の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

堺市博物館 「タイの古陶磁 Ⅲ」(2)

2015年05月22日 | 博物館

企画展の解説書です。

円筒形をした博物館の最後の展示室で企画展「タイの古陶磁 Ⅲ」が催されています。

まず個人コレクションの展示からです。パネルにはタイの歴史と日本の関係が解説されています。


解説ではシー・サチャナライ窯の「無釉・波状文四耳大壺」となっています。
非常に珍しい広口壺です。
焼締の壺は骨壺として土中に埋められていた壺もありますが、それらは底面に孔が穿ってあります。用途はわかりませんが、展示品は側面に孔があります。


シー・サチャナライ窯の「無釉・花文押型四耳壺」となっていますが、口縁部の処理、首部の長さ、底周縁の張り出し形状、そして決定的な印花文。全てスパンブリーのバン・バーンプン窯の特徴を示しています。
バン・バーンプン窯はター・チン川の畔で1100年代に製陶が始まったとされており、同時代のブリラムの窯構造との類似が指摘されています。西漸するクメールとチャンセーンのモンの器体造りの技術が融合して発展したものかも知れません。また、廃窯は1500年代と考えられています。

やはりシー・サチャナライ窯の「黒釉大乳瓶(ケンディ) 15世紀」となっています。
巨大なケンディで厚めの黒釉が施されています。外観からはシー・サチャナライよりシンブリーに近いようにも見受けます。

シンブリーのメナム・ノイ窯の「褐釉四耳壺 15~16世紀」です。
1370年頃にスコータイの陶工や中国人陶工がシンブリーに移住、メナム・ノイで生産を始めます。明の海禁令でタイの陶器は1380年頃から第1回目の輸出の最盛期に入ります。

メナム・ノイ窯の「褐釉広口壺 15~16世紀」です。
展示されているタイの陶器は以上の5点です。
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次のコーナーに20点のミャンマーの優品が展示されています。


1287年にモン族によって建国されたペグー王朝の寺院壁面を飾った陶板です。
王都ペグーは1599年に侵略したビルマ族によって徹底的に破壊されます。
いつごろペグーの寺院から持ち出されたのか分かりませんが、ミャンマー国境のタノン・トンチャイ山系の墓墳からも大量に出土したようです。


やはりモン族によってヤンゴンの南西、トワンテで焼成された青磁です。


1900年代の末に初めて知られるようになった、白釉緑彩皿です。錫鉛釉に銅で緑彩が描かれています。材質の化学分析でミャンマーで焼成されたことが分かっていますが、窯の所在地はまだ特定されていません。おそらくペグーの周辺でしょう。








白釉緑彩花文壺

青磁縞文皿(メーソット出土)




白釉皿(メーソット出土)

白釉花文輪花皿















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展示品を解説したパンフレットです。日本で初めてチャンパの陶片が出土したという内容ですが、交易都市として栄えたホイアンにはアユタヤと同規模の日本人町もあり、日本との関係も深かったと思われるのに初発見とは意外でした。

堺環濠都市遺跡から出土の17世紀初期のミャンマーの焼締壺です。




展示品の解説は「メナムノイ窯 四耳壺 16世紀後半」、「堺環濠遺跡出土品で、この壺が出土した16世紀後半頃には、福岡市博多遺跡群や大分市大友府内跡からメナムノイ窯の四耳壺が多数出土しています。
大友宗麟の南蛮貿易によりポルトガル船など通じて多くの物資が両地に輸入されていました。
この四耳壺も両地を経由して堺へ運び込まれた可能性もあります。」と書かれています。

展示品の解説は「メナムノイ窯 焼締壺 17世紀」、この四耳壺は、「慶長20年(1615年)の焼失後に町を復興するためにほどこされて整地土の中から他の陶磁器と共に出土しています。
慶長20年で出土するメナムノイ窯の四耳壺よりは、耳の形など新しい様相をもっています。」となっています。





























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仏画の由来が書かれています。
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タイから伝来の青銅仏です。

学芸講座と展示品の解説が午後2時から3時半までありました。

帰りに見かけたいたすけ古墳出土の冑形埴輪で、堺市の文化財保護のシンボルマーク「衝角付冑形埴輪」のモニュメントです。


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