「お題が“港”であり、締切日が3月15日であったので、締切日間際になって、“漁港に津波が押し寄せる”といった内容の作品が津波の如く押し寄せて来ましたが、震災関係の歌は、もう少し時間を置いて、気持ちに余裕が生まれてから詠むべきであると思うので、そうした点にも留意して選歌に当たりました」とは、選者・坂井修一氏の放送当日の弁と聴いて居ります。
この度、“NHK短歌”のホームページを開いてみたら、今回の入選作品九首の全てが地震関係とは異なる題材の作品であったので、坂井修一氏の格別なるご見識には感服させていただきました。
しかも、入選作の全てが粒選りの佳作と思われます。
[特選一席]
○ 彗星がわれに手をふりまた次の星の港へ尾を曳きてゆく (京都市) 角山 諭
〔返〕 蒼白き頬を曝して我も堕つ銀河の彼方つひの深処へ 鳥羽省三
[注] 深処=ふかど
「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くのは私一人だけではありません。
君も堕ち、我も堕ちるのがこの世の定めであり、私たち人間の宿命なのかも知れません。
「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くという点については同一であるが、「君」と「我」との間には厳然たる違いがありましょう。
それは、「君」が灰色の素肌を曝して何の星に照らされる事も無く、どんな星座からも祝福されること無く堕ちて行くのに対して、「我」は「蒼白き頬を曝して」多くの星々たちや星座たちに照らされ、祝福されながら堕ちて行くのである。
同じ堕ちて行くにしても、その違いはかなり大きいかと思いますよ。
ところで、「君」は何方ですか?
あの「未来」のなれの果ての「彗星集」のバックコーラスの方々ですか?
加藤治郎先生は、未だ息災にしていらっしゃいますか?
[同二席]
○ 電線がカラスの港このところさざ波たてるわが家をのぞく (下妻市) 神郡 貢
〔返〕 スーちゃんが黄泉路辿る日 電線にカラスが三羽止まって啼いてる 鳥羽省三
“南海キャンディーズ”はどうして“キャンディーズ”なのかと不思議に思ったことがありました。
あの“南海キャンディーズ”の、木偶の棒みたいに大きいだけが取り得の女性の顔を見るにつけても、一時代前の女性の可憐さが偲ばれるのである。
[同三席]
○ 靴に乗り酔えど迷えど立ち寄れど玄関という港へ戻る (高石市) 金井弘隆
〔返〕 腹に乗り船漕いでいるとーさんを自宅に帰したくない私 鳥羽省三
友人の一人が私に話してくれたことである。
零細企業の経営者である父親が、彼が小学校三年に進級した春の終わり頃から、急に帰宅しなくなった。
だが、彼の母親はそのことを少しも不思議とも不安とも思っていないような素振りで、毎晩定刻になると、自分と私の友人である息子とその妹の三人分の食事の仕度をして食べさせ、テレビの連続ドラマを一通り見た後は、子供たちに声を掛けることも無く自分だけ勝手に寝てしまう、といった日が一ヶ月以上も続いた。
そうした日々を切なく耐え難く感じたので、ある日、彼は母親が自室に籠もって寝てしまった後に、妹の手を引いて父親の工場の近くまで行ってみた。
すると、間も無く、その工場の電灯が消えて、中から中年の男女二人が手を取るようにして出て来た。
女の方の顔には見覚えが無かったが、男の顔は見間違えようも無く、父親そのものだった。
そこで彼と妹の二人は、父親と女性の跡を密かにつけて行った。
父親たち二人は、とある小さな庭の在る家の玄関の鍵を開けて入って行った。
事の重大さを感じた彼は、そのまま妹の手を引いて我が家に帰ろうとしたのであるが、父親のことを心配したのか、事の次第を知らない妹は帰ろうとしなかった。
そこで、彼と妹は、父親たちの入って行った家の小庭の物陰にこっそり隠れて、室内の様子を窺うことにした。
真夏のことなので、カーテンも引いて居ない室内の様子は、物影からでもよく見えた。
彼と妹が室内の様子を窺っていた当初、父親たちはビールを酌み交わしていたのであるが、やがて、それにも飽きたのか、テーブルの上を片付けもしないで、その場にごろりと寝転び、やがて半裸の父親は、裸同然の見知らぬその女性の腹の上に乗って、船を漕ぐような動作を繰り返し繰り返し行ったのであった。
