臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(3月28日掲載・其のⅠ・決定版)

2011年04月03日 | 今週の朝日歌壇から
 陋屋を見下ろす高台の桜が咲きました。
 未舗装の小径の両側からM社のグランドの土手に掛けて、老木の染井吉野が百本余りも在りましょうか。
 次男の病気に重なっての私の病気。
 今年の春は、三十五年の教員生活中に貯めたお金のほとんどを注ぎ込んで建てた住いを叩き売り、八年に及ぶ田舎暮らしを止め、神奈川県にUターンして迎えた初めての春であり、東北関東大震災の揺れも治まらない中で迎えた春である。
 それだけに、今年の桜にはまた格別な感慨を覚えるのである。
 一気に咲き、一気に散る桜。
 来春の桜に、私が巡り逢えるとは限りません。

○  往にし世の何処の春にも咲くさくら古希過ぎて観る今年の桜   鳥羽省三




[佐佐木幸綱選]

○  大地震津波の前に詠みし歌春は近くて脳天気なり  (東京都) 夏目たかし

 作品に対する評価とは別に、その内容には同感を覚える。
 〔返〕  脳天気上々天気の三月を突如襲ひしまさかの地震   鳥羽省三


○  怖れゐし原発事故の起こりたりあれほど安全と言ひてゐたるに  (敦賀市) 上田善朗

 作者が原発銀座・福井県敦賀市にお住いの方であるだけに、詠い出しの「怖れゐし」に実感が感じられます。
 つい先日までは、“脱炭素社会”の主戦投手もしくは中継ぎエースとしての原発の果たす役割りが世界的に注目されていて、ひと頃の原発反対運動が影を潜めていただけに、今回の事故で負った私たちの痛手は深い。
 〔返〕  敦賀市と言えば豊かで税金の少ない町と記憶していた   鳥羽省三


○  地震による停電岩手を包み込む3・11雪降りやまず  (岩手県) 田浦 将

 被災地の方の作品でありましょうか?
 だとしても、地震や津波を題材とせずに、「地震による停電」を歌ったところに、よく言えば精神的な余裕が、悪く言えば切迫感の薄さが感じられるのである。
 また、五句目の「雪降りやまず」に対する評価は、大きく分かれることでありましょう。
 〔返〕  停電は日夜に及び冷蔵庫の魚肉みな腐れしならむ   鳥羽省三


○  ヘルメット被る二人は街中の船腹赤き画面にうつる  (岡山市) 小林道夫

 「街中の船腹赤き画面にうつる」という叙述に、地震の被害の及ばない地に在り、テレビ「画面」で以って地震の被害状況を知った者の驚きの大きさが表現されているのでありましょう。
 〔返〕  屋上に車輪乗り出すトヨタ車に驚こうともせぬ被災者よ   鳥羽省三


○  二日目につながりて聞く母の声闇の一夜をしきりに語る  (島田市) 小田部雄次

 よく出来た作品ではありましょう。
 だが、震災の規模の巨大さや原発事故に対する恐怖感からすれば、被災地への電話が「二日目」にやっと繋がってことや、「闇の一夜」を過ごしたことなどは、どうでもいいことのようにさえ思われるのである。
 〔返〕  死亡者ゼロ秋田県の住民も闇の一夜を過ごしたと言う   鳥羽省三


○  流されて放り出されしランドセル小さな背中の温もりを恋う  (春日井市) 伊東紀美子

 本作の作者・伊東紀美子さんにすれば、「小さな背中の温もりを恋う」「ランドセル」には、格別な思いをお感じになられたのでありましょう。
 だが、評者の感覚を以ってすれば、本作は、自然災害の前には全く無力な、文学表現の空しさを感じさせる作品である。
 とは言え、これは本作の出来を貶めようとの思いから発した言葉ではなく、圧倒的な自然災害の前にひれ伏し、虚脱状態に陥っている評者自身の心理を表わしたものかも知れません。
 〔返〕  兄の子の妻の実家が全壊と聴くも私の心動かず   鳥羽省三


○  原発という声きけば思わるる市井の科学者高木仁三郎  (静岡市) 篠原三郎

 東京電力などの原発を安全と嘯いてその推進を計った営利会社や財界人及び、その背景となった政府自民党の政策に抵抗した人物たる東京都立大学(元)教授・高木仁三郎を、我が国の“脱原理力運動”の中心たる高木仁三郎氏を、「市井の科学者」として紹介するだけでは、あまりにも空しくありませんか。
 「市井の科学者」などという、手垢で汚れた既成の言葉で以って処理なさっているところに、本作を傑作と言い切れない理由が在るのである。
 本作も亦、作者と言うよりも、文学としての短歌表現の限界を感じさせる作品と思われる。
 東北関東大震災及び福島第一原発事故という厳粛なる現実の前には、本作のみならず、いかなる文学も屹立することが不可能なのかも知れません。
 〔返〕  あれこれと申すも老いの繰り言か とは言え黙して居るもならずも   鳥羽省三


○  絶対を想定外が覆す科学の粋の原発に事故     (西海市) 前田一揆
○  ぐらぐらと畑がゆれる施肥をするわれは咄嗟に四つん這ひになる  (長野県) 小林正人

 前掲二作を比較してみるに、前者が「絶対を想定外が覆す科学の粋の原発に事故」と、概念としての原発事故を歌っているのであり、「絶対を想定外が覆す」と述べただけが手柄の観念的な作品である。
 それに対して、後者は、地震発生と同時に「咄嗟に四つん這ひ」になって難を逃れたという、自分の行動を通して地震の激しさを歌っている作品なのである。
 両作品の優劣は明らかである。
 “事実に勝る表現は無し”と言いましょうか?
 “事実の前には敵すべくも無し”と知りつつも、敢えて表現しようとするのが、我ら歌人の哀しくも空しい宿命でありましょうか?
 〔返〕  施肥中の四つん這いまた想定外 目鼻唇肥料塗れか?   鳥羽省三


○  二十年三月十日と刻まれし一家三人揃ひて墓碑に  (市川市) 仁茂田宇一

 この時節に、敢えて六十五年前の“東京大空襲”の惨禍をお詠みになる歌人もいらっしゃるのである。
 本作の作者・仁茂田宇一さんは、一首の、否、一種の臍曲がりでありましょうか?
 〔返〕  彼の時も此の日も悲惨我等みな悲惨に耐えて生きる生き物   鳥羽省三