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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

タマリンドの寺(プラタート・カーム・ケン)

2014年06月09日 | コーン・ケン

プー・プラ森林公園に古代人の洞窟はありましたが、仏像を見ることが出来ませんでした。
午後2時、国道2152号線から国道2039号線に出て「プラタート・カーム・ケン」に参拝、その後コーン・ケン市街と向かいます。

午後3時40分、「プラタート・カーム・ケン」の建つ「ワット・チェティヤプーム」に到着しました。

堂内では「ブン・パー・ウェット」(ヴェサンタラ・ジャータカ祭り)が催されています。
僧侶が「パー・ウェット・チャードック」を吟唱しています。

堂の壁には「パー・ウェット」の絵巻物が掲げられています。







参道では機械仕掛けの僧侶が托鉢に回っています。

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■「プラタート・カーム・ケン」は「タマリンドの心材の仏塔」と呼ばれ、昔、クメール王国の都市、モーリの領主が9人の高僧に、建設中のプラタート・パノムに納める仏舎利を届けるよう任命しました。
9人の高僧は、この地に来ると枯れたタマリンドの木があり、そこで一夜を過ごします。
翌日、一行がナコーン・パノムへ到着すると、プラタート・パノムはすでに完成していることを知りました。9人の高僧は仕方なく来た道を戻ります。
再びこの地に差しかかった時、枯れていたタマリンドの木が芽を吹き、青々と茂っているのに驚きました。仏舎利のご利益だと信じた一行はこの地に仏塔を建設し、仏舎利と仏陀を安置しました。
タマリンドを意味する、「(マ)カーム」と心材の「ケン」から「プラタート・カーム・ケン」(タマリンドの心材の仏塔)と呼ばれるようになったそうです。
「コーン・ケン」の起源も「カーム・ケン」から来たと言われています。
仏塔は後に改築されて現在に至っています。






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■参考に「マカーム」(タマリンド)を紹介します。
「マカーム」の花です。

「マカーム」の実です。硬くなった皮を割ると、種を覆うように紫色の果肉があり生食します。果肉を加工した食品も結構見かけます。
タイではいたるところで見かける木です。
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仏塔の後ろには煉瓦造りの布薩堂があります。また、新しい布薩堂の周りにはドヴァーラヴァティー時代の結界石が立っています。



布薩堂の扉の左右には門衛が立っています。


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■本日は「ブン・ケーン・ナコーン」の畔に泊まります。
「B.Bホテル」、一泊590バーツで朝食にコーヒーとトーストのサービスがあります。部屋からは「プラ・マハタート・ケン・ナコーン」の尖塔が見えます。



前回訪れた時は、午後8時過ぎまで待っても点灯しなかった「プラ・マハタート・ケン・ナコーン」に、今日は夕暮れから明かりが灯っています。





角度を変えた市街の中心部です。

コーン・ケン (ワット・サ・トーング・バン・ブアのシム)

2014年04月10日 | コーン・ケン
■コーン・ケンの2日目です。

「チャルーン・ターニー・ホテル」の部屋から見るコーン・ケン市街です。

ホテルのロビーです。

午前7時40分、少し遅めの朝食です。
本日の予定は何もなく、チェックアウト後にまずブン・ケン・ナコーン畔にある「TAT」へ行き、コーン・ケン周辺のガイドブック、地図を入手してから決めます。



ホテルの全景です。

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「TAT」で入手した、イサーン中央4県の観光ガイドブックです。いずれもの県もコーン・ケン博物館に展示されていたドヴァラヴァティー遺跡の遺物が出土しています。

コーン・ケンの観光地図です。朱書きの経路でバンコクへ戻ることにします。

「TAT」の並びに「プタ・タート・ケン・ナコーン」があるので参拝してから出発することにします。

堂中央に安置されている仏舎利ですが、今朝は天蓋に明かりが灯っています。



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■国道2号線を南下、チャイヤプームへ向かう国道2131号線から国道2062号線で「マンチャ・キーリ」の「ワット・サ・トーング・バン・ブア」へ行きます。およそ45kmの距離です。

「シム」と呼ばれる布薩堂で1831年建立の煉瓦積みの建屋です。外壁に漆喰で浮き彫りにされたプリミティブな絵柄に青色と黄土色で彩色され、所々にガラスがアクセントとして嵌めこまれています。
「シム」とは布薩堂で「ウボソット」の小さなものを呼びます。本来は東屋のような意味合いを持つ言葉のようです。

光の加減で陰影が弱くて分かりにくいのですが、棟下にたくさんの天人像か人物像があります。







表面の漆喰が剥がれて、煉瓦がむき出しになっています。絵柄はイサーンの土着的な宗教画です。(解説には創建時の風俗が描かれている。と書かれています。)

















「シム」の中です。白壁の実にシンプルな内陣です。

ラーン・チャーン様式の石仏がご本尊です。

本堂横に二本の角柱が建っています。誰に聞いても柱の持つ意味が分かりませんでした。「入口の門」という意見が多かったのですが・・・。

柱には象の彫刻がされています。

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■走行中に祠を発見、立ち寄ります。「ボラーン・ノーン・シーラー・レー」

