エーヤワディー川沿いのティリピッサヤ村で昼食です。
馬車も車も、そして牛車も走る道路です。
バガンでは、どこを走っても遺跡が写りこみます。
正午ちょうどに「シー・チュー・レストラン」に到着です。
遠くに見える仏塔はパガン遺跡の南外れに位置する「ローカナンダー・パヤー」です。1059年に初代国王アノーヤター王がスリランカ王から譲り受けた仏陀の歯を納めるために建立したと伝えられています。
東南アジアはインドとの交易により、インド文化の影響を強く受けた地域です。2世紀頃にはヒンドゥー、大乗仏教を信仰する国家が成立しています。10世紀から11世紀になるとスリランカから下ビルマのタトン王国などのモン族都市国家に上座仏教が受容され、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアに広がって行きます。
パガンでも呪術的性格が強い大乗仏教のアリー派が勢力を持っていましたが、アノーヤター王はタトンから招聘した高僧シン・アラハンやタトン攻略で拉致した仏僧によって宗教改革を行いアリー派を一掃します。以降ビルマでは上座仏教が国教として興隆し、王や貴族は積徳でたくさんの仏塔を築きます。
エーヤワディー川の上流を見ます。
食前には、毎回必ず出てくる油で揚げたかき餅です。
油がこってりついて、口がべとべとになります。
たくさんのおかずが出てきます。隣国タイのように唐辛子を使わないので日本人にとっては非常になじみやすい食事です。
レストランの従業員に見送られてホテルへ向かいます。
ホテル前の道路です。地図を見ると幹線道路のようですが、未舗装道路です。
午後1時30分、ミョデイッ村(ニュー・パガン地区)の東外れにあるルビー・トルゥー・ホテルにチェック・インです。
午後4時から漆工房、アーナンダー寺院、シュエサンド・パヤーからの落日観賞となっていますが、昼間の2時間半をホテルで過ごすほど無駄なことはなく、散策に出かけることにします。
サボテンの一種です。パガン遺跡では人の背丈より高く育ったのをたくさん見かけました。
ミャンマー人は裸足できめの細かい砂地の上を歩いています。僕も見習って裸足で外出したのですが、珍しい植物を探して枯れた草むらへ入ったのが失敗でした。この一帯の草はほとんどが棘を持っているのです。
その場で抜いたのですが、折れて皮膚内に残ったものがたくさんあって、その後の遺跡巡りは痛みをこらえての歩行となりました。
夕食後ホテルに戻り、足裏の皮膚に埋もれた棘を従業員数人がかりで抜いてもらう羽目になりました。
午後4時10分、迎えの車に乗りこみます。
ミョデイッ村の漆工房に立ち寄ります。
バガンを代表する産業に漆工芸があります。乾燥したバガンの気候が漆産業に適しているのでしょうか、パガン王朝のころから盛んに漆製品が生産されていたようです。
制作工程ごとに展示されています。
日本では漆製品の素地といえば、木地師が作る木製品に漆を塗り重ねていきますが、バガンでは薄く削いだ竹を編んだり、馬の尻尾の毛で竹を編み込んでいます。
非常に軽くて弾力性のある製品になります。
型に添わせて、薄く削いだ竹材を馬の尻尾の毛を編み込んでいるところです。
こちらでは竹材に巻き癖を付けて、竹材だけの素地を作っています。
フラッシュをたかないと写真撮影が出来ないような暗い部屋で、塗った漆の上に模様を描いています。
絵柄は仏教に関した模様や鳥、象等が下絵なしで手際よく彫り込まれて行きます。
手動ろくろで素地を削っています。
漆を乾燥させるムロのようです。
続きに売店があります。
漆工房の店先にある水甕の蓋も漆塗りです。
午後4時40分、水掛けはだいぶ寒くなってきました。
見ていると下着姿の少女は、水を汲んでは地面に撒くことの繰り返しでした。
馬車も車も、そして牛車も走る道路です。
バガンでは、どこを走っても遺跡が写りこみます。
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正午ちょうどに「シー・チュー・レストラン」に到着です。
遠くに見える仏塔はパガン遺跡の南外れに位置する「ローカナンダー・パヤー」です。1059年に初代国王アノーヤター王がスリランカ王から譲り受けた仏陀の歯を納めるために建立したと伝えられています。
東南アジアはインドとの交易により、インド文化の影響を強く受けた地域です。2世紀頃にはヒンドゥー、大乗仏教を信仰する国家が成立しています。10世紀から11世紀になるとスリランカから下ビルマのタトン王国などのモン族都市国家に上座仏教が受容され、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジアに広がって行きます。
パガンでも呪術的性格が強い大乗仏教のアリー派が勢力を持っていましたが、アノーヤター王はタトンから招聘した高僧シン・アラハンやタトン攻略で拉致した仏僧によって宗教改革を行いアリー派を一掃します。以降ビルマでは上座仏教が国教として興隆し、王や貴族は積徳でたくさんの仏塔を築きます。
エーヤワディー川の上流を見ます。
食前には、毎回必ず出てくる油で揚げたかき餅です。
油がこってりついて、口がべとべとになります。
たくさんのおかずが出てきます。隣国タイのように唐辛子を使わないので日本人にとっては非常になじみやすい食事です。
レストランの従業員に見送られてホテルへ向かいます。
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ホテル前の道路です。地図を見ると幹線道路のようですが、未舗装道路です。
午後1時30分、ミョデイッ村(ニュー・パガン地区)の東外れにあるルビー・トルゥー・ホテルにチェック・インです。
午後4時から漆工房、アーナンダー寺院、シュエサンド・パヤーからの落日観賞となっていますが、昼間の2時間半をホテルで過ごすほど無駄なことはなく、散策に出かけることにします。
サボテンの一種です。パガン遺跡では人の背丈より高く育ったのをたくさん見かけました。
ミャンマー人は裸足できめの細かい砂地の上を歩いています。僕も見習って裸足で外出したのですが、珍しい植物を探して枯れた草むらへ入ったのが失敗でした。この一帯の草はほとんどが棘を持っているのです。
その場で抜いたのですが、折れて皮膚内に残ったものがたくさんあって、その後の遺跡巡りは痛みをこらえての歩行となりました。
夕食後ホテルに戻り、足裏の皮膚に埋もれた棘を従業員数人がかりで抜いてもらう羽目になりました。
午後4時10分、迎えの車に乗りこみます。
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ミョデイッ村の漆工房に立ち寄ります。
バガンを代表する産業に漆工芸があります。乾燥したバガンの気候が漆産業に適しているのでしょうか、パガン王朝のころから盛んに漆製品が生産されていたようです。
制作工程ごとに展示されています。
日本では漆製品の素地といえば、木地師が作る木製品に漆を塗り重ねていきますが、バガンでは薄く削いだ竹を編んだり、馬の尻尾の毛で竹を編み込んでいます。
非常に軽くて弾力性のある製品になります。
型に添わせて、薄く削いだ竹材を馬の尻尾の毛を編み込んでいるところです。
こちらでは竹材に巻き癖を付けて、竹材だけの素地を作っています。
フラッシュをたかないと写真撮影が出来ないような暗い部屋で、塗った漆の上に模様を描いています。
絵柄は仏教に関した模様や鳥、象等が下絵なしで手際よく彫り込まれて行きます。
手動ろくろで素地を削っています。
漆を乾燥させるムロのようです。
続きに売店があります。
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漆工房の店先にある水甕の蓋も漆塗りです。
午後4時40分、水掛けはだいぶ寒くなってきました。
見ていると下着姿の少女は、水を汲んでは地面に撒くことの繰り返しでした。
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