新年度から入選作が9首になった。
NHK短歌は、今や、多くの人々から注目され、短歌芸術発展普及の為の指標の一つとして期待されているとも言える。
そうした性格を備えた短歌発表の場が、広く門戸を開放されることは必要なことではある。
だが、そうは言っても、入選作を多くすれば多くするほど良い、というものではない。
入選作が12首であった昨年度までは、明らかに数字合わせと思われるような作品が1、2首見受けられ、首を傾げざるを得ない場面もあったので、入選作を3首減らして9首としたのは、極めて妥当な措置であったと思われる。
また、昨年度までは、選者と司会者以外に、毎回ゲストと呼ばれる人物が登場して、入選作についての批評や感想などを述べていたのであるが、わずか25分間という限られた時間の中では、彼らゲストが活躍出来る場面は極めて少なく、一種の飾り物的な存在に過ぎなかったから、これを廃止したのも必要にして妥当な措置であったと思われる。
一週目の選者・来嶋靖生氏に続いて、二週目の選者は花山多佳子氏であるが、お二人共に、極めて妥当と思われるご選定をなさり、極めて適切なご選評をお述べになって居られた。
お二方共に、お顔や表情にしても、話し方にしても、その内容にしても、この方々ならば安心して任せられる、と思われるように極めて安定していらっしゃたのである。
それにつけても、大変申し上げ難いことではあるが、公共放送の歌壇の選者となれば、そうした要素も決して無視してはならないものと、私には思われるのである。
旧年度から新年度に掛けて、いろいろと改革された“NHK短歌”であるが、その中でも、最も改革という名に相応しい“改革”は、選者を一新したことではないでしょうか?
市松人形の萎びたようなお顔の選者、何の魂胆があってなのか、幼児紛いの投稿作を敢えて選ぶ選者、あのお二方のお顔を拝んだり、お声をお聴きしなくてももよくなっただけでも、今回の改革は、私にとっては極めて有意義な改革であったと言える。
以上、申し上げたい事を申し上げたいように申し上げましたが、これは一私人の考えであり、忌憚の無い意見でありますから、この内容に関わるような批判的なコメントは、一切お受け致しません。
ご不満をお持ちの方が居られましたら、広い世の中には、こんな事をずけずけと言って平気で居られる奴も居たのか、と思って、お諦め下さい。
それともう一点。
この機会に、重ねて申し上げますが、昨今ばかりでは無く、中世以降のサロン化した歌壇に於いては、「短歌批評の要諦は、当該作品の優れた要素だけを採り上げて称揚する事。批評の対象としなければならない作品に、優れた要素が何一つとして無い場合は、その作品そのものを無視して、何ら触れない事。批判めいたことは一切言わない事」である、などという、凡そ愚にもつかない迷信が横行していて、当ブログに寄せられる匿名の方からのコメントの中の上質なコメントの多くは、「それが歌壇の、短歌人のエチケットだ」とばかりに、その迷信の美質を懇切丁寧に、懇々とご説明なさったものである。
大抵の者ならば、こうした懇切丁寧なコメントに接した場合は、その発信者が例え匿名の方であったにしても、「大変ありがとうございます。これからはあなた様のご意見を大いに参考にさせていただきます」などと記してお茶を濁すだろうと思われるのであるが、私・鳥羽省三に於いては、そんな無駄な措置は一切せずに、発見次第直ちに“削除”させていただきますからご承知置き下さい。
重ね重ね申し上げますが、私は、素晴らしい作品の素晴らしい点は、大いに称揚させていただき、素晴らしくない作品の素晴らしくない要素については、遠慮しながらも少しく述べさせていただくつもりなのですから、悪しからず。
[特選一席]
○ 茶柱の立つが如くに望まれる筑波嶺からのスカイツリーは (土浦市) 田正紀
我が国が世界に誇るべき科学技術及び建築技術の粋を結集した建てた「スカイツリー」をして「茶柱の立つが如くに望まれる」とは、何とご大層な直喩であり、何と素晴らしい眺望ではありませんか。
