臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(3月28日掲載・其のⅡ・決定版)

2011年04月04日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  冷蔵庫に庭の雪氷詰めにけりランプで暮らす日々の続けば  (盛岡市) 佐藤忠行

 被災地の方々がご自身のご体験に基づく凄惨な内容の作品を数多くお寄せになって居られる。
 また、被災地以外にお住いの方々もテレビなどでご覧になられた惨状をお詠みになられた作品を数多くお寄せになって居られるのである。それぞれに、その程度や質の違いこそあれ、私たち日本人は現在もこれからも震災や原発事故の被害者であり、その痛みを堪えながら、或いは堪えきれないで、その切実なる思いを“五七五七七”の形に形象なさって居られるのであり、そのご努力や御試みは極めて尊い。
 だが、その全ては空しいとしか言えない。
 自己のご体験に基づくものであろうと、テレビで知ったことについてのものであろうと、その全ての表現は、あの厳粛なる事実の前には空しいとしか言えません。
 かく申す私も亦、震災の興奮も冷め遣らぬ中で、極めて限定的な体験や思いを託した五首の歌を本ブログに発表させていただいたのであるが、それに対する反応の一つに、「極めて僅かの被害しか受けなかったお前は、それを手柄顔にして、他人の不幸を短歌に詠み、私たち読者から同情されたり、関心を持たれたりしようとしているのか。それでは、余りにも浅ましいぞ」といった内容のものがあった。
 その発信者は匿名ながら、日頃から私及び本ブログの存在を憎悪し、敵対視する人物と思われたから、碌々読みもせずに削除させていただいたのであるが、その文面からは、表現者としての私の弱みをついたようなものが認められないでもなかったから、それ以来、私は震災に対する思いを直接表現するような内容の作品を人前に曝け出すような事は、極力するまいと思っているのである。
 あの凄惨なる事実の前には、いかなる斉藤茂吉を以ってしても、到底、有効な表現は不可能であろうと思ったからでもある。
 本作などは、これから五十年も経ってみれば、あの『昭和万葉集』の歌々のように、五十年前の東北関東大震災時の記録の一つとして、大きな価値を持つことが確実な秀作なのかも知れません。
 だが、事実の厳粛さと短歌表現の空しさに打ち拉がれている今の私には、「要するに、本作の作者のお受けになられたご被害は、ランプ生活を二、三日強いられた程度のことでしかなかったのだ。生きていて、被害の程度が比較的軽かったから、このように詠って居られるんだ」といった程度のことしか言えないような気がするのである。
 これではいけないとも思う。
 でも、仕方が無いとも思うのである。
 〔返〕  歌はざる歌人・家持の後半生 彼は何を見なぜ黙せしや   鳥羽省三


○  SFにあらず津波の映像を揺るる茶の間に立ちつくし見る  (島田市) 小田部雄次

 なかなかの傑作と思われるのであるが、皮肉な見方をすれば、「SFにあらず」という表現が空しく軽々しい。
 「茶の間に立ちつくし見る」という叙述も亦、小細工が過ぎているような気さえするのである。
 あれが「SF」世界の出来事では無く、真実に現実世界の出来事であったからである。
 「立ちつくして見る」ことを許さない出来事だったからである。
 しかし乍ら、私はこの秀作を貶そうとして貶しているのではありません。
 私自身も亦、あの惨状を「立ち尽くして」見て居た一人に違いありませんし。
 〔返〕 敗戦を開戦と変はらぬリズムで歌ひ居し歌人・斉藤茂吉よ   鳥羽省三


○  陸地へとあまたの船を押しあげし津波の上を海鳥惑う   (高槻市) 奥本健一
○  襲いくる津波の中に町一つ悲鳴聞こえず呑まれてゆけり  (鳥取市) 山本憲二郎

 同工異曲である。
 私も亦、「津波」が「あまたの船」を「陸地へと押し上げ」る場面や、「町一つ」が「津波」に「呑まれて」行った場面をテレビで見させていただきました。
 みんなみんな、テレビ画面で見たお馴染みの場面なのである。
 両作品ともに傑作と言えましょう。
 でも、「『海鳥』が『惑う』からどうしたんだ。『町』が『悲鳴』を上げるはずがないではないか。今更空々しいことを言うな」とでも言いたくなるような拵えの作品とも思われます。
 作者の悪口を言ってるわけではありません。
 自然災害の恐ろしさを、そして、原発事故という人災の恐ろしさをまざまざと感じているだけのことなのです。
 〔返〕  海鳥も町も諸共飲まれてく だけど私はテレビで観るだけ   鳥羽省三