私にその話をしてくれた友人は、その頃、大人たちの夜がどんなものであるか、ということを知らなかったそうだが、自分の父親が、自分も妹も知らない小母さんの腹の上に乗って、繰り返し繰り返し船漕ぎの動作をやっていた事と、父親の相手となった小母さんの隠微な声だけは、幾つになっても忘れられないものだ、と私にしみじみと語ってくれた。
彼の母親が亡くなり、彼と妹が母親の姉の婚家で暮らすようになったのは、それから間も無くのことであったそうだ。
母親の死因や父親のその後については、彼は口を閉ざして語ろうとしなかったが、私も亦、強いて聞こうとは思わなかったのである。
今から半世紀以上も前に聴いた実話です。
[入選]
○ カタカナで書けばすうすう風通り私じゃないよな私の名前 (仙台市) 坂本捷子
〔返〕 「好子さん」カタカナで書いても「よしこさん」それでも「スーちゃん」死んじゃいました 鳥羽省三
“スーちゃん”を“スーちゃん”と呼びはじめたのは、一体何方でありましょうか?
案外、田中好子さんご自身であったかも知れませんよ。
何故ならば、他の二人が本名からすんなりと“ランちゃん”“ミキちゃん”と呼べるのに対して、自分の名前は“好子”だからと、“ヨシコちゃん”や“ヨーちゃん”と呼ばれたりしたらお手伝いさんみたいでカッコ悪いからと、“好子の“好”を“スー”と読んで“スーちゃん”としたのかも知れませんね。
○ 書斎から港が見える風景を小説の中に見るカフェテラス (鴻巣市) 加藤健司
〔返〕 露台から孤児院見下ろす岡の家 侯爵一家は暮してました 鳥羽省三
少年時代に何かの本で読んだことがありますが、西欧のいわゆる“孤児院”は、必ず小高い岡の上から見下ろされる低地に立っているものであって、その孤児院を見下ろす岡の上には、孤児たちの生活を賄う資金を提供する貴族の邸宅が在るということでした。
その頃も今も、私は孤児ではありませんが、その本を読んでからの私は、自分の今の暮らしと醜い心とは、何処かの岡の上から何方かから具さに見下ろされている、という意識に捉われるようになりました。
私が、今日まで、曲がりなりにも正しく清く生きてくることが出来たのは、私がそうした意識に捉われていたからだと、今でも思って居ります。
そう、同じ“正しく清く生きる”にしても、“曲りなりに正しく清く生きる”という生き方が、確かに在るのですよ。
決して、笑い話ではありませんよ。
○ 春の磯香りほのかな港汁一杯二百六十二円 (千葉市) 由井 大
〔返〕 貝柱ワカメたっぷり三厩の磯の香定食 五百円也 鳥羽省三
作中の「三厩」を「さんまや」と読むことは、あの太宰治氏から教わったことです。
確か彼の代表作の一つの『津軽』に出て来たのかと思いますが、その頃、学校で“百科事典”と呼ばれていた私は、その事を知った途端に、その“百科”にもう一科が加わって“百一科事典”になったと思いました。
○ 子らの引く山車『鯛車』勢へり漁港の町は今日春祭り (新発田市) 渋谷和子
〔返〕 「シンハツダ」とは読まないで「シバタ」と読む其のこと知った三年の春
鳥羽省三
新潟県の県庁所在地・新潟市の隣に「新発田」という町が在り、その町の名が「シンハツダ」でも「シンパツダ」でも無く、「シバタ」であることを小学校三年生の頃から知っておりました。
で、そんなことを知っている小学三年生は、私の郷里の町では恐らくは私一人であろうと思い、私は心密かに優越感を覚えておりました。
そう言えば「鯛車」の木地玩具も私のコレクションの一つでありました。
その「鯛車」は、度々の引越し騒ぎの間に何処かに消えてしまいました。
○ ジャズ洩るる港横須賀真夜の路地黒人兵の眼と歯が笑ふ (名古屋市) 可知豊親
〔返〕 白人は鼻であしらい尻で振る黒人兵は眼歯で笑う 鳥羽省三
何を隠しましょうか。
横須賀のドブ板通りを歩いていて、黒人兵に見つめられて思わず下腹部を手で押さえた場面は幾度もありましたよ。
私が、女性も羨むような美少年であったからなのかしらん?
