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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆グラズノフ:交響曲第7番「田園」

2016年09月21日 | グラズノフ
○尾高指揮BBCウェールズ管弦楽団(BIS/brilliant)CD

Glazunov: Symphonies (Complete); Cantatas; Famous Ballet Music; Violin Concerto [Box Set]

Brilliant Classics

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丁寧。ロシア系演奏に慣れていると簡素で即物的に聞こえる。グラズノフの均整美が透明感のある音と良い録音で示されていて、ロジェストより聴き易いかもしれない。二楽章第二主題の天国的な幻想をここまで美しく歌い上げた演奏は無い。グラズノフはマーラーと同様スコアを音にすればそれでいい。そういう現場主義的な即物性を持ち合わせている。楽想の移ろいに忠実に、慎重に描き上げていく真面目さが奏功している。ただ三楽章はその美学が裏目に出て民族的感興を喚起しない。二楽章のぽっとした明るさ(二楽章はほんらい暗いのだが)のまま聴けてしまう。遅いしレガート気味である。ソロ楽器に難度の高い楽章なのでミスなく丁寧に完璧に仕上げようという意図なのだろう。最後の弦の三連符リズムのスピッカートをここまできっちり揃えている演奏は特異で初めて聴いた。

ボロディン前後からロシア国民楽派のアカデミズムは4楽章制交響曲の中間楽章を極めて対照的な雰囲気を持つ独立したピースとして配置するよう意味を拡大もしくは単純化しており、その究極の実践者としてのグラズノフをやるのであれば西欧的な形式概念を外し、二楽章はどん底の無言歌謡、三楽章は祝典用舞踏音楽として異常なコントラストを付けて欲しいとは思う。カリンニコフの1番がわかりやすいと思うが、この場合四楽章は確実にバラバラなそれまでの楽章から主題を全部抽出し並置もしくは複置することで統一感を持たせる、歌劇における終曲の役割を果たす。統一主題があればそこに更に重層的な処理が加わる。盛りだくさんだからえてして冗長感があったりもするが、この曲もまさにそれである。この演奏様式だとどうなのだろう、と思うが、指揮者の構造重視の姿勢がグラズノフのベト的に緊密な書法の裏まで浮き彫りにしていて面白いのである。そう、勢いで曲作りをしないからこその分析的アプローチで冗長感を避けている。ただ各声部間のバランスがやや崩れてきているか。音響的にバラケ感がある。コーダでは見事に最強奏で団円させ、全体設計の巧みさを改めて意識させられる。なかなかの演奏。
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☆ドヴォルザーク:交響曲第8番

2016年09月20日 | 北欧・東欧
○ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(DIRIGENT:CD-R)2008/8/26live

存外素晴らしい演奏で驚いた。基本的に縦ノリのガツンガツンくるドイツ的なドヴォルザークなのだが、音響と構造の整え方は中欧伝統の鈍重で非理知的なやり方とは異なって非常にしっくりくる。ここまで揃えばメカ大好きドヴォルザークが簡潔な書法の裏に忍ばせたもの、独創的な楽器の重ね方、音響的配慮の繊細さ、天才的な対位法、リズムの見事なパズリング、そのへんまで聴こえてきて、ただノリや旋律で押し切る方法が既に過去のものであることを今更考えさせられる。ここにはそういった主知的な観点だけがあるのであはない、この作曲家の民族的作品を思わせる、バルトークのような激しい打音にいざなわれ、決して前には流れないが後ろに引きずられることはそれ以上にありえ無い、3楽章などワルツを強調することはないがワルツとて舞踏音楽なのだから明快なリズムが重要であるし、ドヴォルザーク特有の楽想の躁鬱的転回をものともせず構成する指揮者には曲への信望以上の思い入れを感じさせるパワーの発露が伴っている。オケ含め素晴らしい演奏。ドイツ的なドヴォルザークが好きなら。ブラヴォのような言葉が叫ばれる。○。
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※録音に関する記述について

2016年09月19日 | Weblog
以前は避けていたのですが、本稿中にて比較的新しい盤の録音状態についてネガティブな記述がみられることがあります。エクスキューズを入れている時もありますが、あらためて聴き直すに、往々にして現在の私の聴取状況によるものであったと思われます。作曲家と同時代の録音を中心とする盤評という趣旨から古く悪い録音ばかり対象として書いてきて、突然新しい録音に当たってしまうと今まで気づかなかった、再生環境の問題が耳につくようになった、ということのようです。10年位前からはデータのみの圧縮音源をも対象とし始めたので、それぞれの形式特有の問題点、圧縮する方法(機器、ソフト)の問題点、解凍再生ソフト、スピーカーやヘッドフォン、さらに個人的に好きな音への加工、イコライジングの悪影響が思わぬところに出てしまう例が、特に増えてしまっているようなのです。「この方法はダメだ」的な記事も書きたいところですが面倒くさいことになるのでそれはやめることとして、今後はなるべく環境起因臭い音質への文句は書かないように致します。今までの記事も差っ引いて読んでいただけると有り難いです。よろしくお願いします。
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ブロッホ:シュロモ〜ヘブライ狂詩曲

