臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(4月4日掲載・其のⅢ)

2011年04月10日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]


○  産土の蕪島地震に埋れたり海猫は悲しき声で人恋う  (横浜市) 田口二千陸
                    [注]  地震=なえ   海猫=ごめ

 作者の田口二千陸さんは青森県八戸市の蕪島出身の方でありましょうか。
 八戸市は今回の大震災やそれに伴う大津波で、青森県内で最も被害が大きかったのであり、八戸港内に在る「海猫」の生息地「蕪島」も多大なる損害を被り、その詳報がインターネットや新聞などでも伝えられている。
 下句に「海猫は悲しき声で人恋う」とある。
 「海猫」は「地震」や津波の害の有無に関わらず、いつも「人を恋う」ような「悲しき声」で鳴くのであるが、今回の場合は、本作の作者ならずとも、余計「悲しき声」で鳴くように聴こえたことでありましょう。
 詠い出しの「産土の」を「故郷の」とする手もありましょうが、「蕪島」周辺の住民は、「蕪島」の中心に在る“蕪島神社”を含めた島自体を御神体として崇め奉っているので、この場面では「産土の」とするのが適切な措置である。
 〔返〕  海猫(ごめ)が鳴く津波が島に押し寄せる講中はみな産土に祈る   鳥羽省三


○  微笑する主を置きしまま盲導犬は草の香を嗅ぐ  (相模原市) 岩元秀人

 作中の「盲導犬」は未だ任務に就いて間もない犬でありましょう。
 その事を知っていて、「この犬もまだまだ修業が足りないな。これでは、目の不自由な私を導くというよりも、私に導かれて散歩をしているようなものである」などと思いつつも、その顔に「微笑」を浮かべている人柄の宜しい「主」の有様が想像されて、なかなか味のある一首である。
 それはそれとして、本作中に過去の助動詞「き」の連体形「し」を用いたことについては、大きな疑問を感じる。
 「置きしまま」を「置いたまま」と改めて、一首全体を口語表現にするべきである。
 〔返〕  右足を高く掲げて尿(ばり)をする盲導犬には笑う他なし   鳥羽省三       右足を高く上げてぞ尿をする盲導犬は主に見えずも       々 


○  いつもなら「夕焼けきれい」とメールする今日はいっしょに見ている幸せ  (東京都) 上田結香

 本作の作者・上田結香さんにとってのこの頃は、毎日毎日がからりと晴れ上がっているのでありましょう。
 したがって、彼女は「いつも」「いつも」彼に「『夕焼けきれい』とメールする」のでありましょう。
 〔返〕  「彼と見る夕焼け空はきれいです」「いつもの感じとどこか違うの」   鳥羽省三
      雨の日も「夕焼けきれい」とメールする? 一緒に見てたら幸せかもね!   々


○  その人でなければならぬ女性(ひと)になどなれぬかも知れずそっと手を振る  (高松市) 桑内 繭

 “桑内繭”さんというお名前からしても、本作の作者は、既に相手の男性の魅力の虜になっているのである。
 こうなったら、「その人でなければならぬ女性になどなれぬかも知れず」などと、余計なことを心配せずに、その男性の魅力を食べ尽くしてしまい、堂々と「手」を振って“さいなら”しなさい。
 〔返〕  ポリポリと桑の葉っぱを食べ尽し美しき繭に包まれ眠れ   鳥羽省三


○  冬枯れに孤り青葉の大楠の力瘤見せ走り根太し  (熊本市) 高添美津雄

 「力瘤見せ走り根太し」と、「楠」の老木の感じをよく出している作品である。
 荒波や風雪をくぐり抜けて太く逞しく生きて来たが、今は安息の時とばかりに独居生活に入った高齢者男性のようでもあるが、それでもなお且つ、他を寄せ付けないような威厳を感じさせているのである。
 〔返〕  籠もり居の我が陋屋を見下ろせる染井吉野の走り根凄し   鳥羽省三


○  我が房の便器は常にピカピカに磨きあげてあり洗顔してもよし  (アメリカ) 郷 隼人

 “住めば都”と申しましょうか?
 長らく住んでいると、刑務所内の独房にさえ愛着を感じているのでありましょう。
 そこが我が家であるとばかりに、狭い室内は掃き清め、自分一人の為に御用を果たす「便器」さえも「常にピカピカに磨きあげて」いるのでありましょう。
 「洗顔してもよし」などと独り善がりに威張って居られるのである。
 〔返〕  底の無い便器で洗える顔ならばいけしゃあしゃあと振舞えるはず   鳥羽省三  


○  啓蟄にジャンパー脱ぎて庭に出る杖つきし老友来るを待たなむ  (福島県) 北村ミヨ

 いささか付き過ぎのような感じの表現ではあるが、冬季間はどうしても引き篭もりがちな高齢者が、今日は啓蟄とばかりに、着古した「ジャンバーを脱ぎ」「庭に出る」。
 何の為かと言うと、昨日約束していて、今日は必ず来るはずになってする「老友」が「杖」を突いてやって来るのを出迎える為なのである。
 着古しの「ジャンバー」を脱いで「庭」に出て「老友」を待とうとしている話者についても言えることであるが、待たれている「老友」が「杖」を突いてやって来る様を想像すると、いかにも待ちに待った「啓蟄」が到来したような感じになるのである。
 〔返〕  老と老ほほえみ交わし手を握る待ちに待ったる啓蟄の朝   鳥羽省三


○  つんつんと七色の首突き出して鳩の赤足大地踏みしむ  (岡崎市) 神保昇二    
 「鳩」の「足」が「赤」いとは気がつきませんでした。
 そう言えば、「首」の廻りの羽毛などもただ単なる褐色ではないような気がします。
 本作の作者・神保昇二さんは、そうした鳩の身体の特徴や動作などをよく観察していて、「つんつんと七色の首突き出して」と言い、「鳩の赤足大地踏みしむ」と言っているのである。
 〔返〕  かんかんと半鐘響くお昼どき鎮守の屋根で鳩が鳴いてる   鳥羽省三


○  はばたける鴨脚すぼめ飛びたてば汽水きらめき水際立てり  (浜松市) 松井 恵

 一首の意は、「それまで準備運動をするかのようにして羽ばたいていた鳩たちが、一瞬『脚』を『すぼめ』たかと思うと、次の瞬間、一斉に大空に飛び立って行った。すると、それに曳かれたかのようにして、塩水と真水が入り混じった浜名湖の水がひらめいたのであるが、その様は、私には『水際』が立ち上がったように見えたのである」といったことでありましょうか?
 「鳩」と「汽水」との瞬間的な動きを、よく捉えている作品である。
 〔返〕  離陸するジェットの如く脚すぼめ白鳥七羽群れて飛び立つ   鳥羽省三