臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

一首を切り裂く(004:まさか・其のⅡ・決定版)

2011年04月01日 | 題詠blog短歌
(湯山昌樹)
○  時折は「まさか」ということしでかして 中学二年は大人か子供か

 湯山昌樹先生の職場詠として興味深く読ませていただきました。
 「中学二年は大人か子供か」と言うよりは、時節柄「地震か津波か」と言った方が宜しいかも知れません。
 「時折」どころか毎日のように「まさか」と思うような事を遣らかしますからね。
 〔返〕  まさかりを振るわないだけでもましだ中学二年は逢魔が刻か?   鳥羽省三


(花夢)
○  (でもまさか好かれるなんて)酸っぱくてあげた蜜柑なのに喜ぶ

 「九州新幹線の車中であげた、酸っぱい『蜜柑』が取り持つ縁で」といったこともありましょう。
 また、「酸っぱい『蜜柑』だけで無く、あちらの方もあげてしまったので、その結果、あげた側が酸っぱい『蜜柑』を欲しくなってしまった」ということだって在り得ましょう。
 でも、遅かれ早かれどうせ上げちゃうものですから、いずれにしても大変お目出度いことでございます。
 〔返〕  出来ちゃって花夢さんが花嫁さん 新婚旅行はご出産後か?   鳥羽省三


(香村かな)
○  九回の裏の逆転ほどじゃないまさかはわりと転がってるね

 そうです。
 「九回の裏の逆転ほど」華やかではありませんが、「まさか」と思われるような事態は「わりと」簡単に「転がってる」ものです。
 卑近な一例を挙げさせていただきますと、只今、四月一日の午前七時半、我が連れ合いの翔子は未だ睡眠中です。
 「まさか」と思うでしょう。
 でも、彼女は病気療養中でも妊娠中でもありませんよ。
 御年、六十四歳ではありますが、至って元気でぴちぴちした主婦ですよ。
 〔返〕  まさかとは思いますけどパンダちゃん中国からの出稼ぎなのか?   鳥羽省三


(佐藤紀子)
○  まさかまさか私が負ける筈はない歩みののろい亀とのレース

 本作の作者・佐藤紀子さんは、一昨年、“浦島太郎シリーズ”の百首をお詠みになられた方でありますが、察するに、本年は“干支シリーズ”即ち“兎シリーズ”の百首をお詠みになるものと思われます。
 でも、本作には、その“兎”を直接登場させず、彼のライバルの「亀」を登場させ、肝心要の“兎”は、作品の“話者”として間接的に登場させているとお見受け致しました。
 なるほど、こんな巧い手も在ったのですね。
 〔返〕  結末は三歳児でも知っている脚に溺れて負けちゃう兎   鳥羽省三
 

(ぽたぽん)
○  洗濯をしようと思って見つけたのきみのポケットの中からまさか

 「洗濯をしようと思って見つけた」「きみのポケットの中から」の「まさか」とは何か?
  ①  ぽたぽんさんが盗まれたはずの十万円記念硬貨。
  ②  引き換え期間が過ぎた三億円の当り籤。
  ③  ぽたぽんさん宛ての遺書と財産の処分について記した遺言状。
  ④  未使用の衛生用品。
  ⑤  ほのぼのレイクのティッシュ。
 その他にも、いろいろと考えられますが止めときましょう。
 〔返〕  洗顔をしようと思って落としたのコンタクトレンズと入れ歯の上下   鳥羽省三


(横雲)
○  たまさかに出会いし定め慈しみ君が手をとり登る山坂

 一首の意を文法や言葉の働きに注意して述べると、「私と『君』とは『たまさかに』出合っただけの関係である。でも、そうした関係は言わば私たちの『定め』である。そこで、私はそうした『定め』によって結ばれている『君』を『慈しみ』、『君』の『手をとり』この『山坂を登る』」のである」といったことになりましょう。
 こうした解釈は、善意の上にさらに善意を重ねた上に成り立つものである。
 と言うことは、本作は、推敲不足が目立ち、語の適切配置を欠いた作品であることを証明するものである。
 決まり切った美辞麗句を並べただけでは、短歌とは言えません。
 〔返〕  たまさかに山に登るも健康法君に手取られ雲分け往かむ   鳥羽省三  

(水絵)
○  幾山河七十年の人生は まさかのさかを幾度も越え

 美辞麗句を並べているが、「まさかのさか」との洒落だけが取り得の作品と思われる。
 屁理屈を言わせていただければ、「まさかのさか」は「幾山河」の「河」にも在ったのですか?
 〔返〕  幾山河越え去り来しも淋しさの果てなむ里は未だに見えず   鳥羽省三