○ 歯科医院に患者なければ退屈なる口腔模型の口開きをり (徳島県石井町) 一宮正治
〔返〕 退屈と口腔模型の口開けて客寄り付かぬ左馬口歯科医 鳥羽省三
今から三十年以上も前のことです。
横浜市某区某町の左馬口歯科医院が開店して最初の客は、私・鳥羽省三でありました。
歯科医師一人、受付係兼歯科助手一人のこの歯科医院から、私は開店第一号客として歓迎され、私以外のお客が訪れなかった当日は、お互いに自己紹介などをして、虫歯一本の治療に一時間余りの時間を掛けるなどして、好感を抱いて帰宅しました。
歯科医としての腕前はイマイチでしたが、客あしらいが上手だったので、最初の客であった私も、やがて知人を紹介したりするようにもなり、そのうちに顧客らしいものも少しずつ訪れるようになりました。
ところが、この歯科医は何時の頃からか無愛想になり、自費診療を口にするだけの儲け本意の歯科医師になってしまいました。
受付係兼歯科助手の女性も、わずか半年足らずのうちに次々に替わるようになりました。
左馬口歯科医院の待合室に閑古鳥が鳴き、口腔模型の大口だけが目立つようにまるまでは、そんなに多くの時間を要しませんでした。
この度、“NHK短歌”のホームページを開いてみたら、今回の入選作品九首の全てが地震関係とは異なる題材の作品であったので、坂井修一氏の格別なるご見識には感服させていただきました。
しかも、入選作の全てが粒選りの佳作と思われます。
[特選一席]
○ 彗星がわれに手をふりまた次の星の港へ尾を曳きてゆく (京都市) 角山 諭
〔返〕 蒼白き頬を曝して我も堕つ銀河の彼方つひの深処へ 鳥羽省三
[注] 深処=ふかど
「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くのは私一人だけではありません。
君も堕ち、我も堕ちるのがこの世の定めであり、私たち人間の宿命なのかも知れません。
「銀河の彼方」の「つひの深処」へと堕ちて行くという点については同一であるが、「君」と「我」との間には厳然たる違いがありましょう。
それは、「君」が灰色の素肌を曝して何の星に照らされる事も無く、どんな星座からも祝福されること無く堕ちて行くのに対して、「我」は「蒼白き頬を曝して」多くの星々たちや星座たちに照らされ、祝福されながら堕ちて行くのである。
同じ堕ちて行くにしても、その違いはかなり大きいかと思いますよ。
ところで、「君」は何方ですか?
あの「未来」のなれの果ての「彗星集」のバックコーラスの方々ですか?
加藤治郎先生は、未だ息災にしていらっしゃいますか?
