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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ラヨーンの果樹園 2

2022年09月09日 | ラヨーン
前回はラヨーンの果樹園で収穫した果物の王様ドリアンを紹介しましたが、当果樹園で収穫できる他の果物を紹介します。





果物の女王マンゴスチン(マンクット)です。

安土桃山時代に柿香合として珍重されたサンカローク陶があります。合子の蓋に果物のヘタを模した摘まみがありますが、これはマンゴスチンのヘタだと言われています。日本にはマンゴスチンがなく、よく似た柿のヘタに見立てたものです。
家具の取っ手にもマンゴスチンの果肉を意匠したものがたくさんあります。
さっぱりした甘さとやや酸味のある白い果肉で、外皮は薬用効果があり、葉も乾燥させお茶として飲用されています。






合子の摘まみがマンゴスチンのヘタを意匠したサンカローク陶と家具のの取っ手です。

3月から4月に花が咲き、雨季に入った5月から7月が収穫期になります。ドリアン、ランプータン(ンゴッ)も同時期です。











ランプータンです。
外観は細い毛が全体を覆った少し怪奇な外観の赤い実です。果肉は白い半透明で卵形をしており、甘く栄養価が高いようです。ただ、この実を食べると果肉に種の外皮もくっついてきて、この食感が苦手です。













リュウガン(ロンコーン)です。収穫は7月から8月です。
友人はドリアンとリュウガンは出荷しますが、それ以外は自家食用、又は果樹園の管理人に与えています。

ブドウの房状に実がぎっしりと成ります。皮は複数に裂けて容易に剝くことができます。実もミカンのように複数が並んでいますが、白くて甘い実には柔らかな種が入っており、避けずに囓ってしまうと口に苦みが残ります。
たくさん実を剝くと果汁が手に付き、乾くと粘って、石けんで洗ってもなかなか落ちません。

ウタラデットにはロンコーンより一回り小さなランサートという果物があります。初めは地域によって呼び名が違うのかと思っていましたが、呼び方を違えると必ず指摘されます。











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ランサートです。ロンコーンより表面が白っぽく、つるっとした感じです。

ラヨーンの果樹園で蝶々撮り

2022年09月05日 | ラヨーン


今年のラヨーンはドリアンの不作年でした。
友人の果樹園、15ライ(25,000㎡)がタイ東部のラヨーンにあり、果物の王様と言われるドリアン(トゥーリアン)を主に、果物の女王マンゴスチン(マンクット)、ランプータン(ンゴッ)、リュウガン(ロンコーン)やサボテンの仲間ドラゴンフルーツ(ケーオ・マンコン)等々が植えられています。

タイの蝶図鑑「Thailand BUTTERFLY GUIDE」は蝶の生態写真が掲載され蝶々マークで、よく見かける蝶、準希少種、希少種、極希少種(絶滅危惧種)の4段階に区分されています。さすがに蝶マーク1個の極希少種は標本写真になっていますが、蝶マーク4個のよく見かける蝶でも未だ出会えないのがいます。蝶マーク2個はほぼ出会えていません。蝶マーク3個は2、3年に1度出会える程度ですが、その蝶マーク3個の「アオタテハモドキ」がこの果樹園にはいつ行ってもいっぱい飛んでいます。

バンコクからはモーターウェイをバン ブーンで下り、国道344号線、国道3138号線から国道3575号線でマツダやスズキ等の工場がある工業団地を通り抜け約170kmでバン カイの果樹園です。果樹園から25km行くとラヨーンのビーチで遊べます。









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ドリアンの花です。ふさ状に花を付けます。






ふさ状に成った実は、自然落下したり人手で間引いていきます。






収穫出来るようになりました。




収穫したドリアンは業者が買い取りに来ます。引き取り価格は1kgが80バーツです。市場で売られるのは1kg当たり120~160バーツとなります。




大きなドリアン2個を土産に貰って帰ります。1個6kgを越える重さです。


初めの頃は外皮の鋭い棘と血みどろの格闘の末、果肉をグシャグシャに潰していましたが、最近は血を見ることもなく綺麗に実を取り出せるようになりました。

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果樹園にやって来る蝶々の紹介です。

アオタテハモドキは翅を開いたときの寸法4~5.5cmの小さな蝶で、雌雄の翅模様が異なります。
翅を開いてくれるのは早朝の涼しい間で、日が差すとなかなか翅表を見せてくれず、警戒心が強く近づくだけで広い果樹園を遠くまで逃げ去り、なかなか撮せてくれません。
蝶を追いかけ回し、山で撮影する運動量の数倍になりそうです。