(伊倉ほたる)
○  やわらかな嘘はそぉっと包み込む まさかが目覚めてしまわぬように

 「あの伊倉ほたるさんなら、いくら何でも『まさか』私たち消費者に放射能汚染の“柚子胡椒”を売り付けたりするはずがない」とのご信頼。
 その、いくら何でも「まさか」のご信頼が、今や当に破られんとしているのである。
 本作の作者・伊倉ほたるさんは、その「まさか」が「目覚めてしまわぬように」と、消費者みんなが寝静まったタイミングを見計らい、「やわらかな嘘」即ち“食べても健康を害しない程度に放射能を含んだ柚子胡椒”を、美しい包装紙に「そぉっと包み込む」のでありましょうか?
 それはそれとして、「そぉっと包み込む」などと、幼稚園児紛いの表現をしてはいけません。
 「やわらかな嘘は真綿で包み込む」。
 “真綿”が嫌だったら、「やわらかな嘘は吐息で包み込む」或いは「やわらかな嘘は夜霧で包み込む」「やわらかな嘘はシルクで包み込む」「やわらかな嘘はタフタで包み込む」「やわらかな嘘はふんわり包み込む」等など、「そぉっと」などという幼稚な副詞を用いない方法は幾らもありましょう。
 〔返〕  有害であると否とに関わらず放射能汚染の柚子胡椒NO   鳥羽省三
      「罪名は食品衛生法違反!」「美人OL懲役三年!」      々


(月原真幸)
○  いまさかのまんなかにいる のぼるのかくだるのかまだきめかねている

 ひらがな表記とは、敵もさるもの引っ掻くものだ。
 〔返〕  いささかの誤差があるからいまさかのまんなかにいるとはいえないよ   鳥羽省三


(理阿弥)
○  あかときにふるふる揺るるモビールをふたり見てをりまさか春雷

 「あかときにふるふる揺るるモビール」を見ている「ふたり」とは、あのフォーク・デォ“ふきのとう”の歌に登場する人物たちみたいですね。
 その「モビール」の揺れの原因を「まさか」の「春雷」に求めている点も同前であります。 

 〔返〕  あかときにふるふる揺れる湯豆腐の冷めた二片が今触れ合った   鳥羽省三
 上記の返歌は、瓢箪から駒が出た程の傑作と思えませんか?
 誰言わずとも、作者一人は、そう思い決めているのである。
 投稿作を念入りに読み、その一首一首に返歌を添える楽しみは、わずか数秒の間に詠んだ返歌が、「まさか」と嘆息するほどの傑作であったりする点にも在るのである。
 自慢たらしく申し上げますが、私は、そうした返歌を詠むのに、わずか一分足らずの時間しか使っていませんよ。


(新野みどり)
○  眠れない夜に小窓を開け放つまさか粉雪舞い降りるとは

 人間には誰しも、「眠れない夜」に寝室の「小窓を開け」放ち、夜空の彼方に自分を解放し、夜風と共に天空に吸い込まれて行きたくなるような願望に捉われることがあるそうです。
 本作の作者・新野みどりさんは、そのブログネームからして、星菫派の歌人みたいな美女と思われますから、彼女なればこそ、そうした思いに誘われることは再三でありましょう。
 ところが、お生憎様なことに、当日の「夜」は、「まさか」の「粉雪」が「舞い降りる」ほどの寒さであったのである。
 計算外の出来事でした。
 こうした計算外の出来事を、世間様では「想定外の出来事」とか申すのでありましょうか?
 〔返〕  眠れない夜に小窓を開け放つ 自分のことをかわいいと思う   鳥羽省三


(市村春)
○  図書館のロダンの像の左目がまさかたまさかよもつひらさか

 「図書館→ロダンの像→左目→まさか→たまさか→よもつひらさか」という連想ゲームなのである。
 「図書館」から「ロダンの像の左目」を経て、「まさかたまさかよもつひらさか」に至らしむる、魔術師のような手際が大変見事である。
 〔返〕  東京の上野の山の美術館地獄の門に考える人   鳥羽省三


(鳥羽省三)
○  まさかりを担いで行こう遠足に足柄山にはやまんばも居る

 お題「まさか」を、副詞としての「まさか」として使いたくなかっただけのことであり、ほんの戯れであるが、お題「まさか」に寄せられた投稿作中では、なかなかの出来であると自画自賛している次第である。
 〔返〕  薪割りをまさかりでした事もある十年前の私は若く   鳥羽省三