臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『NHK短歌』観賞(来嶋靖生選・4月3日分・決定版)

2011年04月07日 | 今週のNHK短歌から
[特選一席]

○  すきとおる日差しに春の匂いして今日より化粧は薄くして出づ  (横浜市) 樋口美智子

 詠い出しに「すきとおる日差しに春の匂いして」とある。
 これは、それまでのどんよりと曇った冬空から打って変わってくっきりと晴れ上がった春先の空や空気の印象を感覚的に述べたのでありましょう。
 また、そうした「春の匂い」のする季節に巡り会ったならば、どんな女性だって歌舞伎役者のような厚「化粧」を止め、「すきとおる」ような薄い「化粧」をして、何処かに外出したくなるものでありましょう。
 人間は誰しも季節に応じて心を動かして行くものである。
 本作の作者・樋口美智子さんもまた人間であり、しかもその人間中の選ばれたる存在の女性でありますから、その例外ではありません。
 この日、樋口美智子さんは持ち前の美肌に「すきとおる」ような薄化粧を施してズーラシアにお出掛けになったのでありましょうか?
 だとすれば、ズーラシアでは並み居る動物たちが一斉に彼女を振り向き、彼女の折からの水仙の花にも似た美しさに驚嘆の声を上げたに違いありません。
 〔返〕  ナーシサスさえも顔負け美智子さん肌も芳し顔も麗し    鳥羽省三
      北極熊さえも負けちゃう美肌にて園内歩めばオカピイも笑む   々  



[同二席]

○  わが影は座りたるまま動きゆく椅子の形の影を伴ひ  (小松島市) 関 政明

 お身体が不自由な歌人・関政明さんは、久しぶりに晴れ上がったこの日、車椅子で外出なさったのでありましょう。
 関政明さんの介助の方が車椅子を押せば、「椅子の形の影を伴ひ」関政明さんの「影」は座ったまま、すっかり春らしくなった街路を動いて行くのでありましょう。
 関政明さんご自身が「動きゆく」のではなく、関政明さんの「影」が「座りたるまま動くゆく」のである。
 自分の「影」が「椅子の形の影を伴ひ」ひとりでに「動きゆく」ことの不思議さ。
 その不思議さにうっとりとなさって居る関政明さんの姿が彷彿とされる佳作でありましょう。
 〔返〕  我が手にて廻せば動く車椅子自分の影を自分で送る   鳥羽省三



[同三席]

○  祖母、母と継ぐ漬菜桶とり出だし洗ひしばらく日に当てており  (岩国市) 森田アヤ子

 「祖母」から「母」へ、「母」から本作の作者・森田アヤ子さんへと受け継がれた「漬菜桶」。
 その「漬菜桶」を漬物小屋から「とり出だし」、森田アヤ子さんは「水洗ひ」し、「日に当てて」いるのでありましょう。
 毎日のように晴れ上がるしかない瀬戸内地方の冬空。
 その冬空へと、祖母以来の「漬菜桶」からほのぼのと高菜漬けの残り香が立ち昇って行くのである。
 表現上の問題について一言申し上げれば、「洗ひしばらく」という四句目を、「洗ひてしばし」とする手もありましょうか?
 〔返〕  がたが来た箍を繕ひまだ使ふ祖母伝来の漬菜の桶よ   鳥羽省三 



[入選]

○  水色をかすかに帯びる濡れ雪を双手に丸め春の水抱く  (青森市) 蝦名洋子

 「水色をかすかに帯びる濡れ雪」という表現に、作者・蝦名洋子さんの観察眼の確かさと表現の適切さが窺われる。
 その「濡れ雪を双手に丸め春の水抱く」とありますが、冬の終りの「濡れ雪」は、その言葉通り「濡れ」ていて、水分を多く含んでおりますから、「双手」で以って「丸め」て雪玉を作ろうとすれば、逸早く「春の水」を「抱く」結果となるのである。
 間も無く訪れようとしている、北国・青森の春。
 その青森の春を先取りして、本作の作者・蛯名洋子さんは「春の水」を抱いたのである。
 〔返〕  逸早く春の水抱きその夜は夫に抱かれしとどに濡れる   鳥羽省三 


