臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(4月10日掲載・其のⅠ)

2011年04月17日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]


○  大地震の間なき余震のその夜をあはれ二時間眠りたるらし  (仙台市) 坂本捷子

 作者の居住地は、東日本大震災の被災地たる仙台市である。
 あの「大地震」の恐怖の記憶も醒めないままに、その後も絶え間なく続く「余震」の揺れに怯えながらも、「その夜」私は「あはれ二時間」も「眠りたるらし」と、かりそめの一睡から覚めた作者は、ついさっきまでの哀れな我が営みを振り返って、溜息を漏らしていらっしゃるのである。
 「あはれ」の語源は「ああ、われ」、「ああ、この哀れな私よ」と、溜息を漏らすことであるとか?
 そうした性格の語である「あはれ」の意味と働きを十分に活用させてお詠みになった佳作として観賞させていただきました。
 斎藤茂吉の著名な連作『死にたまふ母』の“其の一”の七首目に「たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや」という作品がある。
 本作の作者・坂本捷子さんは、その存在を十分にご意識なさったうえで、本作をお詠みになられたものと思われます。
 だとすれば、本作は、3月28日の朝日朝刊の「短歌時評」で、田中槐氏がお述べになって居られた「データベースの先に自分の作品があることを自覚」したうえで、「かけがえのない私の経験」をお詠みになった作品と申せましょう。
 あの大震災から一ヶ月余りが過ぎた今になっても大地震とも言うべき余震が続き、福島第一原発事故の始末もつかないで、我が国は国際社会に醜態を曝すやら、同情をされるやらの状態である。
 その間、「朝日歌壇」には震災関係の作品が津波の如く寄せられると推測され、多くの入選作が掲載されている。
 しかし、その多くは、一通りの出来栄えを示しながらも、テレビ画面から切り取って来たようなステレオタイプの作品であり、あの厳粛なる事実の前には、いかなる表現も空しいと感じされるばかりなのである。
 その理由は、「それ、格好の材材を得た」とばかりに拙速に過ぎたこと。
 もう一点上げるならば、田中槐氏がお述べになっているところの「かけがえのない私の経験」をお詠みになって居られないか、もしくは「かけがえのない私の経験」を、自分の胸の中に収めてから、その十分なる醗酵を得てからの作品とは言えないことなどである。
 そうした中に在って、本作こそは醗酵の度合いはともかくとしても、「データベースの先に自分の作品があることを自覚」したうえで、「かけがえのない私の経験」を十分に詠み切った作品と申せましょう。
 本ブログには、“NHK短歌”や“朝日歌壇”の入選作の鑑賞記事の他に、“題詠blog2011”の投稿作の鑑賞記事も掲載しておりますが、その巧拙は別としても、それぞれ特色があって大変興味深い。
 概して申せば、“題詠blog2011”の投稿作の多くは、発想の点に於いては卓越したのも在るが、推敲の度合いや完成度の点に於いては“NHK短歌”や“朝日歌壇”の入選作と比較すると、かなり劣っているように感じられるのである。
 そこで申し上げますが、私は、本作のような「「データベースの先に自分の作品があることを自覚」したうえで、「かけがえのない私の経験」をお詠みになり、かつ、その完成度も高い作品を、“題詠blog2011”へのご投稿者の方々、特に年若い初心の方々にお読みいただきたいと思っているのである。
 老い先が短く根性の曲がった評者・鳥羽省三から、創作意図を故意に外したような読みを示されて、「この恨み、生涯忘れないぞ。覚えていろ。この死に損ないめ」などとの、「この作品を、こんな風に読むとは、鳥羽省三さんもまだまだ勉強が足りません。私の作品には、今後一切触れないで欲しい」などとの、恨みがましいコメントを、しかも匿名でお寄せになられるようでは、あなた方の歌詠みとしての、現在も未来もありません。
 そんな寝言を言う前に、このような優れた作品を一首でも多く読みましょう。

 〔返〕  小半時も眠りし哉やうたた寝の夢の中でも余震に揺られ   鳥羽省三
  また、この方の作品は、本日(4月17日)放送の“NHK短歌”でも拝見させていただきましたので、後日、鑑賞させていただきます。
 

○  遺体ある瓦礫に印の赤い布手を合わす母あり隣にも  (本宮市) 廣川秋男

 まだまだ推敲の余地のある作品と思われます。
 〔返〕  赤き布風に靡ける瓦礫あり両手合はせて老婦膝つく   鳥羽省三


○  挨拶はあれから変わり人に会えば言うなりご無事でしたか  (筑西市) 櫻井みふみ

 心なしか、「“ごっこ”をなさって居られるような感じ」と、恨みがましい気持ちにもなるのである。
 でも、被災地から遠く隔たった九州の方々のお気持ちも、私たちとは何ら変わりが無いとも思われます。
 〔返〕  「揺れましたね」との挨拶今朝もまた夜ごと夜毎の余震に揺られ   鳥羽省三