「ボラーン・ノーン・シーラー・レー」と所在地の「マンチャ・キーリ」の表示です。



結界石を集めて、祀られています。「石の丘」という意味を持つ遺跡のようですが、周りには荒れた土地があるだけで何もありません。

赤色砂岩の表面は摩耗していますが、仏陀の姿が彫られていることが分かります。

こちらも彫刻はほとんど摩耗しています。

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■マンチャ・キーリからチー川が大きく川幅を広げ、ケン・ケーオ湖になっています。湖に沿ってチョンナボット市街に入る手前に「サラ・マイ・タイ」があります。女王陛下の60歳の誕生日を記念して建設されたイサーンの絹布(マットミー)の展示館です。
また、女王陛下は、イサーンの絹布の伝統保存と育成にも取り組んでおられます。




大花百日紅(ドク・インタニン・ナーム)の花が満開です。日本の百日紅と花の形は同じですが、花の大きさは数倍はあります。

一階は絹布や衣類、小物を販売しています。

こちらは販売品です。6500バーツの値札が付いています。2万円弱です。



こちらは3350バーツ、約1万円です。すべて工程が手作業です。作る工数を考えると非常に安い価格だと思います。



二階が展示場になっています。イサーン各地から集められた絹布が展示されています。

それぞれの絹布に模様の名前が付いています。





博物館を出たのが午後3時10分です。国道2199号線を南下し、国道2233号線で「ポーム」で国道2線に合流し、ナコーン・ラーチャシーマーから国道2号線の渋滞を避け国道304号線を「カビン・ブリー」経由でバンコクへ戻ります。帰宅は午後9時40分、本日の走行距離529km、総走行距離は1011kmでした。

コーン・ケン (プラ・マハタート・ケーン・ナコーン)

2014年04月04日 | コーン・ケン
■コーン・ケンはバンコクから470km、イサーン第2の都市です。県内には先史時代からドヴァラヴァディー時代を経てクメール統治時代の遺跡がありますが、現在のコーン・ケン市ができたのは比較的新しく、1783年に「タオ・ピア・ムアン」がヴィエンチャンから330人の農民を引き連れてチー川流域に定住したのが始まりで、その後コーン・ケン市近郊を転々として、1901年に中心集落が現在の土地に定住しました。
従って、新興市街にはこれといった観光名所はありません。
市街南方に「ブン・ケン・ナコーン」という1k㎡ほどの池があり市民の憩いの場となっています。ブン・ケーン・ナコーンの畔に「プラ・マハタート・ケン・ナコーン」があるので寄ってみました。

「ワット・ノーン・ウェーン」は1793年に初代国主「タオ・ピア・ムアン(プラヤ・ナコーン・シーボリラック・ボロム・ラーチャ・パックディー)」によって建立されました。当初は「ワット・ヌア」と呼ばれていました。
1979年にバンコクの「ワット・ラチャボピット」から仏舎利を迎え入れ、9層の仏塔「プラ・マハタート・ケン・ナコーン」が建設されています。別名「プラタート・ガオ・チャーン」とも呼ばれるドヴァラヴァティー様式とインドシナ様式を組み合わせたイサーンの代表的な仏塔です。
各階の扉や窓扉には9話の仏陀物語が彫刻されています。また、壁画にはコーン・ケンの歴史が描写されています。



仏足跡が屋外の菩提樹の木の下にあります。参拝者が供えた蝋燭や線香の跡がたくさん付いています。





塔の中です。中央に仏舎利が安置されています。
まずはお参りです。





塔内の北東角に階段があって、最上層階まで上ることができます。最上層階から見た「ブン・ケーン・ナコーン」池です。

コーン・ケン市街中心部です。右側の3番目に高い白い建物が参拝前に宿泊を確保してきた「チャルーン・ターニー・ホテル」です。部屋数320室の大きなホテルです。一泊1200バーツでした。

扉に彫られた菩薩像です。

同じく窓扉に彫られた仏陀物語の各場面です。







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■午後5時、ブン・ケン・ナコーンからプラ・マハタート・ケン・ナコーンの夕陽を写真に納めようと池に畔へ来ました。

池の周りに施設されて歩道です。パンヤンの木(トン・サイ)の気根が垂れ下がりトンネル状になっています。まだ日が高く人出はまばらですが、日没頃にはジョギングや散歩の人であふれかえりました。

午後5時35分の夕陽です。



午後5時45分です。このあと夕陽は雲間に隠れました。

日没後のライトアップされたプラ・マハタート・ケン・ナコーンを待っているのですが6時40分になっても点灯されません。
行き交う人に尋ねても「すぐに点灯されるよ」との返答だけです。

蚊に刺されながら午後7時になっても点灯されず、池端の冷房の効いた食堂で食事をしながら待つことにしました。

結局、午後8時まで待ったのですが、まだ点灯されません。
本日の走行距離480km、博物館鑑賞、夕暮れからの蚊との格闘で疲れ、ライトアップ撮影を諦めてホテルに戻ることにしました。
ホテル着は午後8時20分でした。

灰皿とホテルのマッチが備えてありました。