[馬場あき子選]
○ 牛五頭飲めぬミルクを絞り終え那須高原へと避難する牛 (枚方市) 澤 正宏
評者はかねてより、優れた歌詠みは“神の視座”とも言うべき重層的な視点に立って対象に迫ることが在る、ということを指摘して参りましたが、本作は、その“神の視座”とは異なる、複眼的な視野に立ってお詠みになられた作品である。
詠い出しの「牛五頭飲めぬミルクを絞り終え」という叙述は、これから「避難」していこうとしている「牛」から「飲めぬミルク」を絞るという空しい作業に従事した者の立場に立った表現であり、それに続く叙述は、安全地帯たる「那須高原へと避難する牛」を傍観する側に立っての表現でありましょう。
だとすれば、本作は視点の異なった二句を上下に据えた技巧的な作品と言うよりも、叙述の首尾一貫を欠いた作品、即ち、主述関係を見失った作品とするべきでありましょう。
〔返〕 搾れども術無き乳を搾られて那須高原へと避難する牛 鳥羽省三
販売のあて無き乳を搾られて那須高原へと追われ行く牛 々
澤正宏さん作の趣旨を十分に汲み取ったうえで、首尾一貫した作品を詠んだとしたならば、上記の返歌のようになりましょうか?
澤正宏さん作には、格別に必要も無いのに「牛」という名詞が重出する他、「搾る」とするべきところを「絞る」とするなどの不備が見られ、推敲不足の謗りが免れなく、“馬場あき子選”の首席とは到底思われないような作品と思われる。
本作が、こうした欠点を有する作品となった理由の一つに、作者が福島第一原発の事故現場から遠く離れた大阪府の居住者であり、題材となった出来事が、テレビ画面などで視た光景であった点などが上げられましょうか?
震災関係を題材とした作品は、そのいずれもが、題材となっている出来事が悲惨にして厳粛なる事実である。
したがって、題材だけで鑑賞者の涙を誘うことにもなり、細かい叙述の欠点などについては、眼につかなくなる恐れ無しとしない。
それを的確に見据えて、優れた作品を選び、格別優れてもいない作品を没にするのが選者たる者の役目ではありませんか?
選者たる者は、涙で目を曇らせてはいけません。
表現されている事柄に目が曇っても、表現そのものに目を瞑ってはいけません。
○ 「避難せよ」と叫び続けし声を残し女子職員は還り来たらず (あきる野市) 千原孝正
本作も亦、テレビ画面に映った光景でありましょうか?
この度の大震災に於いては、被災地の至る所でこうした悲しい場面が展開されたものと思われ、私たちの涙を誘い、敢えて申すならば、私たちに詠歌の絶好の機会と題材とを提供したのである。
したがって、被災地以外の者がこれを題材にして一首をものした場合は、どんなに巧みに詠み果せても、「巧いことやったね」「シャッターチャンスを逃さず捉えることが出来た」といった、辛口の評言から逃れ得ることが出来なくなるのであり、出来得るならば、こうした題材は、自分の身の回りの何かに絡めて扱うべきなのである。
また、詠まないのが最善の策とも申せましょう。
〔返〕 ご先祖の位牌を救ひ出さんとて津波に呑まれ逝きし人在り 鳥羽省三
○ 平凡なことが普通に出来ていた幸せに降る被災地の雪 (大船渡市) 桃 心地
作者・桃心地さんの表現しようとなさったお気持ちは、匿名のコメント諸氏から“非情”と非難され続けの私にもよくよく解ります。
でも、それとこれとは全く時限の異なることでありましょうから、敢えて、本作の欠点を指摘させていただきます。
一首の意は「今になって思うのであるが、『平凡なことが普通に出来ていた』震災前の暮らしがとても大切であり、かつ『幸せ』なことでもあった。その『幸せ』を根底から覆してしまったこの度の大震災よ。そして、その大震災に見舞われて『幸せ』を根底から失ってしまった『被災地』に降る『雪』の、何と冷たく悲しいことよ」といったところでありましょう。
だとしたら、本作に欠けているのは何でありましょうか?