「筑波嶺」と言えば、万葉の昔に我が国随一の高峰・富士の高嶺と“背比べ”をして、彼を一蹴した、という輝かしいこ経歴をお持ちの尊い御山で御座います。
したがって、その高嶺に立って一望すれば、あの東京の下町中の下町とも言うべき押上の地に、小便臭くもちょこんと立っている東京「スカイツリー」如きは、「茶柱」も「茶柱」、100g500円以下のお番茶を笠間焼きの急須で淹れて、橘吉の5客3000円程度のお茶碗に注いだ時に出る「茶柱」程度の、けち臭く憐れな「茶柱」であったに違いありません。
雄大な展望にして卓越した直喩。
小生如きが、こと改めて称揚するのは失礼千万とも言われるほどの傑作と思われます。
〔返〕 筑波嶺と肩並べようとは猪口才な下がれ下郎めスカイツリーよ 鳥羽省三
[同二席]
○ 陽炎に掴まるごとく幼子は立ち上がりたり麦の大地に (長野県松川町) 鋤柄郁夫
何と驚いたことに、作中の「幼子」は「掴まる」相手にも事欠いて、あのゆらゆら揺曳して止まない「陽炎に掴まるごとく」して「立ち上がり」、季節柄、青く若々しく生い茂る「麦の大地」に、見事に立ったということである。
「陽炎」がゆらゆらと漂い、青い「麦」が今を盛りと生い茂る「大地」に「幼子」を立たしめた若々しいイメージは大変素晴らしく力強い。
これ亦、傑作中の傑作でありましょうか。
〔返〕 青痣も未だ消えざる幼子が麦の大地にすつくと立てり 鳥羽省三
[同三席]
○ 夕闇の播州平野に高炉二基黒々と立つ昭和は遠し (明石市) 上野克巳
作中の「夕闇の播州平野に」「黒々と立つ」「二基」の「高炉」とは、兵庫県加古川市金沢町に在る、神戸製鋼所加古川製鉄所の「高炉」を指しているのでありましょうか?
加古川製鉄所の「高炉」と言えば、大気汚染問題などで世間からいろいろと取り沙汰されながらも、戦後日本の経済発展の推進役の一つとして働き、今となっては遠い「昭和」のシンボル的存在であったことは事実である。
したがって、「昭和は遠し」と歌う、本作の作者の感慨には無理からぬものが在ると思われる、とは、一応の評言であり、本論はこれからである。
それは本作の魅力の一つでもありましょうが、本作の曖昧な点は、「夕闇の播州平野に」「黒々と立つ」「高炉二基」に対する、作者・上野克巳さんの心の在り方が、今ひとつ明らかでないことである。
本作中で、作者ご自身の主観的な感情をお述べになられた言葉は「昭和は通し」だけである。
だが、その「昭和は通し」は、単なる「昭和は遠くて懐かしい」というだけの「昭和は通し」だけでは無く、その中身には、その「二基」の「高炉」に因って齎される大気汚染に対するマイナス評価や、その「二基」の「高炉」を、郷土「播州平野」の誇りとして、祖国・日本の復興のシンボルとして仰いだ過去の思い出など、さまざまな感情が含まれているものと思われるのである。
詠い出しに「夕闇の」とあり、四句目に「黒々と立つ」とあるが、それらの語句は、ただ単に、郷土「播州平野」に「立つ」「二基」の「高炉」の立っている時刻や、その色彩を客観的に説明しただけのものではないだろう、とするのが、評者の意見である。
もう一点、申し述べると、作中に「播州平野」という地名が出て来た以上は、本作と宮本百合子の小説『播州平野』との関わりも、私には無視出来ない。
〔返〕 公害の発生源と言はれつつ播州平野を睥睨せしか 鳥羽省三
因習のごと黒々と立つ高炉二基を見上げて吾は生い来ぬ 々
[入選]
○ 風落ちて雪になるらむ静けさに常より早く厨に立つ妻 (仙台市) 勝 美彰
「風落ちて雪になるらむ静けさ」の中を「常よりも早く厨に立つ妻」のお淑やかさと風流心。
そして、屋外の様子を「風落ちて雪になるらむ」と感じつつも、その「静けさ」の中で、「常より早く厨に立つ妻」の気配や思いを馳せ、それでも未だ尚且つ寝床に居る夫・勝美彰さん。
夫婦二人だけの家庭の理想郷は此処に在り、と申しましょうか?