[同二席]
○ 電線がカラスの港このところさざ波たてるわが家をのぞく (下妻市) 神郡 貢
〔返〕 スーちゃんが黄泉路辿る日 電線にカラスが三羽止まって啼いてる 鳥羽省三
“南海キャンディーズ”はどうして“キャンディーズ”なのかと不思議に思ったことがありました。
あの“南海キャンディーズ”の、木偶の棒みたいに大きいだけが取り得の女性の顔を見るにつけても、一時代前の女性の可憐さが偲ばれるのである。
[同三席]
○ 靴に乗り酔えど迷えど立ち寄れど玄関という港へ戻る (高石市) 金井弘隆
〔返〕 腹に乗り船漕いでいるとーさんを自宅に帰したくない私 鳥羽省三
友人の一人が私に話してくれたことである。
零細企業の経営者である父親が、彼が小学校三年に進級した春の終わり頃から、急に帰宅しなくなった。
だが、彼の母親はそのことを少しも不思議とも不安とも思っていないような素振りで、毎晩定刻になると、自分と私の友人である息子とその妹の三人分の食事の仕度をして食べさせ、テレビの連続ドラマを一通り見た後は、子供たちに声を掛けることも無く自分だけ勝手に寝てしまう、といった日が一ヶ月以上も続いた。
そうした日々を切なく耐え難く感じたので、ある日、彼は母親が自室に籠もって寝てしまった後に、妹の手を引いて父親の工場の近くまで行ってみた。
すると、間も無く、その工場の電灯が消えて、中から中年の男女二人が手を取るようにして出て来た。
女の方の顔には見覚えが無かったが、男の顔は見間違えようも無く、父親そのものだった。
そこで彼と妹の二人は、父親と女性の跡を密かにつけて行った。
父親たち二人は、とある小さな庭の在る家の玄関の鍵を開けて入って行った。
事の重大さを感じた彼は、そのまま妹の手を引いて我が家に帰ろうとしたのであるが、父親のことを心配したのか、事の次第を知らない妹は帰ろうとしなかった。
そこで、彼と妹は、父親たちの入って行った家の小庭の物陰にこっそり隠れて、室内の様子を窺うことにした。
真夏のことなので、カーテンも引いて居ない室内の様子は、物影からでもよく見えた。
彼と妹が室内の様子を窺っていた当初、父親たちはビールを酌み交わしていたのであるが、やがて、それにも飽きたのか、テーブルの上を片付けもしないで、その場にごろりと寝転び、やがて半裸の父親は、裸同然の見知らぬその女性の腹の上に乗って、船を漕ぐような動作を繰り返し繰り返し行ったのであった。
私にその話をしてくれた友人は、その頃、大人たちの夜がどんなものであるか、ということを知らなかったそうだが、自分の父親が、自分も妹も知らない小母さんの腹の上に乗って、繰り返し繰り返し船漕ぎの動作をやっていた事と、父親の相手となった小母さんの隠微な声だけは、幾つになっても忘れられないものだ、と私にしみじみと語ってくれた。
彼の母親が亡くなり、彼と妹が母親の姉の婚家で暮らすようになったのは、それから間も無くのことであったそうだ。
母親の死因や父親のその後については、彼は口を閉ざして語ろうとしなかったが、私も亦、強いて聞こうとは思わなかったのである。
今から半世紀以上も前に聴いた実話です。
[入選]
○ カタカナで書けばすうすう風通り私じゃないよな私の名前 (仙台市) 坂本捷子
〔返〕 「好子さん」カタカナで書いても「よしこさん」それでも「スーちゃん」死んじゃいました 鳥羽省三
“スーちゃん”を“スーちゃん”と呼びはじめたのは、一体何方でありましょうか?
