湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ベートーヴェン:交響曲第7番

2019年03月24日 | ドイツ・オーストリア
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/1/6live

これは併録のクレストンよりノイズが少なく、演奏も良い。トスカニーニもフルトヴェングラーもいる巨匠時代にニューヨークフィルでベト7をやるという、スタイルはトスカニーニに似たもので、もっと即物的で一切の揺れも柔い感情も無いが音はやたら激しく大きく重く攻撃的だから聴いていられる。四楽章は舞踏の権化にはならないが十分魅力的な迫力だ。突進系の同曲が好きなら。拍手も盛大。
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オネゲル:ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ

2019年03月22日 | フランス
アンドレ・オネゲル(P)作曲家指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送管弦楽団(forgottenrecords)1949/5/29放送live

ミヨーのかくコンチェルト的な始まり方をするが(5番とか)単一楽章のごく短い曲で、正直やっとオネゲルっぽいかっこよさが出てきたと思ったら半端に終わる。小協奏曲だからいいのか。晩年オネゲルらしく(ダヴィデ王とか)指揮ぶりは固い。音はどれもしっかり出させていて、機能的なオケも忠実にやっているのだが、テンポが遅めで前に向かわず、リズム感も机上のそれだ。作曲家指揮というもののイメージに沿っている。奥さんのピアノは上手い。技巧的な曲ではないがそつのなさを感じさせるほどである。
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ウォルトン:ヨハネスブルグ祝典序曲

2019年03月20日 | イギリス
ダニエル指揮イングリッシュ・ノーザーン・フィルハーモニア(naxos)CD

1956年前半に作曲されたもの。私はこの曲がとても好きで、ウォルトンのオーダーメイド、特に戦後作品としては最も一般にアピールする曲だと思っている。すっかり前のめりのスタンスをやめて、地中海に隠居しつつ注文を受け作品を送るようになるウォルトンの、その時期の傑作だと思う。ウォルトンらしくないほどに、ガーシュインのキューバ序曲のようなわかり易すぎるアフリカ系の主題やボンゴなどアフリカ系楽器の響きは、注文主であるヨハネスブルグ市設立七十周年祭の音楽監督からの「いくつかアフリカの主題を含める」という条件によるものであり、対してウォルトンは2年前大ヒットしたコンゴのジャン=ボスコ・ムウェンダ「マサンガ」のメロディをEメロに据えるとともに、同時にアフリカ音楽協会からアフリカ音楽の録音を取り寄せてインスピレーションを得た。ひたすら楽天的で爽快に駆け抜ける曲は、現代的な意味での純粋なアフリカ音楽ではなく植民地時代のアフリカ「系」音楽の薄衣をまとい、それは恐らく南アフリカという国の当時辛い社会の上澄みにある、今風に言えばホワイトウォッシュされたものではあるけれど、それでもウォルトンは天才的で、管打のスリルと軽快さに頭で考える前に肩が揺れ出してしまうのである。また、この曲に中身がないことも自覚していて、ノンストップの熱狂的な「ギャロップ」などと自評しているが、南国風の雰囲気はウォルトンにはあまりなかったもので、行進曲「王冠」「宝玉と杖」が持っているエルガーの複製品的雰囲気からは一歩前へ出た感がある。素材はアフリカ音楽の剽窃でありながらきちっと西欧音楽に異化していて、念入りに3回ほど改訂しているが、その華々しくもスキのない出来は素晴らしい。主題を繰り返すしつこさを鮮やかなオーケストレーションとあとはスピードで押し切っているのもいい。その点この演奏は落ち着きすぎている。音楽が前に向かっていかず、アフリカ系楽器の力でリズムが跳ねるまではどうも大人しすぎるというか、あまりのっていない。この曲がアフリカで演奏されることがあるのかどうかわからないが、そちらの演奏家がやったらどうなるのか、とくにこのリズムがオケでどのくらい煽れるものなのか、聴いてみたい。

Johannesburg Festival Overture
イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア

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ルーセル:セレナード

2019年03月19日 | フランス

ミラージュ五重奏団(naxos)CD

ドビュッシー後のフルート&ハープアンサンブルで最も個性的な美しさを音符に収めることのできたのがルーセル、そのこの曲だと思う。税官吏アンリ・ルソーの描くジャングルのような(ルーセルは実際のジャングルも知っていたはずだが)清潔な土俗が、まだ新古典主義には至っていないはずが、非常に簡潔かつ緊密な形で提示されている。フルートアンサンブルや弦楽トリオといった後期作品の濁った響きのクセがなく、夢想に浸れる名作だ。節度あるこの団体の演奏は突出したところがなく、一切揺れず生真面目だが、それだけ原曲の美しさが浮き彫りになっている。とくに音が柔らかめで耳に優しい。雅楽のような響きのもと東洋的な旋律が唐突に流れて始まる二楽章は、ハープの典雅な下降音形で終わるまで隙きがなく、静かな夏の夕べを演出する。リズム感はよいので三楽章もそれなりに楽しめるし、古い時代の演奏より雑味がないぶん今の人は聴きやすいかもしれない。ポルタメントによるジャングルの鳥の声の模倣も無理がなく調和している。良い演奏。

Serenade, Op. 30: I. Allegro
Mirage Quintet


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フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲

2019年03月17日 | フランス
ミラージュ五重奏団(naxos)CD

綺麗にやってしまうとこれほど引っかかりのない曲はない、と思う。ロマンティックなフローラン・シュミットらしく、一部にはみられるが、感情的な表情を加えないと、よくできたサロン・ミュージックとして何も残らない。たとえば同じ盤に入っているルーセルのセレナードはフルート、ハープの見せ場がしっかりあり、そこで個性を発揮しているが、フローランは巧すぎるのか、個性が技術により霧消してしまった感じがあり、そこで工夫がいるのではないか。うーん、良い演奏だと思うがなにか足りない。紹介音盤としては良いのだろう。「フランス・フルート室内楽」と題したコンピレーションに収録。
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※ジオシティーズ(ホームページ)3月末で閉じます

2019年03月15日 | Weblog


移行してもよかったのですが、すっぱり消します。何十年も前の記事は自分としても価値ないです。盤評とサインのページ、書籍紹介はそれぞれブログに移してあると思います(抜けもあるでしょうが)。でも作曲家紹介などは完全に消えます。過去の掲示板ログも消えます。

(更新期間(1989~)2000/3~2004)

ごきげんよう。
Comments (2)
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ウォルトン:ピアノ四重奏曲

2019年03月14日 | イギリス
○ドノホー(P)マッジーニ四重奏団のメンバー(naxos)CD

「ファサード」のパロディ音楽、「弦楽四重奏曲(1番)」の表現主義音楽から離れ、新古典主義的なスッキリした作風を獲得したウォルトン十代の代表作と言っていいのではないか。後年改訂されたかも知れないが根幹は変わりようがない。後半楽章を中心に以後まったく興味を見せなくなる民謡調を使い(三楽章はヴォーン・ウィリアムズのパロディのような美しい流れから皮肉な崩し方をする)、四楽章は形式を守りウォルトンにしては冗長な印象が否めないが、このメロディの親しみやすさ、透明な感傷やどる響き、トリッキーなリズムこそウォルトンの真骨頂であり、「ポーツマス・ポイント」の萌芽を感じ取ることができる。この演奏はとくに一楽章においてウォルトンの解釈としては異例の揺れ方をし、感情的な表現を取っている。やや音が硬質だが、このくらいやってくれると嬉しい。四楽章に同じような工夫がほしいが、シンプルを極めた譜面はなかなか弄れないというか、リズムが取れなくなるから仕方ないのか。これはやはり冗長な印象を払拭できなかった。二楽章の俊敏なアンサンブル、三楽章のたっぷり呼吸する甘やかなメロディと涼やかな響きの演出は特筆すべきものだ。全編メロディがメロディメロディしすぎて「恥ずかしさ」は否定できない曲だが、ラヴェルのピアノトリオを聴いてこんなものが書けてしまう恐るべき子供だったウォルトンには感服する。
 
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クレストン:交響曲第2番

2019年03月14日 | アメリカ
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1945/2/18live

最近のSLSには珍しく針音が盛大に入っており、長大な1楽章の最初から陰鬱な楽想に泥を添えている。終楽章である2楽章は舞踏楽章でタカタカタカタカ走り回る効果的な音楽。こちらは音に迫力があり、NYPも40年代録音だから原音以上に雑に聞こえるものの、想像力をもってすると精度は高そうだ。1楽章の平凡な陰鬱さの印象がつよいためこれまでモントゥの数々のライヴやハワード・ミッチェルの正規盤(まとめブログ参照)を取り上げていずれも印象は悪いのだが、ロジンスキは何物にも魂を植え付けることができるらしく、聴きごたえはあった。2楽章はモントゥらよりはるかに統制力があると思う。音に彩はないがアンサンブルに立体感はばっちり。音もミスなくしっかり切れている。扇情的な突進はロジンスキほどのテクニックの裏付けのもとに成り立つものだ。ここはカッコよいので聴く価値あり。
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ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラとピアノのためのロマンス(B.ショア、E.グリットン編)