○  ゴミ出しの日より大きな丸つけて母は待ってるわれの訪う日を  (仙台市) 村岡美知子

 高齢者家庭のカレンダーの「ゴミ出しの日」には、赤いマジックで「大きな丸」が付いているものである。
 お茶の間のカレンダーに、その「ゴミ出しの日より」も、もっともっと「大きな丸」を「つけて」、本作の作者・村岡美知子さんのお母様は、娘・美知子さんの「訪う日」を、一日も早くと待ち焦がれているのである。
 〔返〕  震災の被害はいかがお母さん一人暮らしはさぞ辛からむ   鳥羽省三


○  突然に君が差し出す小さき箱を疑っている四月一日(えいぷりるふーる)  (かすみがうら市) 高橋悦子

 作中の「君」は、フレゼントなど貰いつけないことでもあり、また、当日は生憎「四月一日」でもあったから、「まさか私に」とお思いになったのでありましょう。
 普段からプレゼント攻めに悩まされている評者なら、「またか」と思ったことでありましょう。
 あの“バレンタインディー”の日に貰ったチョコが、未だに我が家の冷凍庫の中に山成して居りますよ。
 本当に困ったもんです。
 〔返〕  箱の中につぎつぎ箱が入ってて最後は空気エイプリルフール   鳥羽省三


○  忘れ得ぬ一日ひとひの抽斗を開けてまた閉づ音のなき夜に  (枚方市) 三上 昇

 我が家の李朝風薬箪笥には、大小取り混ぜ百余りの「抽斗」が在るのであり、天気予報が外れて早朝から生憎の花曇りとなってしまった今日は、妻の翔子が、その百余りの「抽斗」の一つ一つを布で磨いている様子である。
 磨き終えたら、その一つ一つにダイヤモンドの指輪でも入れるつもりなのかしら。
 冗談はこれくらいにして本論に入りましょう。
 作中の「忘れ得ぬ一日ひとひの抽斗」とは架空の「抽斗」、即ち、本作の作者・三上昇さんの“過去の思い出”でありましょう。
 また、作中の「音のなき夜」とは、ご家族の方々が寝静まり、来客は勿論、電話もメールも来ない深夜のことでありましょう。
 そんな「音のなき夜」に、三上昇さんは眠れないままに、そうした「抽斗」の一つ一つを「開けてまた閉づ」という、空しい行いを繰り返していらっしゃるのでありましょう。
 あっ、失礼致しました。
 たった今、私は、ついうっかり「空しい行いを繰り返していらっしゃるのでありましょう」などと、大変失礼なことを口に出してしまいましたが、そうした“行い”が空しいか空しくないかは、ご当人でなければ判らないことでありましょう。
 大変、大変失礼致しました。
 幾重にもお詫び申し上げます。
 〔返〕  熟慮してみれば益々虚しくて空の抽斗開けてまた閉づ   鳥羽省三


○  日の当たる庭でままごとする子等の声にわたしの口癖を聞く  (岡山市) 柴原佳子

 「ままごとする子等の声にわたしの口癖を聞く」とは、全く傑作である。
 〔返〕  「『勉強しろ、勉強しろ』だけなのよ。九官鳥みたくママ繰り返してる」   鳥羽省三


○  つとめより戻りては打つ庭畑日永となるを喜びとして  (山口市) 國重歌子

 本作の作者・國重歌子さんの勤め先は学校または市役所。
 いずれにしても、公務員関係でありましょう。
 〔返〕  先生のおかずはいつもプチトマト庭の畑に植えてたからね   鳥羽省三

今週の朝日歌壇から(3月28日掲載・其のⅣ・決定版)