オスです。








メスです。翅模様が固体によって微妙に異なります。







オスの求愛行動中です。しかし、メスはその気になれず最後は飛び去っていったのですが、オスは諦めずに、しつこく付きまとっていました。




他にもいろんな種類の蝶が吸蜜にやって来ます。山でも出会いますが、吸水しているところばかりで、やはり、蝶には花が似合います。


アリステウスオナガタイマイ


オナガタイマイ


キベリアゲハ(オス)


ミカドアゲハ


ホソハネアサギマダラ


ヒメアカタテハ


リュウキュウムラサキ


ロンコーンの果汁に集まるタテハチョウです。

チャイロイナズマ


トラフタテハ


果樹園で出会ったチョウトンボです。青いチョウトンボ(和名不明ですが、青い翅元の部分が陽を反射して虹色に輝いていました)もいたのですが、素早く飛び回るだけできれいに撮させてくれませんでした。


スキバチョウトンボ


ベッコウチョウトンボ

(チョウ、トンボの写真はインスタグラム @bangna32 にアップしています)

サンクラブリーの旅(ピロック)

2022年09月02日 | カンチャナブリー
サンカブリーからの帰路です。カオレーム湖の南で国道3272号線の三叉路を過ぎてから、最近人気の秘境、国境の村、ピロックを思い出し急遽Uターンをして国道3272号線をピロックへ向かうことにします。

暫く進むと道路はカオレーム湖に沿い、48kmでバーンライとピロックのT字路です。左折して山越えの曲がりくねった道路となります。路面は穴だらけです。一部で半車線の舗装工事をしていましたが、対向車が来れば大変です、カーブで前方は見えず、逃げ場もありません。幸運にも対向車には出会わなかったが、工事トラックに追いつき20km/hで暫く追走することになりました。

途中にピロック鉱山展望台があり、トイレ休憩です。ここからはカオレーム湖が遠くに望めます。











グーグル マップではピロック村と表示されていますが、正式には「Baan E-Tong」でビルマ語の「霊の山」を意味します。「Pilok」はこの地にあった錫鉱山の名称「Pilok Mine」から来ています。
当初はイギリス統治下のビルマ人、インド人が錫とタングステンの採掘に関わりイギリス軍に売っていました。太平洋戦争が始まると鉱夫たちは新しい鉱山を開くためタイーミャンマー国境に沿って移動していきます。(と解説されていますが、日本軍の侵攻でビルマのイギリス軍が逃走、販売ルートを失ったのでしょう。)
1940年にタイ天然資源省が国営ピロック鉱山を開設します。タイ警察はビルマ人とイギリス軍の商取引を禁じますが、従わないビルマ人労働者と警察の衝突で多数の死者がでます。そして呼ばれたのが「Muang Peelok」、「幽霊鉱山」だと言われています。後に「Pilok」に変更し、鉱山と副行政区域の名前となりました。
その後、大小5、60の民間鉱山が開設し、タイ、ビルマ、インドからたくさんの労働者が集まりイ・トーン村は栄えました。
当初は採掘された鉱石を象でクウェー ノイ川まで運び舟に積み替えて2日がかりでカンチャナブリー中心部へ運んでいました。泰緬鉄道が保存されていればもっと容易だったと思うのですが...
1950年頃には鉱山からクウェー ノイ川まで道路が建設され、1980年代にはカンチャナブリーから鉱山まで一年中通行できるようになり、イ・トーン村は何千人もの労働者が集まり、二つの映画館、飛行場のある町となりました。

しかし、1985年に世界の錫市場の暴落でピロックの鉱山会社は閉鎖を余儀なくされました。鉱山労働者はピロックを去り村はゴーストタウンになります。

現在の村人は、村の小川に沿って錫鉱石を掘ったり、錫鉱石に含有される金の採取で生計をを立てています。















午後2時にピロック村に到着です。村の入り口に小さな池があって、その横が村の駐車場になっています。池の向いに小さなゲストハウスが並んでいます。
まず今夜の宿泊場所を探します。3階建てのゲストハウスの2階の池側の部屋を確保しました。
クーラー、冷蔵庫、テレビ無しの900バーツです。他の宿泊客はまだ居ないようです。
経営者の老婆の話では、駐車場から向いの山頂、ノエン チャン スエク(海抜1053m)で夕日を観賞するソンテウ(小型乗り合いトラック)が一人50バーツで出るそうです。
空を見ていると厚い雲が立ち込めており、とても夕日の観賞が出来る雰囲気ではありません。
取りあえず、駐車場まで行きたむろしているソンテウの運転手と交渉です。これから山頂へ行きたいがいくらで言ってくれるということで、200バーツで交渉成立です。