何とも言えないような興趣が感じられる佳作である。
本作の作者・勝美彰さんのお住いは仙台市である。
仙台市と言えば、今回の大震災の被災地である。
“嵐の前の静けさ”と申しましょうか、あの惨禍の直前に、かくも静かで趣き深い夫婦の営みが確かに在ったのである。
それに引き比べ、今日は晴天。
只今、平成23年4月12日の午前8時07分、我が連れ合いの翔子は、未だ寝床の中なのである。
8時10分、只今、地震が揺り、我が家はかなり揺れて居ります。
源右衛門製の和食器・百数十枚及びヘレンドの洋食器数十枚を含めた我らの生活資材の全ては、我らの命と共に壊滅に帰するのでありましょうか?
〔返〕 風も無く快晴の朝地震揺り妻の翔子も慌てて起床 鳥羽省三
勝美彰さん作と比較して、我が返歌の、何と興趣に欠け、何と品格に欠けることでありましょうか。
地震の揺れの中での即興の作とは言え、自分の拙さが悔やまれます。
只今、8時23分、地震の揺れは今し方、漸く治まりました。
翔子の話に拠ると、震源地は千葉県とのこと。
○ いつよりか仏間に過ごす時の増ゆ机に捉まり「よいしょ」と立ちぬ (能代市) 佐々木克子
「いつよりか」に何とも言えないような味わいが在る。
「何時の頃からかは、当人である私自身も分からないが、自分でも気がつかない何時の頃からか、私には、ご先祖様方をお祀りした『仏間』で『過ごす』時間が増えたのである。どうしてなのかしら」といった感じなのである。
これから、お炊事でもなさるおつもりなのか、その「仏間」で「過ごす」一時が過ぎ、本作の作者・佐々木克子さんは、傍らに在る経「机に捉まり」立ち上がろうとした。
その立ち上がろうとした瞬間に、彼女は思わず「よいしょ」と掛け声を掛けて立ち上がったのである。
「仏間」で「過ごす」一時を切り上げて立ち上がろうとする時に、思わず「よいしょ」と掛け声を掛けることになった時期についても、今の彼女には皆目見当が付かないのである。
〔返〕 秋田杉材木の町のお婆ちゃん佐々木克子は「よいしょ」と立った 鳥羽省三
○ 抜糸終え車椅子より立つ吾を鏡は見てる手は貸さねども (豊島区) 佐藤糸子
「そんなにじろじろ見なくてもいいよ。私はただ歯槽膿漏にやられた奥歯を抜いただけだよ。人相は少し悪くなったかも知れないが、私は何一つ悪いことはしてないんだよ。そんなにじろじろ見つめるなよ。お前は、『抜歯』を『終え』この『車椅子』から立ち上がろうとしても、なかなか立ち上がれないで居る私に、何一つ「手」を貸そうともしないでさ。全く失礼しちゃうよ。身体が不自由なんだから、それに年なんだから、『車椅子』に乗ったままで『抜歯』をしても仕方が無いでしょう。『鏡』の馬鹿、情な無し」といった感じなのである。
〔返〕 豊島区の大年増なる糸子さん従姉弟でもない鏡にぶつくさ 鳥羽省三
○ 神妙に二人廊下に立ちながら肘であなたに責められていた (松本市) 牧野内英詞
“わたし”と「あなた」は、立たされ坊主だったんですね。
しかも、その原因は“わたし”にあったから、「神妙に二人廊下に立ちながら」も、“わたし”は「あなた」に「肘」で「責められていた」のであった。
〔返〕 好いて居たあなたと一緒に立たされた何時間でも立ってたかった 鳥羽省三
○ 立つたまま凍りてをりし大根を寒の夕暮れ抜きて帰りぬ (岐阜市) 後藤 進
凍みた「大根」は食べても美味しくなかったでしょう。
味噌汁の具材にでもすれば、少しは食べられたでありましょうが。
〔返〕 立ったまま凍りつきそな男根を寒の霜夜に抜いてしまった 鳥羽省三
○ 道端に托鉢僧のごとく立つ灰皿持ちて煙草吸う人 (徳島市) 新井忠代
居りますよ、居りますよ。
私の目にする範囲で言えば、小田急線新百合ヶ丘駅の隣りの三井住友銀行の脇の「道端」に、「煙草」を「吸う」男女が、いつもいつも10人前後居ますよ。
でも、彼らは、本作中の「煙草吸う人」とは異なって、「灰皿」など持っていないから、「托鉢僧のごとく」とは言えません。