2011年04月07日 | 今週の朝日歌壇から
    早春     伊東静雄

 風がそこいらを往つたり来たりする。
 すると古い、褐色の、ささくれた孟宗の葉は、
 一頻り騒めかうと気負うてみるが、
 ひつそり後はつづかない。

 犬は毛並に光沢があり、何も覓めてゐない癖に、
 草の根かたなど必ず鼻先をもつてゆく。
 が忽ちその気紛れが、馬鹿らしく、
 あちらの方へ行つて仕舞ふ。

 梨? 桃? 藪の空地に、それは何の花か、知らない。
 早過ぎた憐れな白い花を見て、
 ひとはふつと自分のすごして来た歳月に、
 或る気懸りな思ひが、してくる。

 空は一面うそ寒く、陰つてゐるのだが、
 誰れも太陽の在処を気にしない。
 ただ、樹々に隠された小道のうへの、水溜りが、
 不思議な空気の明るさの鏡。
       (『夏花』より)


[馬場あき子選]


○  被災地を視ては夫婦で涙ぐむ温き部屋にて熱き物食べ  (飯田市) 草田礼子

 特別に豊かとは言えないが食べるのにも着るのにも住むのにも困らないような暮らしをしている者が、今回の大震災の「被災地」の方々の暮らしぶりなどををテレビで視たりしたような場合に、自分たちは何か悪いことをしているような気がして「涙ぐむ」ような事は、一般的にも在り得ましょう。
 したがって、本作は、極めて普遍的なテーマを扱っていると言えましょうが、裏返しをしてみれば、世俗的な倫理観に基づくテーマを扱っているとも言えましょう。
 その判定がどちらに傾くかは、鑑賞者の好みや人柄にも因りましょうが、格別な人格者でも無い評者の軍配は、後者に上がろうとしているのである。
 ご自身の質素なお暮らし向きを題材にした作品でも、今回の“高野公彦選”の入選作「パーマかけ饅頭食べてお茶を飲む静かな静かな婆の雛の日」のように、自分自身の事のみを余裕を持ってお詠みになられた場合は、読む者に好ましい印象を与えこそすれ、格別に難点を指摘されるようなことは無いと思われる。
 だが、本作のように、ご自分の質素な生活の対極に、テレビで視た「被災地」の方々の生活などを置き、両者を比較してみるような内容の作品の場合は、作者ご自身が期待しているような好感を与えることが出来るとは限らないのである。
 厳粛なる事実の前には、短歌表現というものは余りにも無力だからでありましょうか?
 〔返〕  そのかみの救護施設の大半は貴族屋敷の間近に在りき   鳥羽省三


○  国会の廊下の壁に化石としてアンモナイトの見ている平成  (前橋市) 荻原葉月

 民主党内閣、なかんずく菅総理の無為無策ぶりを風刺する作品は、新聞歌壇や結社誌などに多く掲載されていて、後を絶たない。
 本作も亦その種の作品であるが、「その無為無策ぶりを曝け出している民主党菅内閣が、『国会の廊下の壁に化石として』剥き出しになっている『アンモナイト』に見つめられている」とする点が、本作の新しさと言えば新しさである。
 かと言って、与野党を問わず、小物ばかりの現在の政界には、借金塗れで苦境に陥っている我が国の現状を打開出来るようなエースが見当たず、これといった方策も見当たらない。
 したがって、この風刺の利いた作品も単なる言葉遊びでしかないのである。
 政治や社会の現状を風刺する作品を詠むことの難しさは、そうした点に在るのでしょうか?
 〔返〕  原発で財政赤字で火ダルマに我らの進路は我らが断った    鳥羽省三
      エース出よマー君級のエース出よペナントレースの事には非ず   々
      エース出よ球界救うエース出よ とは言え斎藤佑樹に非ず     々