2016年09月19日 | Weblog
ピアティゴルスキー(Vc)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/1/30・CD

ブロッホが民族に拘っていた時代の代表作で、いわゆるヘブライ旋律が横溢しているが、マーラーのような音楽に比べ確信犯的で、ロマンティックな主情的な音楽からは少し距離を置いているというか、垢抜けたところがある。演奏のせいかもしれないが何となく戦後アメリカの西部劇を思わせる音楽になっているのだ。半音階的な進行は依然中欧ふうであるが、ピアティは得意のレガート奏法を駆使して極めて息の長い音線をかなで続ける。レガートが得意な往年の奏者特有、左手指の柔らかさからくる高音の音程の甘さや音符の切れ目の不明瞭さ(アタックの位置がはっきりせず全体として今ひとつピンとこない)は、ピアティ自身の健康状態に由来しているのかもしれないがいただけない。ミュンシュはともすると渋く収まりがちなブロッホの響きに対し各楽器固有の色を明瞭に打ち出させ新鮮な印象を与える。好き嫌いが別れる曲で私も掴みどころがない曲と思うが、これはまあまあ聞ける。
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ウォルトン:チェロ協奏曲

2016年09月19日 | Weblog
ピアティゴルスキー(Vc)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/1/28,30・CD

ロシア出身でBPのフルトヴェングラーにトップ奏者として迎えられ以後、豪胆な表現と「色艶に逃げない」音でソリストとして活躍したピアティだが、オールドスタイルっぽさがあるというか、音程がメロメロで、現代作品となるとなかなか厳しいところもある。特にウォルトンには常に細部まで正確で明瞭な発音が求められそれは時に過酷ですらあり、その意味で言うとピアティのみならずミュンシュですらどうなのかという気もしてしまう(ボストン交響楽団は機能的で良い)。ミュンシュはほとんど英国物をやっていないしウォルトンもこれ一曲しか残していない。ただ、立体感、色彩感はしっかりとある。いわば「ボールト的な突き通し方」によって聴かせる。響きを神経質に整えるとかいったやり方にくらべて音楽のメリハリがわかりやすくつき、ウォルトンの作品でも晦渋な印象のある同曲に一定の評価をあたえることに成功したのは、ピアティよりむしろミュンシュの腕によるところがあったのではないかと思わせる。ピアティは早くより衰えをみせた奏者で、実際早くに亡くなっている。運指のさまはしばしば後年のメニューインを思わせる。
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☆オネゲル:交響的運動「パシフィック231」

2016年09月19日 | フランス
○ツィピーヌ指揮ORTF(EMI他)1953/2/24・CD

デュナーミク変化、大音量での打楽器的表現が「上品すぎて」少々スケールは小さく感じられるものの、下手な誇張が無くORTFのよさが出ている。アンサンブルが堅固過ぎずばらけすぎず、絶妙の精度の高い近代的な演奏をなすツィピーヌ。録音時期が多少遅ければきっとスタンダード盤として広く知られるようになったのだろうな、この人に限らないがモノラル末期に全盛期を迎えてしまった指揮者はその後あらわれたステレオ期の人材(を持ち上げるプロモ会社・レコード会社)に~その才能の有無にかかわらず~四の五の言わさず表舞台から去ることを強いられた感がある。しかし現在このともすると伴奏指揮者のような扱いすらされるフランス系指揮者は一定の評価を受けているようで、CD復刻は進まないけれどもマニアにとどまらず人気はあるようだ。

私はこの指揮者は抽象音楽の表現が好きで、特にオネゲルあたりはミュンシュのような灰汁の強さ(というかオネゲルの灰汁の強さを浮き彫りにしてしまうこと)が無く、管弦楽をバランスを損なわないようにさばく鮮やかな手腕がはっきり聴きとれるが、仏CD化を契機に声楽を伴う曲を推す向きも多いようだ。この曲では機関車が音をたてはじめるのが少し早い気もするが後代のマルティノンなど録音のいいものに比べても時代なりの音で拮抗できる力感と精度はあり、同時代のシェルヒェンなどのようなゴリ押し感の無さは抽象性を主張したオネゲルの意思に忠実であるとも考えられ、なかなかいいと思う。○。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2016年09月19日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27(49-55説は誤り)・CD

