臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』観賞(佐伯裕子選・4月24日分・決定版)

2011年04月26日 | 今週のNHK短歌から
 東日本大震災を題材にした作品が一首も無いのが何よりも嬉しい。
 生の材料だけが取り得とも言える大震災関係の作品は、「もう勘弁して下さい」といいたくなるような切ない気持ちになっているのである。
 非情さ故に大震災関係の作品を忌避しているのではありません。
 むしろその逆。
 あまりにも琴線に響くが故に、大震災関係の作品には近寄りたくないのである。
 これ以上「詠み」、「読ませられる」と、お互いに不幸になって行くばかりなのである。



[特選一席]

○  幼子のないしよ話はやはらかく老いの耳には息を聞くのみ  (岡山市) 齋藤詳一

 「あのね。バーバってジージのおくさんだってね。これはね。ママからきいたはなしなんだけどね。バーバは、かみおむつをしてるんだってね。おかしいね。わたしだっておねーちゃんになったからもうしてないんだよ。バーバーってあかちゃんみたい。」などと、「幼子のないしよ話」は、まるで頬を撫でる春の風のように「やはらかく」、私の「老いの耳には」、その「幼子」が「息」を吐くのを聴いてるだけ、といった感じなのでありましょうか?
 高音なのに小さく優しく柔らかく「ないしよ話」をする「幼子」の声や動作の可愛らしさを、ジージとしてのお立場からお詠みになって居られるのでありましょう。   

 〔返〕  バーバーはね。ぼくより七つも年上で、おもらししたりするからなのよ。   鳥羽省三
 塩辛声のジージのくせに、自分のことを「ぼく」なんて言うのよ。
 本当におかしいね。
 でも、あれで、バーバの下の世話まで一人でしてるんだって。
 山陽マルナカ東岡山店まで老人カーを押して行って、お買物もするのよ。
 バーバの紙おむつまで買って来るんだって。
 本当に感心しちゃうね。
 愛しているからなのかしら。
 ちょっぴり羨ましくもなりますね。


[同二席]

○  願い込め息吹き込みし風船をブッセの空に放ちやりたり  (豊川市) 河合正秀

 何かの「願い」を「込め」て、「風船」に「息」を吹き込んで、遠くの「空」まで「放ち」やる、というのは、短歌を初めとした詩歌によくあるパターンである。
 作中の「ブッセの空」とは、あのカール・ブッセの詩「山の彼方の空遠く/幸い住むと人のいう/ああ、われひとと尋めゆきて/涙さしぐみかえりきぬ」(上田敏訳)の、あの「空」でありましょう。
 だが、上の句も下の句も共にかなり安直な表現である。
 〔返〕  「山の穴、あなた寝ましょうよ」との歌奴 今頃何処で何してるやら   鳥羽省三 
  

[同三席]

○  息の緒をすするがごとく春の宵さぬきうどんをひた啜りをり  (富士宮市) 林充美

 「息の緒」とは、通常、「命」の意味で用いられることが多いが、ごく希には「息」や「呼吸」の意味で用いられることもある。
 本作中の「息の緒」は、そのどちらの意味も含んだ微妙な使い方をしているものと思われる。
 即ち、一首の意は「息をすいすい吸い、身体の底から命を啜りあげるような気持ちになりながら、未だ寒いこの春の宵に、温かい『さぬきうどん』をひたすらに『啜りをり』」というのでありましょう。
 未だ冷たい「春の宵」に、「息」使いも荒く、温かい「さぬきうどん」を無我夢中で啜っていると、お腹の底から命そのものを啜り上げているような気持ちになるのでありましょうか?
 〔返〕  湯通しに素醤油掛けて刻み葱はらわたに沁む讃岐饂飩よ   鳥羽省三



[入選]

○  小鳥ほどやさしき嘴持たざれど北半球の春に息吐く  (つがる市) 松木乃り

 「小鳥」と言ってもさまざまであり、中には、噛み付かれたら最後、小指の一本や二本ぐらいは喰いちぎられてしまいそうな「嘴」を持ってる「小鳥」もありますよ。
 それはそれとして、青森県つがる市と言えば、まさしく「北半球」中の「北半球」である。
 その「北半球」中の「北半球」たる津軽の「春に息吐く」作者は、どんな恋の悩みを抱えたリンゴ娘でありましょうか?
 農業の後継者不足が叫ばれている中での、婿取り娘なのでありましょうか?
 〔返〕  春遅くリンゴの花はまだ咲かず今日もひねもす地震(ない)揺るばかり   鳥羽省三