○  指貫の裏「忍耐」の文字刻まれいて明治の母はやさしかりける  (秦野市) 相原伸子

 「指貫」に「ゆびぬき」との“ふりがな”がある。
 同じ漢字二字を「さしぬき」と読む場合があるからでありましょうか?
 で、その「裏」に「『忍耐』の文字」が刻まれている「指貫」は、日清日露の大戦当時の品ででもあったのでしょうか?
 その「忍耐」の二文字に、本作の作者・相原伸子さんは「明治の母」のやさしさをお感じになられたのである。
 〔返〕  指貫に彫られし二字の「忍耐」に寺島しのぶを感じてゐたり   鳥羽省三


○  パーマかけ饅頭食べてお茶を飲む静かな静かな婆の雛の日  (飯田市) 草田礼子
 
 本作の作者・草田礼子さんは、作中の「婆」ご当人でありましょうか?
 だとしたら、ご自覚やら風刺やらユーモアなどが感じられ、文句無しの傑作と思われるます。
 〔返〕 パーマかけ饅頭食べてお茶を飲む 結構ですこと君の雛の日   鳥羽省三
     薔薇を切り花豆を煮て香を焚き優雅なりにき義母の四月は      々


○  ひとりのむ日本酒の酔ひやはらかに妻なりし日へわれを連れゆく  (福岡市) 宮原ますみ

 生き別れでありましょうか、それとも、死に別れでありましょうか?
 無責任な鑑賞者の立場からすると、「どうぞ、生き別れであれかし」と思われるのである。
 〔返〕  妻なりし日は酔えば直ぐあんなにも乱れてしまい抱かれちゃったり   鳥羽省三


○  触診の手の冷たさを言う人の少なくなりて医師われの春  (福山市) 武  暁

 「触診の手の冷たさを言う人の少なくなりて」とある。
 「医師」というご職業は、そんな形で「春」を感じるご職業なのでありましょうか。
 世の中には、いろんな「春」が在るものである。
 〔返〕  触診の手の巧みさを言う妻も居たりするのか産科医の春   鳥羽省三
 

○  ブロッコリーの軸をきざんでいためたの私の新作カリカリおいしい  (横浜市) 高橋理沙子

 この日本には、「ブロッコリーの軸をきざんでいためた」だけの、お料理とも言えないようなお料理を、「私の新作カリカリおいしい」と仰って、喜んでいるような可愛い女性も居られるのである。
 そんな日本の方が宜しい。
 地震や津波や原発事故の惨禍を「これでもかこれでもか」とばかりに詠うような日本は、私は大嫌いだ。
 〔返〕  セロリの軸五センチくらいに切り揃え酢に漬けただけ妻の手料理   鳥羽省三
 

○  千代金野桜が徐々に開きゆく田本為栗中井侍  (松本市) 牧野内英詞

 JR東海・飯田線(辰野~中部天竜)の停車駅を列挙すると、「辰野-宮木-伊那新町-羽場-沢-伊那松島-木ノ下-北殿-田畑-伊那北-伊那市-下島-沢渡-赤木-宮田-大田切-駒ヶ根-小町屋-伊那福岡-田切-飯島-伊那本郷-七久保-高遠原-伊那田島-上片桐-伊那大島-山吹-下平-市田-下市田-元善光寺-伊那上郷-桜町-飯田-切石-鼎-下山村-伊那八幡-毛賀-駄科-時又-川路-天竜峡-千代-金野-唐笠-門島-田本-温田-為栗-平岡-鶯巣-伊那小沢-中井侍-小和田-大嵐-水窪-向市場-城西-相月-佐久間-中部天竜」となる。
 本作は、その間の「千代・金野・田本・為栗・中井侍」の五つの駅名を連ね、鈍行列車が進むにつれて「桜が徐々に開きゆく」風景を面白可笑しく詠んだものである。
 〔返〕  小和田から先は静岡 辰野から中井侍間は長野県内   鳥羽省三