せっかく貯めたJALのマイレージの有効期限が近づいて来たので、「どこかにマイル」の特典旅行に使うことにした。今年の4月には伊丹から花巻まで使ったが、以前にも鹿児島、大分まで行ったことがある。
今回は希望の日程を入力して、行き先の候補地として三沢、函館、秋田、山形で、東北以北の4ヶ所が揃ったところで申し込んだ。一人で温泉でもと思い、三沢なら酸ヶ湯温泉、函館なら湯の川温泉、秋田なら乳頭温泉、山形なら銀山温泉あたりを想像していた。
申し込んだ翌日にはJALから返事が届き、自分としては4番希望の山形に決まった。思い通りにはならないのは、いつも通りだ。仕方ない。
26日(火)昼過ぎ、山形行きE-170は伊丹空港を離陸した。搭乗率は8割くらいか。
飛行中、どのあたりかわからないが、雪を被った山々が見えた。11月末にしては雪が少ないように思える。
追い風に巧く乗ったか、1時間ほどで山形の街並みが眼下に見え始め、定刻よりも15分も早く山形空港に到着した。
空港からは予約していたレンタカーを受け取り、河北町にある紅花資料館に向かった。東北では南端の山形とは言え、近畿に比べると北に位置するので、太陽が随分南にあることが感じられる。
資料館は江戸時代にこの地の名主を務めた堀米家の邸宅跡で、堀で囲まれている。この地で生産される最上紅花の商いで財を成したそうだ。中学か高校の授業で習った記憶がかすかにあるが、紅花は酒田港まで最上川の舟運で運ばれ、更に西回り航路で上方まで運ばれて着物の染料や化粧品の原料として使われていた。
園内を回るとここに紅花が集積され、加工されていた様子がわかる。また、実際に紅染を体験できる工房もあり、季節的には紅花の時期ではなかったが、温室の中に栽培されている紅花を見ることができた。
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この紅花の交易によって発展し、富が集積されることによって、逆にこの地に京や上方の文化がもたらされただけでなく、名主が組織した農兵の部隊もいたようだ。大筒などの武器も展示されていたが、仮想敵は何だったのか、よくわからない。化学染料などが広まる明治の初期まで、大層な繁栄をしていたことは間違いないようだ。
今回は希望の日程を入力して、行き先の候補地として三沢、函館、秋田、山形で、東北以北の4ヶ所が揃ったところで申し込んだ。一人で温泉でもと思い、三沢なら酸ヶ湯温泉、函館なら湯の川温泉、秋田なら乳頭温泉、山形なら銀山温泉あたりを想像していた。
申し込んだ翌日にはJALから返事が届き、自分としては4番希望の山形に決まった。思い通りにはならないのは、いつも通りだ。仕方ない。
26日(火)昼過ぎ、山形行きE-170は伊丹空港を離陸した。搭乗率は8割くらいか。
飛行中、どのあたりかわからないが、雪を被った山々が見えた。11月末にしては雪が少ないように思える。
追い風に巧く乗ったか、1時間ほどで山形の街並みが眼下に見え始め、定刻よりも15分も早く山形空港に到着した。
空港からは予約していたレンタカーを受け取り、河北町にある紅花資料館に向かった。東北では南端の山形とは言え、近畿に比べると北に位置するので、太陽が随分南にあることが感じられる。
資料館は江戸時代にこの地の名主を務めた堀米家の邸宅跡で、堀で囲まれている。この地で生産される最上紅花の商いで財を成したそうだ。中学か高校の授業で習った記憶がかすかにあるが、紅花は酒田港まで最上川の舟運で運ばれ、更に西回り航路で上方まで運ばれて着物の染料や化粧品の原料として使われていた。
園内を回るとここに紅花が集積され、加工されていた様子がわかる。また、実際に紅染を体験できる工房もあり、季節的には紅花の時期ではなかったが、温室の中に栽培されている紅花を見ることができた。
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この紅花の交易によって発展し、富が集積されることによって、逆にこの地に京や上方の文化がもたらされただけでなく、名主が組織した農兵の部隊もいたようだ。大筒などの武器も展示されていたが、仮想敵は何だったのか、よくわからない。化学染料などが広まる明治の初期まで、大層な繁栄をしていたことは間違いないようだ。