○  車ごと地震で埋もる夫婦らを僧は語りき雪消の山間  (東根市) 庄司天明

 東北関東大震災の惨禍を詠んだ作品ではあろうが、「車ごと」という語句が無ければ、江戸時代や明治時代の「地震」の際の出来事を、旅人相手に「雪消の山間」で「僧」が語っているような感じの作品である。
 と言うことは、未だ余震に悩まされていて、復興の兆しも一向に見えない“東北関東大震災”を題材として作品に、過去回想の助動詞「き」を用いることは不適当ということである。
 庄司天明さんと言えば、今や“朝日歌壇”の綺羅星の一つとも申せましょう。
 その“綺羅星”が、かかる時代離れをしたような作品を詠んではいけません。
 〔返〕  運転手お客ともども大波に呑まれたというタクシーも在る   鳥羽省三


○  甥のケータイに通じしよろこびを語る嫁はるか郡山は異国のごとし  (丸亀市) 香西一江

 四句目中の「はるか」は、後続の「郡山」を形容する語であろうか?
 それとも、作中の「嫁」のお名前であろうか?
 そのいずれにしても、五句目に「異国のごとし」などという常套句を置くなど、佳作と言うには「はるか」遠い作品である。
 〔返〕  息子らの携帯料金高いなど愚痴を溢せる妻の妹   鳥羽省三


○  やうやくに鯉の頭をせせり了へ残骸積みぬかかる世の前  (長野県) 沓掛喜久男

 「伝へきて寒には鯉こく焚くならい総領なれば頭盛られし」という、ユーモア精神を十二分にご発揮なさった沓掛喜久男さんの傑作を拝見したのはつい先日のことである。
 詳しく言えば、2月21日付けの朝日歌壇の“佐佐木幸綱選”の入選作としてである。
 五句目「かかる世の前」とは、前述作品の題材となった出来事を指しているのであろうか?
 東北関東大震災関係の圧倒的に多い報道に隠れて目立たないが、3月12日の深夜、沓掛喜久男さんがお住いになって居る長野県地方も大きな地震に見舞われ、その被害も甚大なものであったそうだ。
 したがって、「かかる世の前」という語句中の「かかる世」とは、東北関東大震災及び大津波や福島第一原発の事故、更には長野県を襲った地震に因る被害などに拠って収拾の付かない状態になっている、昨今の我が国の世情を指して言うのであろう。
 〔返〕  立ち読みや万引き多しと詠み居たり書店主なれはかかる世の前   鳥羽省三


○  トラックの荷台よりこぼれ落ちし鱈に大鷲・鴉・鷗群がる  (稚内市) 藤林正則

 雪解け頃の稚内市では、毎年のようにこういう光景が展開されているのでしょうか。
 教員として、僻地・稚内にどっかりと根を下した生活をなさっている藤林正則さんらしい佳作である。
 それはそれとして、四月と言えば、公立学校教員の移動期である。
 本作の作者は、この四月から何処の学校にお勤めになられ、どんな歌を私たちに読ませて下さるのでありましょうか?
 〔返〕  トラックの荷台より落ちし鱈一尾土産に拾い稚内を去る   鳥羽省三  