○  燃料がなくて車が動かないあきらめたまま今日もすぎゆく  (仙台市) 三角清造

 首都圏でのガソリン不足は、あれから半月余りで解消されましたが、被災地の仙台ではまだまだなのでありましょうか?
 でも、解消されたとは言え、いつの間にか高値になりましたね。
 近頃は、レギュラーが1リットル150円台ですよ。
 〔返〕  アルプスの清水並みの高さなるガソリン飲んで走るホンダ車   鳥羽省三


○  絹雲が煌めく星を隠す夜余震におびえ車中泊する  (茨城県) 河野久子

 夜空に「絹雲」が湧くのは、昔から地震の予兆とされているのでありましょうか?
 もし、そうだとすると、下の句の「余震におびえ車中泊する」という表現は、予定調和めいた表現となり、作品としては少し面白くなくなりましょう。
 それはそれとして、「星」も見えない「夜」に、「余震におびえ車中泊する」。
 茨城県でもそうなんですね。
 〔返〕 野良猫が互ひに呼ばう闇の夜に余震に怯え銭湯に行く   鳥羽省三  


○  ぶしつけな問いにも静かに答えるは父母を波にさらわれし人  (太田市) 川野公子

 悲しみの渦中に在る者に対して耳に逆らうような「ぶしつけな問い」掛けをする者が居る。
 それでも、「問い」掛けられた者は「静かに答える」ということは、通常でもよく在り得る場面なのかも知れません。
 願わくば、我が拙い文章が、そうした「ぶしつけな問い」掛けになりませんように。
 〔返〕  不躾と思ひながらも訪ねたし瓦礫重なる被災地の跡   鳥羽省三


○  三月の十日の新聞手に取れば切なきまでに震災前なり  (新座市) 中村偕子

 「切なきまでに震災前なり」という下の句の表現が「切なきまでに」宜しい。
 「切なきまで」の表現、「切なきまで」の一首として観賞させていただきました。
 〔返〕  波洗ふ浄土が浜を訪ねむと切なきまでに愚かなりけり   鳥羽省三


○  被災地に帰国して行く子も交り全校生徒が黙禱ささぐ  (アメリカ) 西岡徳江

 この作品に接しながら、アメリカさんは、何処まで面倒みてくれるのだろうか?
 「黙禱」を捧げてくれはするが、お金は出してまではくれないのだろうか?
 日本がこれまでに支払った、膨大な国連の分担金や政府開発援助(ODA)供与などはこれからも続けるのであろうか?
 などなどと、口にしながら顔を真っ赤にしなければならないようなことまで口にしたくなるような心境なのである。
 〔返〕  逸早く帰国を急ぐ研修生貰えるものはがっちり貰い    鳥羽省三
      逃げ足のさすがに速いアスリート白鵬関は重くて逃げず    々 
 

○  古きほど汚れたるほど誇れるを政治家は着る新品ナッパ服  (宗像市) 巻 桔梗

 「洒落を言っている場合ではありません!」と叱り飛ばしたくもなる場面ではありますが、被災地から遥か離れた九州の方であれば、やはりあの珍妙な服装をからかいたくもなりましょうか?
 忘れていけないことは、災害時に現地に居て直接人命救助や復興作業に従うことをしないような人たちにも、ああした服装をさせるように仕向けたのは、明治以来一貫して極右的政治家を国家のリーダーのように思って来た、愚かな国民大衆である、ということである。
 民主党内閣の閣僚だけが、センスも団扇も無くて、ああいう珍妙な服装をしているのではない、ということである。
 評者としては、「自民党の金城湯池の九州に居て何を言うか」とでも叫びたいところである。
 とは言え、ああした愚劣な習慣は、一日も早く止めさせなけれはなりません。
 あのセンスの無い服装だって、ただでさえ不足する国家予算から支給されるに違いないからである。
 〔返〕  土塗れ油塗れになるだけが仕事に非ず職務さまざま   鳥羽省三


○  絶対に天罰などであるものか幼子なくせし母の慟哭  (長浜市) 山田貞嗣

 石原都知事のもの言いは確かに不謹慎である。
 しかしながら、彼は前言をいとも容易く翻して立候補したにも関わらず、あれほどの絶対的な支持票を受けて見事当選したではありませんか。
 ということは、政治家には品格が必要でないということである?
 少なくても、現在の東京都には、そのような考えの下に都知事を選択した愚かな有権者が260万人余りもいるということでありましょうか?
 〔返〕  天罰は石原都知事に下らずに東京都民に下されるのか?   鳥羽省三