振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

宝塚西谷の森公園から福知山線廃線跡をウォーキング、そしてサツマイモ

2019-11-25 15:00:55 | 日記
11月の初旬に大阪であった高校時代の関西在住者同期会で、MA君からハイキングに誘われた。同じ会に出席していたMI君とK君の3人で年に一度くらい、近くの山に登ったりしているようだ。

日曜日の朝9時JR福知山線の宝塚駅に集合して、三田方面に向かう電車で武田尾駅まで行った。ここから阪急バスで県立宝塚西谷の森公園に向かう。今日のコースナビゲーターは宝塚に自宅のあるMA君。

狭い山道に入ったバスが新名神高速道の下をくぐり、しばらくすると家屋が点在する山里に入った。県道にある公園入口バス停を左折し、間もなくすると西谷の森公園の西口に到着。6kmほどで410円のバス代は安くない。

西口からは小高い山の上にある展望台を目指して登る。距離は約1300メートルほどで標高差はあまりないが、やはり途中からは汗が吹き出してくる。



展望台からは360度の眺望が確保されて見晴らしは良い。海まで見えるかと思ったが南には六甲連山が立ちはだかって邪魔をしている。周囲の山々は紅葉で色付いてキレイだ。



展望台からは岩場を下るが、登山靴を履いて来て良かったと思う。馬の背になった岩盤を経た先にあった、テーブルを備えた峠の東屋で昼食をとった。

4人とも郷里の同じ高校を卒業した後、実家を離れて大学に進学して関西系の企業に就職、そのまま関西に住みついている。40年前から始めた関西在住者の同期会で年1回会う程度だが、話題は当然郷里に関することになる。

昼食後は公園の東口まで下山してバス停(公園口)まで移動。阪急バスに乗って武田尾駅のひとつ手前のバス停(武田尾)まで行った。乗客は我々4人のみ。



従来の福知山線の宝塚~三田区間の山間部は武庫川渓谷沿いを走り、複線化や電化が困難だったので、生瀬~道場駅の新ルートに敷設した新線に切り換えたのが1986年。同時に廃止された旧武田尾駅があった場所の近くから生瀬駅の約1km手前まで、廃止された福知山線の廃線跡がある。

武庫川の河岸にコンクリートでテラスが広がり、その脇にある橋を渡ると廃線ルートの入口になる。



武庫川の渓谷の左岸沿いに枕木の残る線路跡を歩いて行くことになるが、多少歩きにくい。しかし臨場感いっぱいのためか、昔ここを蒸気機関車やディーゼル機関車が客車を引いて走っていた情景が、くっきりと頭の中に描かれる。



渓谷沿いの紅葉がキレイに色付いて、見応えのある景色が続く。春は桜もキレイらしい。



グループで来たり子供を連れたハイキングの人も多く、我々のように武田尾側から生瀬に向かって歩く人より逆方向に歩く人の方が2~3倍は多く感じる。但し廃線入口までは武田尾側のアプローチの方が容易なので、廃線の途中で折り返している人も多そうだ。

トンネルを何本か通ると少し長い鉄橋を渡り、そこからは武庫川の右岸を歩くようになる。結果的に見どころの多いのは、この鉄橋までのように思える。



トンネルの中は真っ暗で、懐中電灯がないと足元が全く見えない。トンネルもビミョーにカーブしていたりして、出口がなかなか見えてこない。

武田尾側には線路脇に休憩したりシートを広げて昼食のとれるスペースが所々あったが、生瀬側に近づくとあまりない。結構疲れたなア、と思ったころに生瀬側の出口に到着したが、そこにルートマップの看板があった。



ここからは生瀬駅まで国道に沿って1km以上の距離がある。歩いて来たのは路跡なのでアップダウンのないルートだが、その前に西谷の森の山に登っていただけに足に疲れがどっと来た。トータルで18千歩ぐらいにはなっただろうか。


西谷の森公園で出会ったハイカーは、ほんの数十人程度と少なかったが、廃線ルートには何百人ものハイカーがいた。紅葉はどちらもキレイだったが、廃線ルートの方が圧倒的人気のようだ。

嬉しいことがあった。西谷の森公園東口から阪急バスの公園入口まで歩いている時、K氏が東口の休憩所に帽子を置き忘れたことに気付き、戻って行った。その間、3人で道端をブラブラしながら待っていると、近所の家から出て来たおばさんに、大きなサツマイモを1本ずつ頂いた。「重たくなって悪いけど持って帰って」と。K氏が帽子を見つけて戻って来ると、もう1本家から持って来てくれた。



帰宅したら偶然にもヨメがスーパーで3本のサツマイモを買ってきていた。比べるまでもないが、もらった方が何とデカイこと。いいお土産になって、食べるのが楽しみだ。おばさん、ありがとう。