苦しみを超える
苦しまない為にはどうすればいいか?。
苦しまない生き方・・。
苦しみの無い人生の構築。
誰だって苦しみたくない。
苦しみが減らせるものなら・・なんだってやる。
苦しみが怖い。
苦しみなんて知りたくない。
知らなければいい・・?。
知らなければ知らないほど・・余計に苦しみが怖くなる。
知った方が良いのだろうか。
いいや・・知らない方が良いに決まっている。
《他者から与えられた道には、他者から与えられた苦しみが必ず在る。》
《自分で選んだ道には、自分で選んだ苦しみが在る。》
つまり、他者から与えられ選んだ道には⇒自分で選ばない苦しみが存在するのです。
そして、自分で選んだ道には⇒自分で向き合える苦しみが存在する。
自分で選ばず、他者の言う通りの道をえらんだとしたら・・、どのような不安が待ち構えているのか解らない不安と苦しみが備わります。
そして、自分で選んだ道には・・、自分で選んだ道の苦しみがある。
心の底から感じ選んだ道には、心の底から感じ得る喜びと苦しみが在ります。
そして。
『他者から一方的に与えられた道には、身動きの取れない苦しみが必ずやってくるのです。これが恐怖であり、苦しみの本当の姿でしょう。』
苦しまない為の様々な新商品や技術が発達しています。
それでも・・、もっと苦しまない!もっとラクラク快適術!なんてモノが次から次へと出てきます。
苦しまない為の嗜好品が一番の成長産業です。
しかし・・、キリがありまへん。
人間ひとりひとりを真空パックにして・・苦しみを何にも感じないようにするのが最終商品になるのでしょうか?笑。
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安心安全ラクラク!ストレス完全フリー!!
冗談です。笑
他人に与えられた幸せ。そしてその苦痛。
他人に勧められた幸せと、 その苦痛。
自分が望まない人生の幸せ?と、その苦痛。
心から自分で選び望んだ幸せと、その苦しみ。
どちらが自由でしょうか?。
どちらに不自由の苦しみが在るか?。
自分の本当の幸せを知る為には、自分の本当の苦しみを知ることになるのです。
既製の幸せ模造品には、その模造品を維持し続けなければならない苦痛と不幸が伴います。
それが恐怖であり苦しみです。
例えば、全国に建てられた箱モノ施設なんかは、まさにソレでしょう。
『自分の求めた人生に伴う「苦しみ」を持っていることは幸せです。』
『自分が求めない・・与えられた幸せの中で生き続けることこそが、不幸であり本当の苦しみなのです。』
世間が用意する「安全」なモノは、「危険」に対し無責任になるのです。
「安全」には責任を負うが、「危険」には責任が無いのです。
なんのこっちゃ?!
・・では説明します。
基本は総て「危険」なのです。
生きていく上で「危険」が総てなのが自然の法則なのです。
人間に飼われている動植物以外の、自然の生き物はそれを知っています。
総ての恐怖と苦しみを平等に知っている。
だ・か・ら!、それに合った身体を成長させ、携えているのです。
『苦しみを超えた姿』を持っているのです。
逆に。 人間は「安全地帯」を創りました。
「安全地帯」と「安全地帯」がイガミあったりもします。
「安全地帯」を持つことで、「危険」に対応する自然感覚が退化する。
そして、「危険」対応能力を失い・・「危険」がより怖くなり・・恐怖を感じ続け・・苦痛から逃れられなくなるのです。
自然動植物は、「安全」を誰からも与えてもらいはしません。
自己が持っているのです。
自己が、成長の自由を持っているのです。
人間の多くは、「安全」を人工でシステム化し、「安全」を与えようとします。
「安全」を他者から与えられた人間は、その「安全」のシステムを知りません。
なので・・恐怖と苦痛が・・「安全」と比例して増え続けるのです。
つまり。
苦しみを超え続けていける事が、本当の人生なのでしょう。
本当の恐怖を知り、成長する自己自由。
そこに伴う苦しみは、胸の奥深くで受け止められるものなのです。
自然の動植物の総ては、それを行い続けているから・・強く美しいのです。
他者から与えられた幸せは、成長出来ない苦しみの中で生き続けなければならない苦痛と共に居る恐怖です。
他者から与えられた幸せから生じる苦しみは、越えることが出来ません。
ですが。
自分が選んだ道から現れる苦しみは、超えることが出来るのです。
サイキック 山本 浩二
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