ノエン チャン スクエ山頂は国境警備隊の駐屯基地になっていますが、訪問者に開放されています。
晴れた日にはミャンマー側の50km離れたアンダマン海が見えるそうです。








イ・トーン村全体です。ざっと数えても百軒少々しか有りません
一般車両はこの先通行止めです








約1時間山頂にいましたが真っ暗な雲が広がってきます。慌てて下山ですが、途中でスコールに襲われソンテウに吹き込む雨でびしょ濡れです。
結局夕方は雲が厚く夕日なんて見れる状態ではなかったですが、ソンテウは人を運んで山頂へ行ったようです。

日の出観賞もあります、朝も雲が厚くて朝日は見られそうになっかたけれど、池の向こうからは賑やかな声が響いていました。





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翌朝です。クーラー無しで暑さを心配しましたが、涼しくてぐっすり眠ることが出来ました。
朝食付きですが、食事は食券をもって裏通りの食堂へ行きます。
この村には食堂と土産物屋数軒有るだけです。土産や食材はほとんどミャンマーから入ってくるようです。
食後はピロック鉱山跡へいってみました。採鉱に使われた車両や道具類が展示されています。
宿の老婆からは奥に池があって錦鯉が泳いでいる、と言われたのですが、日本人にとって錦鯉は珍しくもなく、かといって他に観光する所もないので行ってみました。
驚いたのは、池の水の透明度です。タイへ来て初めて出会った澄んだ水です。

解説ではトンパプーム国立公園内のタングステン鉱山域にあるジョッグカディン滝の水はミネラルを豊富に含み、滝壺で泳ぐと身体がスベスベになるそうです。

池の奥にも小さな滝があり、水はミネラルを一杯含んでいそうです。
「E-Tong」というミネラルウォーターが売られていましたが、裏山の水をそのまま瓶詰めすれば良いだけです。























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秘境です。初めてであった蝶々もいましたので紹介します。
自然豊かで食草も豊富なのでしょう。村の回りにはたくさんの蝶々がいました。


村に来て、最初に出迎えてくれた「アオスソビキアゲハ」です。
タイではどこの山でも出会いますが、出会う機会は非常に少ないアゲハチョウの仲間です。
村入り口の道路を横切る流水で吸水中でした。
尻尾のような長く伸びた尾状突起をヒラヒラさせながらトンボのような敏捷な動きをする蝶です。




錦鯉の池縁の羊歯の上で朝露をいっぱい付けた「チビキマダセセリ」だと思います。
キマダラセセリの近似種は非常に多く同定が難しいです。


サンカブリーの出発を見送ってくれた「インドウラナミジャノメ」です。
裏翅の外縁部に並ぶ目玉模様は、鳥が目玉を攻撃する習性を利用し、もし鳥のつっつきにあっても胴体を守れるようにしています。
翅を開くと大きな眼状紋あり、捕食者に襲われそうなとき翅を開き、敵をひるませてその隙に逃げるそうです。特に地上を徘徊する捕食者に有効だそうです。


ピロック鉱山跡でヒラヒラと飛んでいた「ムラサキマネシアゲハ」です。
初めて出会った蝶です。さて、このマネシ(真似し)ですが、何を真似(擬態)しているのかというと下の蝶「ツマムラキマダラ」です。
ツマムラサキマダラの幼虫は有毒な植物を食べて蝶になります。成虫になっても体内に毒を保存しています。捕食者が毒蝶を食べると中毒を起こし、二度とおそわないように学習します。少数の犠牲によって他の仲間は襲われなくなります。
どこの世界にも知恵者がいるわけで、無毒のムラサキマネシアゲハは毒蝶のツマムラサキマダラの真似をすれば敵は襲わないだろうと擬態を成し遂げました。
ただ、無毒のムラサキマネシアゲハの固体が多いと敵も学習出来ないため、全数が擬態できるわけではなく、選ばれた少数が真似し出来るようです。


毒蝶の「ツマムラサキマダラ」です。
実は、私もムラサキマネシアゲハには騙されてしまい、インスタにツマムラサキマダラとして投稿しました。フォロワーの方から指摘され気付いた次第です。ツマムラサキマダラは学習した捕獲者からは襲われないため、どこの山でも集団でヒラヒラ舞っていますが、その中にムラサキマネシアゲハも混じっているようです。よく真似ているので、今までは気付かなかっただけかも知れません。

毒蝶はたくさんいますが、このように真似るのを擬態と言います。捕食される側は擬態で身を守りますが、捕食者する側も擬態します。例えばカマキリです。緑のカマキリは木の枝になりきり獲物が来るのを待っていますし、木の幹と同化したカマキリもいます。