
それが上の写真のその現物だ。
(この写真だけは当ブログ記事の為にスマホで撮った)
お爺さんの仕事机の引き出しの中は空っぽだったのを僕は見た。
その1番奥にしまい込んでいたミサンガだった。
僕は何にも解らず「有難う!」とお爺さんに感謝し、貰ったヌビアのミサンガをさっそく腕につけて百貨店を出た。
するとだ。。。大変な事が起こってしまった。
このミサンガを着けた僕の手首を無視して通り過ぎる人が居ない。
道ゆく地元の若い男連中らが次々と興奮した様子でもって絡んでくるのだ。
笑顔で興奮している者もいれば、シリアスな面持ちで絡みかけてくる者もいた。
喜んでいる者と…そうでない者が入り混じる興奮状態の連中が突っかかってくる。
一瞬だが首を絞められそうにもなりかけた…
このミサンガは明らかにヌビアの民族を象徴している、その色の取り合わせなのだ。
つまり、アスワンは現エジプト領であるが、元はヌビア民族のエチオピア領だったわけで…、その煮え切らぬ民族の攻防は今まだ続いていることを…このことから学ぶことになった。
ほんの10分ほど前に、このミサンガをくれた百貨店のお爺さん。
空っぽの仕事机の引き出しの1番奥に、このヌビア民族の象徴を忍ばせていたんだ…
決して公然で見せるモノでは無かったんだ…
エジプト人ではなく私はヌビア人だと言えない歴史社会が…あったんだ。
ヌビア派の連中は興奮し喜びを露わにしていたし、エジプト派の連中はヌビアを奴隷のように思っていたんだ…
僕は今も、このヌビアのミサンガは大切に保管している。
「アイーダ」の物語は、今も続いていた。



■ 再びカイロに戻る


カイロの街
安ホテルの部屋のバルコニーからの眺め
1階はゴミのような資材置き場だった


表通りに面している部屋はこの部屋だけだったようだ。
同じフロアの他の部屋は奥に面した暗い部屋だった。
たまたまアタリ部屋にチェックイン出来た。
天井が高い、ゆったりシングル。
車の騒音をかき消すように、バルコニーで歌なんぞ歌ってみたりした!♪
フロアには広い廊下があって、いくつか客室が並んでいたが…
時々…ドアの外で恐ろしいほどのケンカが勃発していた。
エジプト人のケンカは熱しやすく冷めやすいんだよ、他でもよく目撃した。


プレッツェルの売り子さん達


大きなバザール近くで。


ケーキ屋


魚屋


果物屋


カイロ・ナイル川のほとりにて



■ ピラミッド


言わずと知れた




スフィンクスのしっぽの先


スフィンクスの眼差しの先にはケンタッキーフライドチキンは本当だった


陽の射しぐあいから金色に輝く

ギザのピラミッドの内部の見学には午前と午後に分けられた人数制限のある入場券を購入する必要があった。
それは一般もツアー団体客も当日の開場と共に並ばなければならなかった。
それは午前150人、午後150人だったと思う。
結構楽に入場券をゲットできたように覚えている。
入口ではカメラ持ち込み禁止から預けるようになっていた。
そしていざピラミッド内部へ
内部へ行く人と出入口へ戻る人とで狭い通路を譲り合いながら行き違う。
だんだん天井が低くなってくる、と思っていたらいきなり天井の高い空間の大回廊に入った。
そしてまた狭い通路を進んでいくと…暗くて湿気の多い「王の間」と呼ばれる部屋にたどり着く。
ところどころ空気口みたいな穴が石の壁に精密に造り組まれている。
蛍光灯がついていて、長方形の石の箱が置かれている以外は何も無い、石が凄みにビシッと組み合わさった密閉されたような空間。

僕はここで直観が働いた…
当然、観光客が数珠つなぎでピラミッド内部の見学に来ていたし、だいたい5分以内にはみんな早々に「王の間」から出ていくのだった。
僕の直観はこうだった…「これから1時間ほど誰も入ってこない」と。
その通りになった…
他の観光客は早々に出ていくところ僕は「横になって寝てみよう」と思い実行した。
すると、その時15人くらい居た欧米の観光客も、僕の後に続いてか?座り込んだり横になる人が居た。
この「王の間」に出入りする人はピタリと止まってしまう。
すると欧米系の白人の中には、3人で手をつなぎ輪になって「オ~ム オ~ム」などと唱えはじめる奇行モノも現れた。(笑)
1時間ほどが過ぎたろう…「観光客が大勢そこまで来ているな!」と感じた瞬間にドッと人が入ってきたのだった。
ちょうど1時間、誰の出入りもなく15人ほどの人だけの時間だった。
僕は横になって寝ていたが、もう出ようと起き上がったら、湿気が凄くお尻など地面に着いた所がびっしょり異常に濡れていた。
確かに…ピラミッドのこの施設の目的は、宇宙の真髄※に一歩でも近付く為のモノなのは間違いない。
(※真髄、または神髄・心髄)
ただ言えることは、その真髄に生身の人間が精神と肉体を持って耐えられるか?どうか?だけだ。
研究者が研究を重ねたとて限界は超えられない。
だから、結果が何も見えないのだ。

その本当の答えは、今…ここでは言えない。



■ エジプト滞在の最後に


2週間の旅も終わる
カイロのナイル川のほとり、若い恋人たちが集まっていた。
ふと、空を見上げると・・・
『 出たっ!!』と思わず口に出してしまった。
それが、当ウェブサイトのトップページに添付しているこれだ。


広い空いっぱいに広がるフェニックスの姿の雲。
相当大きかった。
そして方向的にもピラミッドの真上あたりだと思う。
鳥は生まれ変わりの象徴と言われている。
確かにそうなんだと思う。
想像や神秘を超えて、僕は実際に、鳥が…また同じ鳥に…また生まれ変わった姿を目の当たりにした経験がある。
それは別の機会に話したいと思っている。

僕は、この空を見たときから、急に今まで以上に生きるのが怖くなった。
カイロの街も怖く見えた。
この後、カイロやエジプトの各地では複数のテロ事件が続くようになっていった。
真髄を超えるとは、良いことも超え、生きる恐怖をも超える作業の事だ…
この旅の終わりから、僕は大変な作業に突入していく事となってしまった。
それを乗り越え続けて、今ひと時…冷静な強さを持ち得つつ、14年の歳月を経た2018年に、この旅の中から得たものを整理してみようと思ったのだ。
自分の夢を叶えることは難しい。
簡単な夢などない。
本当の願いを叶えることは、生と死をも超える恐さと深さと向き合う、その苦痛と喜びを認めることではないか。

簡単な夢などない。
広大な現実の中で、如何に生きられるか?
これからの未来、すべての人々が互いに更に問い合う時代に入っていく。

各々みなさん、もっと自分自身を深く知ってもらいたい。
喜びも、恐怖も、自分の中に在ることを認めることだ。
避けては通れない道なんだわ。

僕はこの旅の終わりから、自分の苦しみを直視し続けてきた。
ミュージカル「アイーダ」も、また観てみたい。


サイキックの眼  山本 浩二
     
        
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