〔返〕 平凡な暮らしの中の幸せを思へば凍みる被災地の雪 鳥羽省三
○ 田も畑も黙り込んでるふるさとの風が重たい原発の空 (福島市) 美原凍子
美原凍子さんの御作は、常に水準以上の出来栄えの安定した作品である。
でも、そうであるだけに、評者はいつもその安定振りに物足りなさを感じないでもありませんし、本作についても全く同感である。
それは、安定している表現であるが故に、月並みとも思われる「田も畑も黙り込んでるふるさと」「風が重たい原発の空」といった類想的な表現に原因を求められ得ましょう。
〔返〕 放射線に射竦められて黙然と故郷の田よ畑よ我よ 鳥羽省三
○ 蟻のごとき列の車が阿武隈の山に吸わるる町民避難とは (我孫子市) 開発廣和
四句目中の「吸わるる」は「吸われる」とするべきである。
口語の受身の助動詞は「る」では無く「れる」であり、その連体形は「るる」では無く「れる」である。
連体形が「るる」という形をとるのは、文語の受身の助動詞「る」である。
本作は、「吸わ」に見られる如く、“現代かな遣い”で表記しながら、それに接続する受身の助動詞として、文語の助動詞「る」を用いているのである。
一首の歌に文語を用いる場合は“古典仮名遣ひ”で表記するべきであり、そうでない場合は“現代仮名遣い”で表記するべきである。
それを指摘しないで、作中の助動詞とその直前の活用語との繋がりがちぐはぐになっているのを許容して結社誌などに掲載しているのは、当該短歌結社の客寄せ策の一つであると同時に、その結社の主宰など指導者たちの無定見、非常識振りを暴露しているのである。
そんな結社に所属している者はさっさと退会し、定見を備えた結社に入会するべきである。
念の為に申し添えますが、私は「短歌は“文語”を用い、“古典仮名遣ひ”に拠るべきだ」などと、七面倒臭いことを申し上げているのではありませんよ。
〔返〕 被災地を逃げてく車ひとの群れ阿武隈山地に吸われる如く 鳥羽省三
阿武隈の山に吸はるる如くにも被災地を去る車も人も 々
○ 避難所のおにぎり一つの朝食に我も加わる長蛇の列に (福島県) 半杭螢子
杓子定規に解釈するならば、「贅沢なことを言いなさんな」とでも申し上げたくもなるような内容の作品である。
「『長蛇の列』に『加わる』のが嫌であるならば、加わらなければいいだけのことではありませんか。でも、“武士は食はねど高楊枝”という訳には行きませんでしょう。生きる為に食べることと見栄を張ることとは両立しないのです」とでも、付け加えたくもなりましょうか?
しかし、本作の作者・半杭螢子さんの創作意図としては、「『避難所のおにぎり一つの朝食』を食べたい為に『長蛇の列に』に加わりながらも、なお且つ“見栄”を捨て切れないでいる、自分の心理の矛盾を抉剔する」点に在るかと思われます。
また、本作がそうした確固たる意志に基づいて詠まれた作品では無く、なんと無く曖昧でありながら、「長蛇の列」の一員にならざるを得ない作者ご自身の煮え切らない心理を描写した作品であるとしても、なかなか優れた作品である、と申せましょう。
本作の何よりの強みは、自己の直接的な体験に基づいて詠まれた作品である、という点にある。
短歌作品の評価の難しさは、当該作品の内容と作者との関係までも評価の対象としなければならない点にありましょう。
したがって、角川書店や短歌研究社などが主催する新人賞を、毎年、見目麗しき美少女が受賞するのも、強ちに非難するに当たらないとも申せましょうか?
但し、近年受賞の誰彼が、美少女であったかどうかなどを、私が云々しているのではありません。
〔返〕 デパ地下のマグロの試食の人込みに我も加わる妻も加わる 鳥羽省三
仮に、前掲の半杭螢子さん作を「甲」とする。
そして、不肖鳥羽省三作の上記の返歌を「乙」とする。
本ブログの読者諸氏に於かれては、作品「甲」と作品「乙」と比較した場合、いかなる理由で以って、「甲」「乙」のいずれがより優れた作品として、ご評価なされるのでありましょうか?
