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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

サンカロークの蟹

2016年05月06日 | 陶磁器(タイ)
久しぶりにチャトチャク市場の骨董商を訪れました。
訪問記念にもらった「褐釉親子鶏」です。全長3.2cm、全高2.8cmの小品です。
ピサヌロークのナーン川、ワット・ヤイ上流の川上がり品です。


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やはりナーン川の川上がりの蟹です。
口径2.5cm、胴径7.5cm、底径4.0cm、高さ4.0cmの「鉄絵蟹形小壷」です。蓋は口径にあった別物を合わせています。
「ディーン・シー・ポーン」と呼ぶ、顔に塗る白い化粧粉を入れていました。
14世紀から16世紀のパ・ヤーン窯で生産されました。






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「騎羊兵士陶板」5.0cmX5.0cmの上質な陶土に型押ししています。遺跡の古い運河、もしくは濠跡を掘削中に出土したようです。
「ルーク・ペー・マイトン・コン・クー・ピー・マーメー」と呼ばれ、未年生まれの人がお守りとして身につけていたようです。
14世紀から15世紀のパ・ヤーン窯で生産されました。



参考にシーサチャナライの東10kmにあるバーン・ドン・ピックのスコータイ時代の民家跡より出土した「騎象兵士陶板」と並べてみました。
出土した民家跡周辺は現在サトウキビ畑になっていますが、掘ると近くにスコータイ時代の川底があるようです。
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この碗の蓋(?)もピサヌロークのナーン川から上がりました。
「愛山、または山愛、HASHIDA、JAPAN」の銘があります。
輸出用の伊万里で古いものではありませんが、蓋に堂々と銘を入れたもので、日本では見かける機会がないので載せておきます。

染付磁器から短絡的に「伊万里」と記しましたが、「輸出磁器・愛山」で検索すると「愛媛県生涯学習センター」のホームページに砥部焼きの窯元が出てきました。
砥部の愛山窯等で明治20年頃から中国、東南アジア向けの輸出用の型絵染付茶碗が生産されます。大正6年には東南アジア向けの「伊予ボール」のブランド名で輸出の最盛期を迎えます。第二次世界大戦で生産は停滞するも、戦後「伊予ボール」の輸出が再開されます。しかし、戦前のようには振るわなくなり、昭和28年頃には国内向けに転じます。


図柄は9頭の獅子と牡丹(?)です。
輸入された完品はたくさん現存するようです。本品は参考にもらってきました。

ということで、輸出用の砥部焼き「伊予ボールの蓋」に訂正します。



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これも参考にもらった、シーサチャナライの練り上げ水注の破片です。
「ラー・ヒン・オーン(大理石模様)」と呼ばれ、鉄分の多い赤みのある土でベースを作り、三色の土を練り合わせた化粧土を薄く貼り付けて低温焼成するのですが、写真の陶片はかなり厚い練り上げ土が使われています。

モン族のハリプンチャイで用いられた技法ですが、シーサチャナライに伝わっています。






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出土品とは関係ありませんが、友人が送ってくれた遺跡発掘現場の写真を参考に転載します。
2台のパワーショベルで城壁の濠跡を掘削していきます。





当然ながら、遺物は破壊されていきます。小さな陶器などは破損を免れるものがあるようです。



「ワット・チャーン・ローム」周辺の発掘です。



シーサチャナライ西側遺跡の仏塔周辺の発掘です。



ツルハシとクワでがんがん掘っていきます。2m以上の深さがあります。