振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

江南の運河と橋

2017-11-26 09:13:48 | 日記
昔、学校で習った運河と言えばスエズ運河とパナマ運河だが、高校生くらいまでは運河とは海と海を繫ぐために掘られたものだと思っていた。

何かの機会に鴎外の「高瀬舟」を読んだ後に高瀬川が人工的に開削された運河だったと知ったが、実際に高瀬川や日本で運河を走る船など見たことがないためイメージは膨らまなかった。

中国の歴史書などで「南船北馬」の言葉を知り、海外の小説などでロンドン周辺やオランダ、フランスなどにも多くの運河があることを知ったのはかなり後のことだ。

今回のツアーでも上海から無錫、蘇州へ移動する間にも多くの運河を渡り、蘇州では京杭大運河の見学をした。無錫や蘇州、上海という大都市の中にも多数の運河が残り、多くはないが貨物用の船が航行している。



北京と杭州を繫ぐ京杭大運河は世界遺産に認定され総延長は2500kmとか。現在は利用できない区間もあるようだが往時には東北の瀋陽から広州まで繋がっていたと聞いた。すごいスケールだ。


万里の長城と並ぶ大規模土木事業だと思うが長城と比較すると見た目の壮大さがない。歴代王朝の安全保障や異民族の侵略からの防衛には長城の果たした役割は大きいが、塩や食料を中心に物資の流通がスムーズになったという点での運河の果たした役割は更に大きいと思う。

日本でも歴代の支配者が洪水対策や灌漑のための治水事業として疏水開削や河川の流路変更工事を行っているがそのスケールを見ると格段の差がある。そもそも国土の広さが違うので比較しても意味はない。



名所を見るために運河にかかるいくつもの古い石橋を渡ったがすべて船を通すためにアーチ型になり、歩行者は石段を登って降りることになる。




京杭大運河のほとりに「李鴻章祠」と書かれた石碑があった。TEMPLEと書かれているので近くに李鴻章を祀った神社でもあるのだろうか。