何卒、厳正なるご判断基準をお示しになられたうえで、ご評価賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
但し、匿名でのコメントはお断り申し上げます。
何卒、宜しく。
○ 春キャベツ七千五百株畑に残し男は自殺す核汚染苦に (三重県) 喜多 功
そんな新聞報道も確かにありましたね。
ほんの一週間ほど前でしたか?
〔返〕 他産地のキャベツの価格も暴落し春キャベツ一玉100円也で 鳥羽省三
○ ああ友よ呼べど答へず泥の町寒さに怯え今宵も眠れる (可児市) 加藤由二
本作の作者・加藤由二さんは、岐阜県可児市のお住いの方である。
であるが故に、直接体験に基づいてお詠みになられたような体裁の本作についての評価には、かなり難しく厳しいところがある。
〔返〕 還らざる母の名呼びて避難所に今宵も眠る哀れな子らよ 鳥羽省三
○ 四時間の行列に得しガスボンベ抱き返り来亀裂の道を (仙台市) 坂本捷子
ただ単に「難儀した」と述べたいのでは無く、被災地の悲惨な暮らしの一端を活写しているのでもありましょう。
被災地に在って、その惨状を直接ご体験なさった方の作品には、それなりの臨場感や緊迫感が感じられるものである。
でも、坂本捷子さん、こうした貴重なご体験を、心中で醸成しないままに小出しになさって居てはいけません。
もう少し落ち着いてから、現地被害者の直接体験に基づいた連作として発表なさったらいかがですか?
〔返〕 風袋と合わせて重さ幾許かガスボンベ抱き亀裂の道来しと 鳥羽省三
○ 津波受けただ一本の松の木が立ちて残れり高田松原 (奥州市) 大松澤武哉
本作の題材となった光景も過日の朝日新聞に写真入りで掲載されておりました。
だが、その「一本の松の木」も、塩水の害で根元から腐りかかっているとかの情報に接しました。
〔返〕 ただ一本残りし松の根腐れをメールで知りぬ高田の友の 鳥羽省三
[佐佐木幸綱選]
○ 原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む (福島市) 美原凍子
良く出来た作品とは思われますが、「やや芝居じみていて大袈裟な表現が気に掛かる」などと申せば叱られましょうか?
「ここ」は福島第一原発の所在地から、どれ位離れた土地でありましょうか?
また、「水」とは水道水でありましょうか、それともペットボトル入りのものでありましょうか?
などなど、私にとっては、余計なことも聞きたくなるような作品である。
要するに、美原凍子さんのような巧みな詠み手の作品に対しては、多くの鑑賞者の中には、心を空しくして鑑賞することが出来ない者も必ず居るものである、ということであり、その一人がかく申す評者である、ということである。
〔返〕 原発を誘致せし町双葉町大熊町の過去よ未来よ 鳥羽省三
○ 簡単に想定外と記者会見きちんと想定すべきあなたが (東京都) 大久保やそじ
「あなた」とは、“どなた”のことでありましょうか?
〔返〕 端的に申せばいつも想定内 記者会見とは言い訳だけで 鳥羽省三
○ われの身と同じ義足をつけしひと早き津波を如何に避けしや (新潟市) 遠藤勝悟
本作の作者・遠藤勝悟さんは、テレビ報道の避難所風景などで、「われの身と同じ義足をつけしひと」をご発見なさり、「早き津波を如何に避けしや」と心をお寄せになったのでありましょう。
我を知り、対象を知る。
この点も短歌作者としては、極めて重要な要件でありましょうか?
〔返〕 我と似て知ったかぶりの男居て何かと仕切る避難所の中 鳥羽省三
我と似たスポーツ刈りの老いの居て食べてばかりの避難所暮し 々
自分自身をピエロ化して、読者サービスに努めることも亦、短歌作者としては、幾分かは必要な要件でありましょうか?