2019年03月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ブラッドレイ(Va)レネハン(P)(naxos)2013/7・CD

没後発掘された遺稿にもとづき1962年に編まれた曲で、ターティスのために書かれたと推測されているが根拠はよくわからない。後期ないし晩期の作品とは思うが、ヴァイオリンのためにかかれたピアノ伴奏による作品、たとえばソナタのようなものにくらべメロディは冒頭こそ似たような渋い、アピールしづらいものに思えるが、六分という短い時間の中で息の長い歌を継いでいくとともに、田園の魅力的な色彩を帯びてくる。したがって少し遡る作品なのかもしれない。ピアノもヴォーン・ウィリアムズらしく技巧的にならず、大きく呼吸するヴィオラの長い音符に色を添えるような、緩いものになっている。これは編曲の妙なのかもしれないのでわからないが、ヴォーン・ウィリアムズらしい、メロディの他まったく音を詰め込む気のない、最小限に削ぎ落とした曲となっている。演奏はヴィオラのための曲ということをあまり意識させず、ヴァイオリン的な音で聴きやすい。新しいデジタル録音で、ヴォーン・ウィリアムズはそういう音によく合う。
 
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アイヴズ:ハロウィン

2019年03月12日 | アメリカ
グルーサー(Vn)他、コンティニュアム(naxos)CD

一晩で書いたという本人曰く冗談音楽だが佳作の一つとして演奏機会も多く私も譜面を持っている。ドラムとピアノを伴う弦楽四重奏による小品となるが、たしかドラムは省略可能でなかったか。カルテット編成でただのスケール(何かの引用だったかもしれない)による変則的なフーガが、弱音からひたすら繰り返される。律動がはげしくなるとピアノの硬質な不協和音が重なり、ついにドラムが爆発音を発するようになる。頂点で強引な大団円が打たれるが、この単純な構造を前衛的な方法で構築していくのはアイヴズ得意のやり方だ。始めのカルテット部は各弦楽器の入りが不規則で、非クラシック的な感興を呼ぶアタックの応酬がそのままリズム旋律のように働き、これは始めからフーガを装った打楽器音楽なのだということがわかる。ある意味、祭りの夜の情景描写音楽かもしれない。アイヴズの常で演奏は少し手を入れられテンポ設定ひとつとっても団体によって違ったりする。これは原曲に忠実な室内楽編成だが(拡大されて演奏されることが多い)注意深く遅いテンポで始まる。ただ弛緩しないようにか音はスピッカートでピチピチ切られるのでさほど違和感はない。遅いまま進むかと思いきや音が多くなり音量とともにどんどん早くなっていき、計算と気合の上手いこと調和したところで乱痴気騒ぎの演出は完了。これはなかなか聴ける演奏だったが、アイヴズの発想力をアピールするだけという感じも無くはない。聴かせる音楽として異化するバーンスタインは上手い人だったのだなあ。
 
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タイユフェール:ドビュッシー讃

2019年03月12日 | フランス
アリアーノ(P)(brilliant)CD

brillantはお試しにYoutubeに全箱アップしている音源があるのでこれもあるかもしれない(全曲アップは販促になるのか個人的には疑問だけど…)。フランス六人組中の理論肌の才人で、華々しいのは若い頃紅一点であったころで(ティボーと浮き名を流したこともある)、むしろ職人的な方向へ向かい、十二音技法を含むさまざまなものを吸収した高い技巧を持ちながら節度ある、またあまり重くならない小規模な作品を長い人生の過程でかなり書いている。CDこそ探しづらいが、Youtubeにはたくさんあるので万華鏡のような世界を楽しむといいと思う。ミヨーとオーリックの巨漢二人をつなげたような世界を自分のテリトリーとして固持していたのかとも感じるような、聴きやすくも硬質の、隙のない作品が多い。ピアノ作品は中でもプーランクのような技巧に走らず、ミヨーの単純な美観は視線は送るもそこに安住せず、個性的にはきこえないが、ベル・エポックのパリでサロンに流れたような穏やかで人好きする音楽は、あれ、他にこういうのを書いた人を一人、絞ってあげられない、とはっとさせられる唯一無二性もある。この曲もふらふら枯れ落ちそうにして世俗性ある旋律がゆったり流れ、どこかで聞いたようなのに思い出せないフレーズがつぎ合わされてすぐ終わる。わりと不協和音的だが不可思議な世界を演出する計算でしかない。これはミヨー的でもあるが、とにかくタイユフェールは構えなくても聴けてなおかつ満足できる出来が多く、欠点は代表作の欠如なので、みなさまその手で発掘して紹介してみてはいかが。この曲は音楽院でフォーレとともにタイユフェールに一等(対位法と和声法)をあたえたドビュッシーを讃える曲のはずなのにあまりドビュッシーぽくない。まだ六人組の頃の作品だが作風は確立している。演奏は紹介者としては満点。

