振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

みちのく岩手の旅(2)三陸沿岸の浄土ヶ浜にあった宮古湾海戦記念碑

2019-04-16 12:11:58 | 旅行
4月11日朝の盛岡市内は小雨がぱらつき、盛岡城跡の草むらには夜間に降った雪がうっすらとシャーベット状に残っていた。屋根に雪を載せた車も何台か走っていて、周辺の山間部では積雪がありそうだが、天気予報ではゆっくりと回復してゆくとのことだ。

借りた車にはスタッドレスタイヤが装着されているが、なるべく雪道は走りたくない。30代半ばまではスキーに出掛けることも多く、冬季になるとマイカーにはスパイクタイヤを履かせていたが、その後は雪道の経験も少ない。今では雪道を走ると緊張感でお尻がムズムズしてくる。

今晩は南花巻の温泉宿を予約しているが、龍泉洞から三陸沿岸に出て、大槌から遠野を経て花巻のコースを予定していた。ヨメの都合でホテルのチェックアウトが遅れたことと、雪になると走行ペースも落ちるので龍泉洞をあきらめて盛岡から宮古まで直行することにした。地図を見る限りではこの方が雪の影響も少ないように思えた。

盛岡を出て国道106号線を山間部にさしかかると周りは雪景色になってきた。しかしながら車の通行量は少なくないので道路上には雪が積もっていない。何とか峠も越え、106号線は閉伊川とJR山田線と並走するように宮古に向かって下っている。



東日本大震災とそれに伴う津波災害からの復興関連工事のためか、ダンプカーの通行量がやたらと多い。途中、国道の拡幅やトンネル工事を多く見た。

宮古市内を抜け、正午前に浄土ヶ浜に到着。生憎と小雨が降っていて、駐車場には観光客の車が数台。お台場展望台まで歩いてみた。





観光船や洞窟観光用のボートが見えたが、動いている様子はない。海の季節がやってくれば賑わうのだろうが、雪の降る4月に来る場所ではなかったようだ。



展望台までの途中に宮古湾海戦の記念碑を見つけた。戊申戦争の際、旧幕府軍艦隊の回天が宮古湾に停泊中の甲鉄を中心とする新政府艦隊に奇襲をかけた海戦だ。戦法はフランス語でアボルタージュ、敵艦に接舷して武装兵を移乗させて敵艦を拿捕することを目的にした攻撃で、元新選組副長の土方歳三もこの作戦に参加している。

結局攻撃は失敗に終わり、回天は函館に帰投するが、その後の函館戦争で焼失し、土方歳三は戦死。

以前、司馬遼太郎の「燃えよ剣」をはじめ、土方や新選組に関する小説や史書を何冊か読み、その中でアボルダージュの言葉も覚えたが、宮古湾に海戦の記念碑があることは知らなかった。作戦を提案したのが土方のように書いてある本もあるが、旧幕府軍に参加していたフランスの軍事顧問の発案とみるのが順当だと思う。

銃砲火を交えるだけでなく白刃を振るった海戦だっただけに剣豪土方歳三の存在が強調されてしまうが、実際の海鮮で彼の活躍があったのかは疑問だと思っている。