○ 原発を逃れて来たる姪の手がしっかり抱くダックスフント (ひたちなか市) 猪狩直子
人さまざまな世の中でありますから、「何も犬まで連れて『逃げて』来なくとも? それもダックスフントとは?」などと思う、非情な方も居られましょうか?
〔返〕 原発を逃れて来しか福島の友の賀状の版画の兎 鳥羽省三
○ 犬つなぎ避難せし人責める人聞くもつらしや原子漏れ事故 (福島県) 北村ミヨ
まさしく「人」さまざま、「犬」さまざまのこの世の中でありましょう。
それはそれとして、「原子漏れ事故」という表現が適切な表現かどうかが、大いに気に掛かることである。
〔返〕 犬の糞ビニール袋に拾う人拾わぬ人も大宮駅前 鳥羽省三
○ レジ前の商品棚にいつもより多く積まれある香典袋 (仙台市) 武藤敏子
「心なしか?」という程度のことでありましょう。
〔返〕 レジ前のおでんの鍋の煮え滾り湯気に曇るか眼鏡の娘 鳥羽省三
○ 原発で下請け作業者被爆すと本社社員は淡々と読む (高槻市) 奥本健一
そんな所が相場と申せましょうか?
〔返〕 下請けのそのまた下請け子会社の臨時雇いの労働者かも 鳥羽省三
○ 時季なれば菜大根蒔かむと畑を打つ放射能汚染時にまかせむ (稲敷市) 川原とみ
「時季なれば菜大根蒔かむ」とも、「時季なればほうれん草を収穫せむ」とも言えないところが、被災地の人々の泣き所である。
その点からすると、東京都下・稲敷市の方は気楽で宜しいですね。
「放射能汚染時にまかせむ」などとも仰ったりして。
〔返〕 時季なれば野良猫どもも訪れむ我が家の猫を戸外に出すな 鳥羽省三
○ 復興は必ずやなるしかれども人の命に復旧はなし (千葉市) 愛川弘文
「復興は必ずやなる」との確信は、何を根拠になさったものでありましょうか?
〔返〕 復興は必ず成ると菅首相されども彼の再選は無し 鳥羽省三
○ 牛五頭飲めぬミルクを絞り終え那須高原へと避難する牛 (枚方市) 澤 正宏
評者はかねてより、優れた歌詠みは“神の視座”とも言うべき重層的な視点に立って対象に迫ることが在る、ということを指摘して参りましたが、本作は、その“神の視座”とは異なる、複眼的な視野に立ってお詠みになられた作品である。
詠い出しの「牛五頭飲めぬミルクを絞り終え」という叙述は、これから「避難」していこうとしている「牛」から「飲めぬミルク」を絞るという空しい作業に従事した者の立場に立った表現であり、それに続く叙述は、安全地帯たる「那須高原へと避難する牛」を傍観する側に立っての表現でありましょう。
だとすれば、本作は視点の異なった二句を上下に据えた技巧的な作品と言うよりも、叙述の首尾一貫を欠いた作品、即ち、主述関係を見失った作品とするべきでありましょう。
〔返〕 搾れども術無き乳を搾られて那須高原へと避難する牛 鳥羽省三
販売のあて無き乳を搾られて那須高原へと追われ行く牛 々
澤正宏さん作の趣旨を十分に汲み取ったうえで、首尾一貫した作品を詠んだとしたならば、上記の返歌のようになりましょうか?
澤正宏さん作には、格別に必要も無いのに「牛」という名詞が重出する他、「搾る」とするべきところを「絞る」とするなどの不備が見られ、推敲不足の謗りが免れなく、“馬場あき子選”の首席とは到底思われないような作品と思われる。
本作が、こうした欠点を有する作品となった理由の一つに、作者が福島第一原発の事故現場から遠く離れた大阪府の居住者であり、題材となった出来事が、テレビ画面などで視た光景であった点などが上げられましょうか?
震災関係を題材とした作品は、そのいずれもが、題材となっている出来事が悲惨にして厳粛なる事実である。
したがって、題材だけで鑑賞者の涙を誘うことにもなり、細かい叙述の欠点などについては、眼につかなくなる恐れ無しとしない。
それを的確に見据えて、優れた作品を選び、格別優れてもいない作品を没にするのが選者たる者の役目ではありませんか?