 
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2019年03月10日 | ラヴェル
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1964/6/4live

アンコール曲。最初ねっとり、どんどんドライヴしていってスピードと力で圧倒していくミュンシュ節。かなり調子良く、オケものっているように聴こえる。ただ録音は撚れはしないがやや悪い。
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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

2019年03月10日 | フランス
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1964/6/4live

この曲もミュンシュの十八番だが、これは録音がかなり撚れていて残念。聴きづらい。この時期でもミュンシュの力感とリズムのキレは健在で、前半ロマンティックでワグナー的な音楽が中盤からカラフルな響きと単純なリズムにより全盛期ルーセルのリリシズムとバーバリズムの同居したこせ的な世界に突き進んでいく。ミュンシュはバレエ的ではないが物凄い豪速球で圧倒し、盛大な拍手とすぐさまアンコールをねだるリズムの背景に消えていく。
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ラヴェル:2台ピアノ(5手)のための「口絵」

2019年03月10日 | ラヴェル
コンタルスキー兄弟(decca)CD

ドビュッシーに比して作品数の少ないラヴェルにあって貴重な発掘作品で、存在は知られていたが戦後ブーレーズの蘇演(ブーレーズはオケ編曲している)まで演奏されることがなく、決定譜が出版されたのは70年代。かろうじてラヴェルを直接知るフェヴリエやタッキーノらが録音できたが、ドビュッシー晩年のように内省的で謎めいている。だいたいピアニスト二人で腕は四本しか無いのに五手というのも前衛的な言い方で、曲も野心的ということばとは違った精緻さをもって前衛的で、チルアウトしっぱなしのアピールしなさがらしくない。冒頭セカンドが入ってくる旋律は数年前初演の春の祭典のものを思わせるし、ポリリズム的に聴こえるようになってくるとますますストラヴィンスキーの世界に近づく。響きはあのような荒いものではないがラヴェル自身がつねに念頭に置いていたという「新しい響き」を重ねていく調子で、ついには単純に硬質な和音を並べていき、5本の腕で分厚い音をはっして終わる短い曲。この後半はサティのオジーブなどの概念を彷彿とさせる。感覚的な前衛者としてのサティのエッセンスの存在も否定できないと思う。そして律せられない前衛者としてのアイヴズがアメリカでやっていた世界にすら接近する静謐な叙情も漂う。母親の死去からつづく心身不調によりこのような作風となったとのことで、ラヴェルらしい隙のなさと同時にラヴェルらしくない意図の不明瞭な不可思議な断章という印象は拭えないが、この演奏は緊密で音だけ聴いていたら自然に一本の楽器のかなでるもののように感じ取れ、そのうえで数学的な抽象的な美観にとても魅力を感じる。発掘出版からしばらくたってこなれた演奏ということもあるのだろう。今は比較的演奏機会はあるようだ。
 
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モンラード・ヨハンセン:交響詩「牧神」

2019年03月08日 | 北欧・東欧
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1964/6/4live

ノルウェーの新しい作曲家だが曲は古くさい。「パン」と聞いて期待するといきなりのシベリウスぶりにのけぞる。中欧的な重心が低い音楽はやはりグリーグに近いのかもしれない。その中にも軽やかなフレーズが舞い込むさまはストラヴィンスキー「火の鳥」だろうが、それほど強い影響は感じられず、通り越してリムスキーと言ってもいいような色彩だ。シェーンベルクを思わせる脳っぽい硬質の音も入るが一部だけで、この交響詩を形作る描写的要素がどのようなテキストに即して作られたかわからないので、そこでなぜその音があるのかわからない。ミュンシュだから聴けてしまうが、次のルーセル「バッカスとアリアーヌ」にちょっと似た折衷的なロマン主義の気もあり、そのような音楽だと割り切れば楽しめよう。「牧神」という題名でホルン斉唱が入ったところで「即物的すぎる…」と唸ってしまった。
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