LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

絶対の世界

2021-02-24 18:09:15 | サイキックの眼
 
 
絶対の世界
   
  
子供の頃からいつも思っていたことがあった…
 
宇宙の果てに、何かしらの答えがあると、
勉強や学び、そして物語など、
人間の意識は外に向かっているのが
一般社会での通常の考えだった。
成長を求め、未来へ向かっていく時間というものに従って。
 
宇宙の果てはどうなっているのだろう?
もしこの世が無ければどうなっていたのだろう?
なぜ生きているんだろう?
なぜ生きなければいけないのだろう?
そしてなぜ?
死んだらどうなってしまうのだろう…
なぜ勉強しなきゃいけないのだろう?
 
子供の頃なら誰だって、
1度は考えたことがあるだろう?笑
でも考えたってどうにもならない。
それよりも毎日毎日やらなきゃいけないことがあるんだから。
 
だが僕は…なんにもせずにそれを考え続けていた。
なので学校の勉強は殆ど出来なかった…
そしていつも、僕はこう考えていた。
 
「宇宙は永遠と膨らみ続けているだろうに…
 ならばロケットで地球から宇宙に出て行っても
 まったく先には進んでいけないではないか?」
 
そんな考えを持ちつつ
そして続けて次に想うことがあり、
 
「ロケットを造って宇宙へ向かって行くよりも
 自分の内側へ向かって行った方が早いのに」と。
「自分の内側と、宇宙の果ては、
 ひとつに繋がっているはずなのに。」
 
子供の頃からずっとこう考えていた。
もしも宇宙の果てに行って、
頭と顔をつき出してみることが
出来たならば、
自分のお腹のあたりから、
頭と顔がヒョッコリ出てくるのではないか?
そう想像していたんです。笑
 
そして20代の歳になって、
それを証明するひとつの経験をすることになった。
“宇宙の果て” というよりも…
“この世の果て” を見た。
この世の果ての…
その一歩…向こう側の世界を…見た。
見たというよりは、触れた。
 
子供の頃から思い続けていたことの、
夢が現実に叶った瞬間だったようだ。
正直いうと叶ったとは思いにくい…
それほどに過酷な人生が始まってしまった。
肉体的にも精神的にも、
地獄をさまようかのような苦しみと、
向き合い続けてきたのだ。
 
ただ…ロケットを打ち上げて、
宇宙の果てに行くよりは
早かっただろう。
一瞬で行って、帰ってきたのだから。
 
宇宙全体も、地球も、この世も、
日々の社会人生も、
そして生まれることも、死ぬことも、
それに…あの世さえも…
すべては “ 有機物 ” の世界である。
死んだあとのあの世も、
有機物のうちのヒトツに含まれる。
 
なぜこれらが存在するのか?
その理屈としての理由は…
これら有機物の真逆のモノが存在するからである。
つまりそれは〔   〕だ。
名前すらない…
つまり〔    〕←無い世界が存在する。
 
つまり、屁理屈をいうと、
〔   〕を証明するために⦅ 有機物 ⦆があり
⦅ 有機物 ⦆の存在は〔   〕があって成り立っている。
⦅ 有 ⦆と〔   〕とは、
必ず一対 (いっつい)で成り立っている。
このバランスがこの世の全てなんです。
 
なので “ 絶対 ” という言葉があるが
〔    〕←無の世界
というのは
⦅ 有機物 ⦆というこの世から見た場合、
〔   〕← 絶
つまり、途絶えるということです。
だから、するモノとは、
〔 有機物 〕という名の、この世の世界ということで。
つまり、絶対の本当の意味とは、
〘 永遠 〙を意味することになるのです。
  
 
 〔    〕←無の世界
この無の世界という空間には…
時間も距離も名前も…
なにも無い世界だった。
計るモノが無いのだ。
無いというコトすらも、無いのだ。
だからこの世の“有の世界”が存在するのだ。
僕はこの〔    〕←無の世界
に一瞬だけ触れた。
自分の内側の、更に深い奥底に、
ゴォォォォォ っという音と共に
急速に進んでいき…
そしてすべてが消えて無くなりかけた瞬間
体に電気が走り抜けた。
もしも一瞬以上、触れ続けていたならば、
自分そのものが消えて無くなってしまっていたかもしれない。
そしてこの経験から、
世の中の仕組みが更に視えてしまうようになったのだ。
これは簡単なことではない。
この世のすべてを同時に向き合う日々なのだから、
それは精神的にも肉体的にも、オーバーワークになる。
通常の生活は相当に難しかったのは言うまでもなくだ。
 
この世はすべてが、一対(いっつい)で構成されている。
あるしゅ逆にいうと、分裂し続け…一対を増やし続けている。
ただこれだけの世界なのだろう。
これが永遠に続いている。
〔    〕←無の世界
という途絶えたモノに対して、
広がり続けている⦅有機物⦆の世界。
なので、この世は…
『 絶対の世界 』というわけ。
 
名も無き…途絶えた無の世界と
それに対する…この世の有の世界。
絶対は永遠。
 
僕は、この狭間に触れたことがある。
絶対の世界の、境地で。
 
 
サイキックの眼  ヤマモト コージ


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