選者たる者は、涙で目を曇らせてはいけません。
表現されている事柄に目が曇っても、表現そのものに目を瞑ってはいけません。
○ 「避難せよ」と叫び続けし声を残し女子職員は還り来たらず (あきる野市) 千原孝正
本作も亦、テレビ画面に映った光景でありましょうか?
この度の大震災に於いては、被災地の至る所でこうした悲しい場面が展開されたものと思われ、私たちの涙を誘い、敢えて申すならば、私たちに詠歌の絶好の機会と題材とを提供したのである。
したがって、被災地以外の者がこれを題材にして一首をものした場合は、どんなに巧みに詠み果せても、「巧いことやったね」「シャッターチャンスを逃さず捉えることが出来た」といった、辛口の評言から逃れ得ることが出来なくなるのであり、出来得るならば、こうした題材は、自分の身の回りの何かに絡めて扱うべきなのである。
また、詠まないのが最善の策とも申せましょう。
〔返〕 ご先祖の位牌を救ひ出さんとて津波に呑まれ逝きし人在り 鳥羽省三
○ 平凡なことが普通に出来ていた幸せに降る被災地の雪 (大船渡市) 桃 心地
作者・桃心地さんの表現しようとなさったお気持ちは、匿名のコメント諸氏から“非情”と非難され続けの私にもよくよく解ります。
でも、それとこれとは全く時限の異なることでありましょうから、敢えて、本作の欠点を指摘させていただきます。
一首の意は「今になって思うのであるが、『平凡なことが普通に出来ていた』震災前の暮らしがとても大切であり、かつ『幸せ』なことでもあった。その『幸せ』を根底から覆してしまったこの度の大震災よ。そして、その大震災に見舞われて『幸せ』を根底から失ってしまった『被災地』に降る『雪』の、何と冷たく悲しいことよ」といったところでありましょう。
だとしたら、本作に欠けているのは何でありましょうか?
〔返〕 平凡な暮らしの中の幸せを思へば凍みる被災地の雪 鳥羽省三
○ 田も畑も黙り込んでるふるさとの風が重たい原発の空 (福島市) 美原凍子
美原凍子さんの御作は、常に水準以上の出来栄えの安定した作品である。
でも、そうであるだけに、評者はいつもその安定振りに物足りなさを感じないでもありませんし、本作についても全く同感である。
それは、安定している表現であるが故に、月並みとも思われる「田も畑も黙り込んでるふるさと」「風が重たい原発の空」といった類想的な表現に原因を求められ得ましょう。
〔返〕 放射線に射竦められて黙然と故郷の田よ畑よ我よ 鳥羽省三
○ 蟻のごとき列の車が阿武隈の山に吸わるる町民避難とは (我孫子市) 開発廣和
四句目中の「吸わるる」は「吸われる」とするべきである。
口語の受身の助動詞は「る」では無く「れる」であり、その連体形は「るる」では無く「れる」である。
連体形が「るる」という形をとるのは、文語の受身の助動詞「る」である。
本作は、「吸わ」に見られる如く、“現代かな遣い”で表記しながら、それに接続する受身の助動詞として、文語の助動詞「る」を用いているのである。
一首の歌に文語を用いる場合は“古典仮名遣ひ”で表記するべきであり、そうでない場合は“現代仮名遣い”で表記するべきである。
それを指摘しないで、作中の助動詞とその直前の活用語との繋がりがちぐはぐになっているのを許容して結社誌などに掲載しているのは、当該短歌結社の客寄せ策の一つであると同時に、その結社の主宰など指導者たちの無定見、非常識振りを暴露しているのである。
そんな結社に所属している者はさっさと退会し、定見を備えた結社に入会するべきである。
念の為に申し添えますが、私は「短歌は“文語”を用い、“古典仮名遣ひ”に拠るべきだ」などと、七面倒臭いことを申し上げているのではありませんよ。
〔返〕 被災地を逃げてく車ひとの群れ阿武隈山地に吸われる如く 鳥羽省三
阿武隈の山に吸はるる如くにも被災地を去る車も人も 々
○ 避難所のおにぎり一つの朝食に我も加わる長蛇の列に (福島県) 半杭螢子
杓子定規に解釈するならば、「贅沢なことを言いなさんな」とでも申し上げたくもなるような内容の作品である。
「『長蛇の列』に『加わる』のが嫌であるならば、加わらなければいいだけのことではありませんか。でも、“武士は食はねど高楊枝”という訳には行きませんでしょう。生きる為に食べることと見栄を張ることとは両立しないのです」とでも、付け加えたくもなりましょうか?
