振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

今年2度目のホーチミン(3)戦争証跡博物館

2019-11-23 13:50:42 | 旅行


中学2年の頃、友人の家で彼の兄さんからベトナムで起きている内戦のスライドを見せてもらったことがある。解放戦線の側から撮影された画像で、彼の兄さんは何らかの反戦活動をしていたのだと思う。ちょうど米軍が北爆を始めた頃で、スライドを見て南ベトナム政府軍や米軍がベトナムでやっている酷い事はよくわかり同情心はあったが、遠く離れた場所のことで自分が何かしようとまでにはならなかった。

そして米軍がベトナムから完全に撤退して南ベトナム政府が瓦解してたのが1975年で、自分はちょうど大学を出て就職した年になるが、それまでベトナムに関するニュースは比較的関心をもって見ていた。

今回、戦争証跡博物館に行ってみて既に忘れていることも多かったが、また改めてベトナム戦争の酷さを感じざるをえなかった。館内には戦争による死亡・不明者数が約330万人とあったが、これは第二次大戦での日本の死者数を上回っている。圧倒的に優勢な武器で抑え込もうとしたが、それでもベトナムでは勝てなかったと言うことなのだろう。








米軍や南ベトナム政府軍が使った戦車、それに対地攻撃用のヘリや攻撃機が庭に展示してある。若い頃にプラモデルで作ったような物ばかりなので、それらの名前や装備などを詳しく覚えてはいるが、このような場所で見ると少し冷めた気分になってしまう。





館内にも銃火器やロケットランチャー、迫撃砲などが並んでいた。これらは写真に撮れたが、カメラを向けるのははばかられる展示写真や展示物もあった。



枯葉剤の散布によってもたらされたダイオキシン汚染による障害が、現在でも発生しているのは周知の事実。散布した側の米軍関係者でも発症しているようだ。

それと大量にばら撒かれたボール爆弾の不発弾や対人地雷の爆発は、今なお起きているようだ。



このような展示物のある博物館に足を運ぶには、多少躊躇する気持ちもあったが、やはり悲惨な戦争の事実を自分なりに見ておくことは大事かなと思った。

結構多くの来館者がいたと思ったが、日本人を含むアジア系の人は少なく、圧倒的に西洋人が多かったと思う。街中で見る観光客はそうでもないのに、たまたまだったのかも知れないが。







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