アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1954/10/31live
版元は六番悲愴としているが五番。むしろアーベントロートの五番というだけで価値はある。東側を代表する指揮者の晩年記録で、相手がレニフィルというなんともなものである。破天荒さはこの人の持ち味ではないが、距離を保ち細かな揺れを好まないながら劇的効果を狙うところは狙う、そこが魅力であり、コンヴィチュニーらとは違うところだ。ただこの演奏、オケの性質と指揮者の性向が一致しないといえばしない。一楽章序奏、とにかく遅い。遅いインテンポを強いてオケの雑味が出てしまっている。主部で徐にテンポアップして通常の悲愴の感じにはなるが、この人はけしてドイツドイツした指揮者ではないと思うけれど、ここではドイツ的な構成感を大事にして崩さないから、結果ふつうの演奏になる。二楽章にきて、これはホルンとかクラといったソロの曲であるから、レニフィルならではの震える泣きのメロディが圧巻。またここで弦楽器もまとまってきて後半はびしっとアンサンブルする。音色の魅力を求める指揮者ではないから合奏部の音は味気ないが、ソロは凄い。三楽章も同傾向。ただ中間部の細かい音符の応酬ではスピードが速すぎ(ているわけでもないがムラヴィンスキー相手じゃないとこうなるのだろうというかんじで)乱れが出る。メインのメロディの歌い回しは特筆すべきところで、テンポをソロや楽団に任せて、こういうところがアーベントロートの素晴らしい手綱さばき、と思わせる。叩きつけるように終わるのも表現主義的だ。レニフィルの力感。四楽章あたりでは音ははっきり出させ音色を重視しないが人工的にドラマティックなドライヴぶりはシェルヘン的な意味で胸がすく(シェルヘンのチャイコフスキーは凡庸だが)。レニフィルとやっと呼吸があってきたのだろう。ただ、やかましいままダダダダと進んで、一息おいて同じ音量でマエストーソ、というのはすこしやかましいか。音の切り方が独特の部分もあり、またレニフィルのペットが下品で弦楽器の雑味を打ち消しとてもよい。正攻法ではあるが破天荒感ある終わり方。拍手は盛大だがブラヴォに類するものはない。面白い、けれどムラはある。
版元は六番悲愴としているが五番。むしろアーベントロートの五番というだけで価値はある。東側を代表する指揮者の晩年記録で、相手がレニフィルというなんともなものである。破天荒さはこの人の持ち味ではないが、距離を保ち細かな揺れを好まないながら劇的効果を狙うところは狙う、そこが魅力であり、コンヴィチュニーらとは違うところだ。ただこの演奏、オケの性質と指揮者の性向が一致しないといえばしない。一楽章序奏、とにかく遅い。遅いインテンポを強いてオケの雑味が出てしまっている。主部で徐にテンポアップして通常の悲愴の感じにはなるが、この人はけしてドイツドイツした指揮者ではないと思うけれど、ここではドイツ的な構成感を大事にして崩さないから、結果ふつうの演奏になる。二楽章にきて、これはホルンとかクラといったソロの曲であるから、レニフィルならではの震える泣きのメロディが圧巻。またここで弦楽器もまとまってきて後半はびしっとアンサンブルする。音色の魅力を求める指揮者ではないから合奏部の音は味気ないが、ソロは凄い。三楽章も同傾向。ただ中間部の細かい音符の応酬ではスピードが速すぎ(ているわけでもないがムラヴィンスキー相手じゃないとこうなるのだろうというかんじで)乱れが出る。メインのメロディの歌い回しは特筆すべきところで、テンポをソロや楽団に任せて、こういうところがアーベントロートの素晴らしい手綱さばき、と思わせる。叩きつけるように終わるのも表現主義的だ。レニフィルの力感。四楽章あたりでは音ははっきり出させ音色を重視しないが人工的にドラマティックなドライヴぶりはシェルヘン的な意味で胸がすく(シェルヘンのチャイコフスキーは凡庸だが)。レニフィルとやっと呼吸があってきたのだろう。ただ、やかましいままダダダダと進んで、一息おいて同じ音量でマエストーソ、というのはすこしやかましいか。音の切り方が独特の部分もあり、またレニフィルのペットが下品で弦楽器の雑味を打ち消しとてもよい。正攻法ではあるが破天荒感ある終わり方。拍手は盛大だがブラヴォに類するものはない。面白い、けれどムラはある。
私、フリッツ ブッシュは大変尊敬していまして、メトロポリタンでのオテロは、トスカニーニに並ぶ出来だと思います。