○  いつからか金魚のいない水槽にふぅーと息かけ水藻を揺らす  (足立区) 海老根清

 “短歌”は所詮“短歌”に過ぎませんから、これくらいの内容を注ぎ込むに相応しい“器”と申せましょう。
 我が家の小庭に鎮座している瀬戸物の水槽に棲息していた十匹の「金魚」たちも、この冬の寒さのせいなのか、「いつからか」は定かではありませんが、一匹、二匹と亡くなってしまい、この間、そのことに気付いた私が、水槽の中を網で掬ってみたら、案の定、空しくも「水藻」が網の目に絡み付くばかりでありました。
 本作の作者・海老根清さんのお住いは、つい先日お亡くなりになった田中好子さんの生家の在る東京都足立区である。
 その足立区で、「金魚のいない水槽にふぅーと息かけ」「水藻を揺ら」したりなさって居られる作者のお暮らしの所在無さよ。
 我が連れ合いは、先程からずっと、スーちゃんの葬儀関係のテレビ番組を見て居ります。
 〔返〕  スーちゃんのミニ悩ましきジャケットにふぅーとため息漏らす夕暮れ   鳥羽省三


○  リコーダーわたしの息が強すぎて苦手だったな音楽の時間  (杉並区) 平岡あみ

 「リコーダー」を吹く「わたしの息が強すぎて」、クラス仲間との合奏を乱してしまうことがあったことを思い出して、今になっても「苦手だったな音楽の時間」などとお嘆きになってる作者。
 その作者の昨今は、強すぎる「息」で以って「リコーダー」を吹いてたあの頃と同じように、生活の何かの面で「強すぎて」、周囲の人たちとの不調和にお悩みになっている昨今ではありませんか?
 〔返〕  思い当たる節もあってか切なくて詠むにも堪えぬ返歌なるかな   鳥羽省三


○  回診の医師の去りたる病室にまた白梅は息をし始む  (小松島市) 関 政明


 一首の意は「入院中の病室の朝の『回診』が終わって『医師』が去った後の『病室にまた白梅』が、『息をし』始めた」というのである。
 朝の「回診」の為に看護士を従えて病棟を訪れた「医師」の足音がリノリューム張りの廊下から聞こえて来る。
 その音が次第に高まって病室に入り、やがて医師が入院患者・関政明さんのベッドの前に立つ。
 そして、関政明さんと一言二言言葉を交わしながらの診察を始める。
 その診察がようやく無事に終わる。
 その間の時間の経過はわずか五分間足らずのことかも知れません。
 しかし乍ら、その五分間足らずの短い時間に味わう入院患者・関政明さんの不安感と緊張感とは余人には窺い知ることが出来ないほどの大きさである。
 そうした朝の一連の出来事の全てと、其処から生じた入院患者・関政明さんの不安感と緊張感との全てが、「回診の医師の去りたる病室にまた白梅は息をし始む」という三十一音に託されているのである。
 だが、そうした入院患者としての作者の毎朝の日課としての医師の「回診」という出来事と、それに対して身構え、緊張している作者の心理状態の底の底までを、選者の佐伯裕子氏が詳しく読み取ることが出来たかどうか、と不安に思われる。
 その一方、作者が“NHK短歌”の常連中の常連である関政明さんであることを考慮すると、作者ご自身の日常そのものと言ってもいい、主治医による朝の「回診」の不安感や緊張感とお題「息」とを、強引に結び付けているような印象さえ感じられます。
 かくして、強欲なる評者は、“NHK短歌”に寄せられた一首の佳作について、その作者に対するささやかな不満を述べながらも、その佳作を入選作としてお選びになった選者に対してのささやかならぬ不安感も述べてしまったのである。
 そうした矛盾した心理は、何処から生じたものでありましょうか?
 〔返〕  前開きのパジャマの釦をはめながら一息ついた回診の後   鳥羽省三


○  ふきだしのようにも見える白い息君が好きだと文字を入れてる(唐津市)大野一由

 自分自身の口から吐き出された息が広がって行く空間を漫画の「ふきだし」空間に見立て、その空間に「『君が好きだ』と文字を入れてる」と言っているのである。
 その思い付きの面白さよ。
 だが、この作品の魅力の全ては、その一点にしか無いのである。
 そうした点が、思い付きだけの作品のつまらなさでもある。
 「君を好きだ」と思っている、作者・大野一由さんの心の切なさなどは、「ふきだし」の消滅と共に、どこかに吹き飛んでしまうのである。
 〔返〕  吹き出しの如く吐き出す白煙に「煙草止めろ」と書こうか僕は   鳥羽省三


○  吐く息が白く重なる僕たちは小さな町で暮らしはじめる  (鹿児島市) 橋徹平

 「僕たち」の「吐く息が白く重なる」ことと「僕たち」が「小さな町で暮らしはじめる」こととの微妙な釣り合いの面白さ。
 その“微妙な釣り合いの面白さ”を十二分に感得しながらも、欲張りな評者は、「別に『小さな町』で無くても、大きな町で『暮らしはじめて』も、君たちの『吐く息』は『白く重なる』のではありませんか? どうせ暮らすなら、仕事が沢山ある“大きな町”で『暮らし』なさいよ」と、徒ら言を言ってしまいたくなるのである。
 小市民としての作者の密やかで静かな「暮らし」への憧れと、ささやかな願望を一首の歌に託したのでありましょう。
 〔返〕  桜島日ごと夜ごとに灰を吹き僕らの暮らしはかすかに曇る   鳥羽省三