せいぜい褒めても、「道端」の垣根に右足を上げて小便をしている肺癌志願の野良犬のような感じですよ。
〔返〕 道端で煙草を吹かすあいつらは高額納税志願者である 鳥羽省三
NHK短歌は、今や、多くの人々から注目され、短歌芸術発展普及の為の指標の一つとして期待されているとも言える。
そうした性格を備えた短歌発表の場が、広く門戸を開放されることは必要なことではある。
だが、そうは言っても、入選作を多くすれば多くするほど良い、というものではない。
入選作が12首であった昨年度までは、明らかに数字合わせと思われるような作品が1、2首見受けられ、首を傾げざるを得ない場面もあったので、入選作を3首減らして9首としたのは、極めて妥当な措置であったと思われる。
また、昨年度までは、選者と司会者以外に、毎回ゲストと呼ばれる人物が登場して、入選作についての批評や感想などを述べていたのであるが、わずか25分間という限られた時間の中では、彼らゲストが活躍出来る場面は極めて少なく、一種の飾り物的な存在に過ぎなかったから、これを廃止したのも必要にして妥当な措置であったと思われる。
一週目の選者・来嶋靖生氏に続いて、二週目の選者は花山多佳子氏であるが、お二人共に、極めて妥当と思われるご選定をなさり、極めて適切なご選評をお述べになって居られた。
お二方共に、お顔や表情にしても、話し方にしても、その内容にしても、この方々ならば安心して任せられる、と思われるように極めて安定していらっしゃたのである。
それにつけても、大変申し上げ難いことではあるが、公共放送の歌壇の選者となれば、そうした要素も決して無視してはならないものと、私には思われるのである。
旧年度から新年度に掛けて、いろいろと改革された“NHK短歌”であるが、その中でも、最も改革という名に相応しい“改革”は、選者を一新したことではないでしょうか?
市松人形の萎びたようなお顔の選者、何の魂胆があってなのか、幼児紛いの投稿作を敢えて選ぶ選者、あのお二方のお顔を拝んだり、お声をお聴きしなくてももよくなっただけでも、今回の改革は、私にとっては極めて有意義な改革であったと言える。
以上、申し上げたい事を申し上げたいように申し上げましたが、これは一私人の考えであり、忌憚の無い意見でありますから、この内容に関わるような批判的なコメントは、一切お受け致しません。
ご不満をお持ちの方が居られましたら、広い世の中には、こんな事をずけずけと言って平気で居られる奴も居たのか、と思って、お諦め下さい。
それともう一点。
この機会に、重ねて申し上げますが、昨今ばかりでは無く、中世以降のサロン化した歌壇に於いては、「短歌批評の要諦は、当該作品の優れた要素だけを採り上げて称揚する事。批評の対象としなければならない作品に、優れた要素が何一つとして無い場合は、その作品そのものを無視して、何ら触れない事。批判めいたことは一切言わない事」である、などという、凡そ愚にもつかない迷信が横行していて、当ブログに寄せられる匿名の方からのコメントの中の上質なコメントの多くは、「それが歌壇の、短歌人のエチケットだ」とばかりに、その迷信の美質を懇切丁寧に、懇々とご説明なさったものである。
大抵の者ならば、こうした懇切丁寧なコメントに接した場合は、その発信者が例え匿名の方であったにしても、「大変ありがとうございます。これからはあなた様のご意見を大いに参考にさせていただきます」などと記してお茶を濁すだろうと思われるのであるが、私・鳥羽省三に於いては、そんな無駄な措置は一切せずに、発見次第直ちに“削除”させていただきますからご承知置き下さい。
重ね重ね申し上げますが、私は、素晴らしい作品の素晴らしい点は、大いに称揚させていただき、素晴らしくない作品の素晴らしくない要素については、遠慮しながらも少しく述べさせていただくつもりなのですから、悪しからず。
[特選一席]
○ 茶柱の立つが如くに望まれる筑波嶺からのスカイツリーは (土浦市) 田正紀