○  冬座敷箒の先にひとつぶのつるうめもどき生死を孕む  (山形県) 佐藤幹夫

 今どき「座敷箒」を使っているお宅も珍しいかと思われる。
 だが、それは、リビングとかキッチンとかワーキングルームとかといったカタカナ名前の部屋で暮している私のような庶民の言い分であって、茶室とか上段の間とか中の間とか座敷とか出居とかといった本格的な日本建築の家にお住いの、高尚なご趣味をお持ちの方々にとっては、「座敷箒」というお清めの道具は、未だ手放すことの出来ない便利かつ伝統的なお道具でありましょう。
 で、作品について一言申し上げますと、評者の極めて狭い短歌観から見て、「冬座敷箒の先にひとつぶのつるうめもどき」という四句目までの叙述は頗る宜しい。
 だが、その後が頗る宜しくないと思われるのである。
 本作の四句目までの叙述は、「『冬座敷』を清めている『座敷箒の先にひとつぶのつるうめもどき』が絡み付いていて、さっきから離れないのであるが、この『ひとつぶのつるうめもどき』は、何処から運ばれて来たのだろうか。 そう言えば、庭と表通りを隔てる生垣に、何時の頃からか赤い実を沢山付けた『つるうめもどき』が絡み付くようになった。ひょっとすると、その実がこの『座敷』まで飛んで来て、私が手にしている『座敷箒の先』に振り落とされまいとして一所懸命にしがみ付いているのだろうか」などと、最低でも十二畳程度の広さのお「座敷」の掃除をしながら思っている、上品な白髪を戴いた高齢者男性の姿などを想像させて、短歌のイメージとしてはなかなか宜しいのである。
 しかし乍ら、それに続いて一首全体を纏めなければならない五句目を、「生死を孕む」などという“無くもがな”の句にしたのは何とも解せません。
 四句目までの表現で、何処かから運ばれて来た「ひとつぶのつるうめもどき」の実が、「座敷箒の先」から振り落とされまいとして、一所懸命にしがみ付いている様は、十分に想像されるのである。
 それなのに、何を今更、「生死を孕む」などと余計なことを言う必要があろうか?
 「詠む方も詠む方ならば、採る方も採る方である」などと、私の尊敬して止まない馬場あき子先生に対して、文句の一つも申し上げたくなる程の失着なのである。
 〔返〕  リビングのペルシャ絨毯その柄の赤い剣が気になる夕べ   鳥羽省三


○  「リハビリはあなたの天職」と言う老のいて特養ホームの作業療法士われ  (習志野市) 渡辺正恵

 過去に於いて毎月数回、義母の居る高齢者介護施設を見舞っていた私の見聞したところに拠ると、「特養ホーム」などの介護施設の中にも、時折り、身動きならない自分の世話をしてくれる職員の方々に「リハビリはあなたの天職」などと仰って、ころりとさせる口上手の後期高齢者が居たりするものである。
 本作の場合は、その善意の企てにまんまと嵌まって、本作の作者・渡辺正恵さんは「作業療法士われ」という気持ち、即ち“得意満面”となって居られるのである。
 誉められて嬉しくないのは、鳥羽省三ぐらいのものである。
 本作の作者・渡辺正恵さんはかなりの理知的な女性と思われる。
 その理知的な女性「作業療法士」渡辺正恵さんをして、かくコロリとさせる弁舌の爽やかさ。
 身動きならぬ「特養ホーム」の住人にして、かくの如き善意なる気配りを伴った弁舌を弄ぶほどのご教養の素晴らしさ。
 明日明日、「特養ホーム」のご厄介にならなければならない、私・鳥羽省三としては、本作中の弁舌爽やかな「老」を見習はざるべけんや。
 〔返〕  本当は歌手になりたかったけどいいわ今日からもっといい職員になる   鳥羽省三


○  かなしみのなきひとはあらず弥生来て雪はみぞれにみぞれは雨に  (福島市) 美原凍子

 「かなしみのなきひとはあらず」とは、ご自身が「かなしみ」を抱えて居る者の弁である。
 去る2月28日の“朝日歌壇”に掲載されていた作品中に「いずくよりこの寂しさの来るならむきさらぎに降るきさらぎの雨」という佳作が在った。
 勿論、本作の作者・美原凍子さんの作品である。
 背景となった季節は、「きさらぎ」から「弥生」へと変わってはいるが、作者の美原凍子さんは、相変わらず季節を詠い、移り変わる季節の中で、人生の寂しさや哀しさを噛み締めていらっしゃるのでありましょう。
 〔返〕  哀しみを噛みしめ来たる人なれば100億円を寄付せし孫氏   鳥羽省三