しかし、本作の作者・半杭螢子さんの創作意図としては、「『避難所のおにぎり一つの朝食』を食べたい為に『長蛇の列に』に加わりながらも、なお且つ“見栄”を捨て切れないでいる、自分の心理の矛盾を抉剔する」点に在るかと思われます。
また、本作がそうした確固たる意志に基づいて詠まれた作品では無く、なんと無く曖昧でありながら、「長蛇の列」の一員にならざるを得ない作者ご自身の煮え切らない心理を描写した作品であるとしても、なかなか優れた作品である、と申せましょう。
本作の何よりの強みは、自己の直接的な体験に基づいて詠まれた作品である、という点にある。
短歌作品の評価の難しさは、当該作品の内容と作者との関係までも評価の対象としなければならない点にありましょう。
したがって、角川書店や短歌研究社などが主催する新人賞を、毎年、見目麗しき美少女が受賞するのも、強ちに非難するに当たらないとも申せましょうか?
但し、近年受賞の誰彼が、美少女であったかどうかなどを、私が云々しているのではありません。
〔返〕 デパ地下のマグロの試食の人込みに我も加わる妻も加わる 鳥羽省三
仮に、前掲の半杭螢子さん作を「甲」とする。
そして、不肖鳥羽省三作の上記の返歌を「乙」とする。
本ブログの読者諸氏に於かれては、作品「甲」と作品「乙」と比較した場合、いかなる理由で以って、「甲」「乙」のいずれがより優れた作品として、ご評価なされるのでありましょうか?
何卒、厳正なるご判断基準をお示しになられたうえで、ご評価賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
但し、匿名でのコメントはお断り申し上げます。
何卒、宜しく。
○ 春キャベツ七千五百株畑に残し男は自殺す核汚染苦に (三重県) 喜多 功
そんな新聞報道も確かにありましたね。
ほんの一週間ほど前でしたか?
〔返〕 他産地のキャベツの価格も暴落し春キャベツ一玉100円也で 鳥羽省三
○ ああ友よ呼べど答へず泥の町寒さに怯え今宵も眠れる (可児市) 加藤由二
本作の作者・加藤由二さんは、岐阜県可児市のお住いの方である。
であるが故に、直接体験に基づいてお詠みになられたような体裁の本作についての評価には、かなり難しく厳しいところがある。
〔返〕 還らざる母の名呼びて避難所に今宵も眠る哀れな子らよ 鳥羽省三
○ 四時間の行列に得しガスボンベ抱き返り来亀裂の道を (仙台市) 坂本捷子
ただ単に「難儀した」と述べたいのでは無く、被災地の悲惨な暮らしの一端を活写しているのでもありましょう。
被災地に在って、その惨状を直接ご体験なさった方の作品には、それなりの臨場感や緊迫感が感じられるものである。
でも、坂本捷子さん、こうした貴重なご体験を、心中で醸成しないままに小出しになさって居てはいけません。
もう少し落ち着いてから、現地被害者の直接体験に基づいた連作として発表なさったらいかがですか?
〔返〕 風袋と合わせて重さ幾許かガスボンベ抱き亀裂の道来しと 鳥羽省三
○ 津波受けただ一本の松の木が立ちて残れり高田松原 (奥州市) 大松澤武哉
本作の題材となった光景も過日の朝日新聞に写真入りで掲載されておりました。
だが、その「一本の松の木」も、塩水の害で根元から腐りかかっているとかの情報に接しました。
〔返〕 ただ一本残りし松の根腐れをメールで知りぬ高田の友の 鳥羽省三
[佐佐木幸綱選]
○ 原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む (福島市) 美原凍子
良く出来た作品とは思われますが、「やや芝居じみていて大袈裟な表現が気に掛かる」などと申せば叱られましょうか?