我が国が世界に誇るべき科学技術及び建築技術の粋を結集した建てた「スカイツリー」をして「茶柱の立つが如くに望まれる」とは、何とご大層な直喩であり、何と素晴らしい眺望ではありませんか。
「筑波嶺」と言えば、万葉の昔に我が国随一の高峰・富士の高嶺と“背比べ”をして、彼を一蹴した、という輝かしいこ経歴をお持ちの尊い御山で御座います。
したがって、その高嶺に立って一望すれば、あの東京の下町中の下町とも言うべき押上の地に、小便臭くもちょこんと立っている東京「スカイツリー」如きは、「茶柱」も「茶柱」、100g500円以下のお番茶を笠間焼きの急須で淹れて、橘吉の5客3000円程度のお茶碗に注いだ時に出る「茶柱」程度の、けち臭く憐れな「茶柱」であったに違いありません。
雄大な展望にして卓越した直喩。
小生如きが、こと改めて称揚するのは失礼千万とも言われるほどの傑作と思われます。
〔返〕 筑波嶺と肩並べようとは猪口才な下がれ下郎めスカイツリーよ 鳥羽省三
[同二席]
○ 陽炎に掴まるごとく幼子は立ち上がりたり麦の大地に (長野県松川町) 鋤柄郁夫
何と驚いたことに、作中の「幼子」は「掴まる」相手にも事欠いて、あのゆらゆら揺曳して止まない「陽炎に掴まるごとく」して「立ち上がり」、季節柄、青く若々しく生い茂る「麦の大地」に、見事に立ったということである。
「陽炎」がゆらゆらと漂い、青い「麦」が今を盛りと生い茂る「大地」に「幼子」を立たしめた若々しいイメージは大変素晴らしく力強い。
これ亦、傑作中の傑作でありましょうか。
〔返〕 青痣も未だ消えざる幼子が麦の大地にすつくと立てり 鳥羽省三
[同三席]
○ 夕闇の播州平野に高炉二基黒々と立つ昭和は遠し (明石市) 上野克巳
作中の「夕闇の播州平野に」「黒々と立つ」「二基」の「高炉」とは、兵庫県加古川市金沢町に在る、神戸製鋼所加古川製鉄所の「高炉」を指しているのでありましょうか?
加古川製鉄所の「高炉」と言えば、大気汚染問題などで世間からいろいろと取り沙汰されながらも、戦後日本の経済発展の推進役の一つとして働き、今となっては遠い「昭和」のシンボル的存在であったことは事実である。
したがって、「昭和は遠し」と歌う、本作の作者の感慨には無理からぬものが在ると思われる、とは、一応の評言であり、本論はこれからである。
それは本作の魅力の一つでもありましょうが、本作の曖昧な点は、「夕闇の播州平野に」「黒々と立つ」「高炉二基」に対する、作者・上野克巳さんの心の在り方が、今ひとつ明らかでないことである。
本作中で、作者ご自身の主観的な感情をお述べになられた言葉は「昭和は通し」だけである。
だが、その「昭和は通し」は、単なる「昭和は遠くて懐かしい」というだけの「昭和は通し」だけでは無く、その中身には、その「二基」の「高炉」に因って齎される大気汚染に対するマイナス評価や、その「二基」の「高炉」を、郷土「播州平野」の誇りとして、祖国・日本の復興のシンボルとして仰いだ過去の思い出など、さまざまな感情が含まれているものと思われるのである。
詠い出しに「夕闇の」とあり、四句目に「黒々と立つ」とあるが、それらの語句は、ただ単に、郷土「播州平野」に「立つ」「二基」の「高炉」の立っている時刻や、その色彩を客観的に説明しただけのものではないだろう、とするのが、評者の意見である。
もう一点、申し述べると、作中に「播州平野」という地名が出て来た以上は、本作と宮本百合子の小説『播州平野』との関わりも、私には無視出来ない。
〔返〕 公害の発生源と言はれつつ播州平野を睥睨せしか 鳥羽省三
因習のごと黒々と立つ高炉二基を見上げて吾は生い来ぬ 々
[入選]
○ 風落ちて雪になるらむ静けさに常より早く厨に立つ妻 (仙台市) 勝 美彰
「風落ちて雪になるらむ静けさ」の中を「常よりも早く厨に立つ妻」のお淑やかさと風流心。
そして、屋外の様子を「風落ちて雪になるらむ」と感じつつも、その「静けさ」の中で、「常より早く厨に立つ妻」の気配や思いを馳せ、それでも未だ尚且つ寝床に居る夫・勝美彰さん。
夫婦二人だけの家庭の理想郷は此処に在り、と申しましょうか?