案外、田中好子さんご自身であったかも知れませんよ。
何故ならば、他の二人が本名からすんなりと“ランちゃん”“ミキちゃん”と呼べるのに対して、自分の名前は“好子”だからと、“ヨシコちゃん”や“ヨーちゃん”と呼ばれたりしたらお手伝いさんみたいでカッコ悪いからと、“好子の“好”を“スー”と読んで“スーちゃん”としたのかも知れませんね。
○ 書斎から港が見える風景を小説の中に見るカフェテラス (鴻巣市) 加藤健司
〔返〕 露台から孤児院見下ろす岡の家 侯爵一家は暮してました 鳥羽省三
少年時代に何かの本で読んだことがありますが、西欧のいわゆる“孤児院”は、必ず小高い岡の上から見下ろされる低地に立っているものであって、その孤児院を見下ろす岡の上には、孤児たちの生活を賄う資金を提供する貴族の邸宅が在るということでした。
その頃も今も、私は孤児ではありませんが、その本を読んでからの私は、自分の今の暮らしと醜い心とは、何処かの岡の上から何方かから具さに見下ろされている、という意識に捉われるようになりました。
私が、今日まで、曲がりなりにも正しく清く生きてくることが出来たのは、私がそうした意識に捉われていたからだと、今でも思って居ります。
そう、同じ“正しく清く生きる”にしても、“曲りなりに正しく清く生きる”という生き方が、確かに在るのですよ。
決して、笑い話ではありませんよ。
○ 春の磯香りほのかな港汁一杯二百六十二円 (千葉市) 由井 大
〔返〕 貝柱ワカメたっぷり三厩の磯の香定食 五百円也 鳥羽省三
作中の「三厩」を「さんまや」と読むことは、あの太宰治氏から教わったことです。
確か彼の代表作の一つの『津軽』に出て来たのかと思いますが、その頃、学校で“百科事典”と呼ばれていた私は、その事を知った途端に、その“百科”にもう一科が加わって“百一科事典”になったと思いました。
○ 子らの引く山車『鯛車』勢へり漁港の町は今日春祭り (新発田市) 渋谷和子
〔返〕 「シンハツダ」とは読まないで「シバタ」と読む其のこと知った三年の春
鳥羽省三
新潟県の県庁所在地・新潟市の隣に「新発田」という町が在り、その町の名が「シンハツダ」でも「シンパツダ」でも無く、「シバタ」であることを小学校三年生の頃から知っておりました。
で、そんなことを知っている小学三年生は、私の郷里の町では恐らくは私一人であろうと思い、私は心密かに優越感を覚えておりました。
そう言えば「鯛車」の木地玩具も私のコレクションの一つでありました。
その「鯛車」は、度々の引越し騒ぎの間に何処かに消えてしまいました。
○ ジャズ洩るる港横須賀真夜の路地黒人兵の眼と歯が笑ふ (名古屋市) 可知豊親
〔返〕 白人は鼻であしらい尻で振る黒人兵は眼歯で笑う 鳥羽省三
何を隠しましょうか。
横須賀のドブ板通りを歩いていて、黒人兵に見つめられて思わず下腹部を手で押さえた場面は幾度もありましたよ。
私が、女性も羨むような美少年であったからなのかしらん?
○ 歯科医院に患者なければ退屈なる口腔模型の口開きをり (徳島県石井町) 一宮正治
〔返〕 退屈と口腔模型の口開けて客寄り付かぬ左馬口歯科医 鳥羽省三
今から三十年以上も前のことです。
横浜市某区某町の左馬口歯科医院が開店して最初の客は、私・鳥羽省三でありました。
歯科医師一人、受付係兼歯科助手一人のこの歯科医院から、私は開店第一号客として歓迎され、私以外のお客が訪れなかった当日は、お互いに自己紹介などをして、虫歯一本の治療に一時間余りの時間を掛けるなどして、好感を抱いて帰宅しました。
歯科医としての腕前はイマイチでしたが、客あしらいが上手だったので、最初の客であった私も、やがて知人を紹介したりするようにもなり、そのうちに顧客らしいものも少しずつ訪れるようになりました。
ところが、この歯科医は何時の頃からか無愛想になり、自費診療を口にするだけの儲け本意の歯科医師になってしまいました。
受付係兼歯科助手の女性も、わずか半年足らずのうちに次々に替わるようになりました。
左馬口歯科医院の待合室に閑古鳥が鳴き、口腔模型の大口だけが目立つようにまるまでは、そんなに多くの時間を要しませんでした。