「ここ」は福島第一原発の所在地から、どれ位離れた土地でありましょうか?
また、「水」とは水道水でありましょうか、それともペットボトル入りのものでありましょうか?
などなど、私にとっては、余計なことも聞きたくなるような作品である。
要するに、美原凍子さんのような巧みな詠み手の作品に対しては、多くの鑑賞者の中には、心を空しくして鑑賞することが出来ない者も必ず居るものである、ということであり、その一人がかく申す評者である、ということである。
〔返〕 原発を誘致せし町双葉町大熊町の過去よ未来よ 鳥羽省三
○ 簡単に想定外と記者会見きちんと想定すべきあなたが (東京都) 大久保やそじ
「あなた」とは、“どなた”のことでありましょうか?
〔返〕 端的に申せばいつも想定内 記者会見とは言い訳だけで 鳥羽省三
○ われの身と同じ義足をつけしひと早き津波を如何に避けしや (新潟市) 遠藤勝悟
本作の作者・遠藤勝悟さんは、テレビ報道の避難所風景などで、「われの身と同じ義足をつけしひと」をご発見なさり、「早き津波を如何に避けしや」と心をお寄せになったのでありましょう。
我を知り、対象を知る。
この点も短歌作者としては、極めて重要な要件でありましょうか?
〔返〕 我と似て知ったかぶりの男居て何かと仕切る避難所の中 鳥羽省三
我と似たスポーツ刈りの老いの居て食べてばかりの避難所暮し 々
自分自身をピエロ化して、読者サービスに努めることも亦、短歌作者としては、幾分かは必要な要件でありましょうか?
○ 原発を逃れて来たる姪の手がしっかり抱くダックスフント (ひたちなか市) 猪狩直子
人さまざまな世の中でありますから、「何も犬まで連れて『逃げて』来なくとも? それもダックスフントとは?」などと思う、非情な方も居られましょうか?
〔返〕 原発を逃れて来しか福島の友の賀状の版画の兎 鳥羽省三
○ 犬つなぎ避難せし人責める人聞くもつらしや原子漏れ事故 (福島県) 北村ミヨ
まさしく「人」さまざま、「犬」さまざまのこの世の中でありましょう。
それはそれとして、「原子漏れ事故」という表現が適切な表現かどうかが、大いに気に掛かることである。
〔返〕 犬の糞ビニール袋に拾う人拾わぬ人も大宮駅前 鳥羽省三
○ レジ前の商品棚にいつもより多く積まれある香典袋 (仙台市) 武藤敏子
「心なしか?」という程度のことでありましょう。
〔返〕 レジ前のおでんの鍋の煮え滾り湯気に曇るか眼鏡の娘 鳥羽省三
○ 原発で下請け作業者被爆すと本社社員は淡々と読む (高槻市) 奥本健一
そんな所が相場と申せましょうか?
〔返〕 下請けのそのまた下請け子会社の臨時雇いの労働者かも 鳥羽省三
○ 時季なれば菜大根蒔かむと畑を打つ放射能汚染時にまかせむ (稲敷市) 川原とみ
「時季なれば菜大根蒔かむ」とも、「時季なればほうれん草を収穫せむ」とも言えないところが、被災地の人々の泣き所である。
その点からすると、東京都下・稲敷市の方は気楽で宜しいですね。
「放射能汚染時にまかせむ」などとも仰ったりして。
〔返〕 時季なれば野良猫どもも訪れむ我が家の猫を戸外に出すな 鳥羽省三
○ 復興は必ずやなるしかれども人の命に復旧はなし (千葉市) 愛川弘文
「復興は必ずやなる」との確信は、何を根拠になさったものでありましょうか?
〔返〕 復興は必ず成ると菅首相されども彼の再選は無し 鳥羽省三