何とも言えないような興趣が感じられる佳作である。
本作の作者・勝美彰さんのお住いは仙台市である。
仙台市と言えば、今回の大震災の被災地である。
“嵐の前の静けさ”と申しましょうか、あの惨禍の直前に、かくも静かで趣き深い夫婦の営みが確かに在ったのである。
それに引き比べ、今日は晴天。
只今、平成23年4月12日の午前8時07分、我が連れ合いの翔子は、未だ寝床の中なのである。
8時10分、只今、地震が揺り、我が家はかなり揺れて居ります。
源右衛門製の和食器・百数十枚及びヘレンドの洋食器数十枚を含めた我らの生活資材の全ては、我らの命と共に壊滅に帰するのでありましょうか?
〔返〕 風も無く快晴の朝地震揺り妻の翔子も慌てて起床 鳥羽省三
勝美彰さん作と比較して、我が返歌の、何と興趣に欠け、何と品格に欠けることでありましょうか。
地震の揺れの中での即興の作とは言え、自分の拙さが悔やまれます。
只今、8時23分、地震の揺れは今し方、漸く治まりました。
翔子の話に拠ると、震源地は千葉県とのこと。
○ いつよりか仏間に過ごす時の増ゆ机に捉まり「よいしょ」と立ちぬ (能代市) 佐々木克子
「いつよりか」に何とも言えないような味わいが在る。
「何時の頃からかは、当人である私自身も分からないが、自分でも気がつかない何時の頃からか、私には、ご先祖様方をお祀りした『仏間』で『過ごす』時間が増えたのである。どうしてなのかしら」といった感じなのである。
これから、お炊事でもなさるおつもりなのか、その「仏間」で「過ごす」一時が過ぎ、本作の作者・佐々木克子さんは、傍らに在る経「机に捉まり」立ち上がろうとした。
その立ち上がろうとした瞬間に、彼女は思わず「よいしょ」と掛け声を掛けて立ち上がったのである。
「仏間」で「過ごす」一時を切り上げて立ち上がろうとする時に、思わず「よいしょ」と掛け声を掛けることになった時期についても、今の彼女には皆目見当が付かないのである。
〔返〕 秋田杉材木の町のお婆ちゃん佐々木克子は「よいしょ」と立った 鳥羽省三
○ 抜糸終え車椅子より立つ吾を鏡は見てる手は貸さねども (豊島区) 佐藤糸子
「そんなにじろじろ見なくてもいいよ。私はただ歯槽膿漏にやられた奥歯を抜いただけだよ。人相は少し悪くなったかも知れないが、私は何一つ悪いことはしてないんだよ。そんなにじろじろ見つめるなよ。お前は、『抜歯』を『終え』この『車椅子』から立ち上がろうとしても、なかなか立ち上がれないで居る私に、何一つ「手」を貸そうともしないでさ。全く失礼しちゃうよ。身体が不自由なんだから、それに年なんだから、『車椅子』に乗ったままで『抜歯』をしても仕方が無いでしょう。『鏡』の馬鹿、情な無し」といった感じなのである。
〔返〕 豊島区の大年増なる糸子さん従姉弟でもない鏡にぶつくさ 鳥羽省三
○ 神妙に二人廊下に立ちながら肘であなたに責められていた (松本市) 牧野内英詞
“わたし”と「あなた」は、立たされ坊主だったんですね。
しかも、その原因は“わたし”にあったから、「神妙に二人廊下に立ちながら」も、“わたし”は「あなた」に「肘」で「責められていた」のであった。
〔返〕 好いて居たあなたと一緒に立たされた何時間でも立ってたかった 鳥羽省三
○ 立つたまま凍りてをりし大根を寒の夕暮れ抜きて帰りぬ (岐阜市) 後藤 進
凍みた「大根」は食べても美味しくなかったでしょう。
味噌汁の具材にでもすれば、少しは食べられたでありましょうが。
〔返〕 立ったまま凍りつきそな男根を寒の霜夜に抜いてしまった 鳥羽省三
○ 道端に托鉢僧のごとく立つ灰皿持ちて煙草吸う人 (徳島市) 新井忠代
居りますよ、居りますよ。
私の目にする範囲で言えば、小田急線新百合ヶ丘駅の隣りの三井住友銀行の脇の「道端」に、「煙草」を「吸う」男女が、いつもいつも10人前後居ますよ。
でも、彼らは、本作中の「煙草吸う人」とは異なって、「灰皿」など持っていないから、「托鉢僧のごとく」とは言えません。
せいぜい褒めても、「道端」の垣根に右足を上げて小便をしている肺癌志願の野良犬のような感じですよ。
〔返〕 道端で煙草を吹かすあいつらは高額納税志願者である 鳥羽省三