2016年9月発売RCA録音全集ボックスに収録。モノラル旧録で、かつて日本特典盤として世界初CD化されたものと同じ(このときの収録音源は全て今回網羅された)。いくつかのデータが1949年から1955年の間の別日録音としているものの、RCAへは二回しか録音していない。LP発売日や再発日などと混同しているか、単純な誤りである。録音時期が時期だけに古びた音で、下手に自分で加工するとノイズが載るが、さすがにセッション録音なので個々の楽器の音はクリアに分離してきこえ、ミュンシュの直截な解釈をまっすぐ受け止めることができる。隈取の濃いクッキリした音作りで、気になる部分はある。管楽ソロの音色におしなべて味が無く、細かなニュアンスに欠けるのだ。逆に大づかみに曲を捉えて変に感傷的にならずバランス良く仕立てているとも言える。透明感はないが曲を理解するには良い演奏。
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

2016年09月18日 | プロコフィエフ
○ベートーヴェン四重奏団(SUPRAPHONE)LP

重い発音ではあるが溌剌とした演奏振りである。激しく、深刻さが漂う、ショスタコのイメージとかぶる。初演団体としての気負いがあるとは思えないが民族的で軽いイメージで捉えられやすいプロコの晩年室内楽に、感情的な昂ぶりをあからさまに示すのみならず内面的な抽象化された純音楽としての側面を見出しはっきり抉り取ってみせている。こんな深刻な1楽章は無いだろう。さすがといえる。2楽章は民族的な部分が大きい楽章であるだけに表現も素直なものになっている。技術的にそれなりの難度のある音楽だが裏三本それぞれの細かいトリッキーな動きまで全て気合に満ちたボウイングでやりきっている。緩徐部の痛切な響きが晩年プロコの本当の心を垣間見させる。3楽章もまた重いピチカートから重いスピッカート、そして印象的な主題が全パートの力感溢れる表現で派手に提示される。1番2楽章に似た細かい刻みの応酬もまた一音一音重く深刻さをかもす。アンサンブルのマニアックな絡み合いを楽しむという意味ではプロコらしさをスポイルしている感もあるが、不協和で皮肉な主題へのつながりにおいて不自然はない。このあたりがやはりプロコの本心と言えるものなのだろう。主主題の復活後もショスタコを思わせる雰囲気が通底する。チェロの謎めいた下降音形を中心としたソロから、極めて悲愴な主題がいざなわれてゆくあたりも、やはりショスタコのような痛切さが感じられる。痛々しい表現はこの団体が持ち味とする人間味のある荒々しさによって血肉を得て響く。闘争的な主題からいくつかの主題が再現されてゆくが、結局冒頭主題に戻る。この団体の力量が如実にわかる非常に聴きごたえのある力強い表現だ。フィナーレは大上段に構えずすっと終わる。モノラルだが録音はいい。組み合わせをかえて二枚くらいLP化された。
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☆ガーシュイン:ピアノ協奏曲

2016年09月17日 | アメリカ
○ソシーナ(P)A.ヤンソンス指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

冒頭の太鼓が抑制されすぎだって?ここで大見得を切るのがそんなにかっこいいか?事実この演奏はかっこいい。何がかっこいいって、ジャズにおもねることなくあくまでロシアン・シンフォニーの演奏スタイルで突き通したヤンソンス父がかっこいい。オケもかっこいい。ジャズなど眼中に無い。クラシック流儀で・・・まったく自分達のスタイルを崩さず譜面+解釈だけで・・・最後までやりきっている。ピアノも全くクラシカルで乱暴さの微塵も無い。でも、これはロシアの演奏だ。そういう理念だけのこまっしゃくれた演奏は新しいものにはいくらでもある。この演奏の凄いのはそういうクラシックの形式にはまった解釈と一糸乱れぬ統率力のもとに、奏者それぞれが力いっぱい演奏しきっていることだ。音楽の目が詰まって隙が無いのだ。型に嵌まるということがオケによってはこういう新しい効果をもたらすのか、と瞠目した。ブラスのロシア奏法だって(ヤンソンスだから抑制気味だが)あたりまえのように嵌まって聞こえる。とにかくこの演奏には血が通っている。クラシカルな人たちがよくやるようなスカスカで音符の間に風の通るような演奏ではない。こんな楽想の乏しい長ったらしい曲はジャズ「風」に崩していかないと(アレンジしていかないと)弾いちゃいられないはずなのに、彼らはこの曲を国民楽派のクラシックと同様に強いボウイングとあけすけに咆哮するブラスで楽しみまくっている。それだけなら緩徐主題をデロデロに歌いこんで瓦解していくスヴェトラの穴に落ちるところだがヤンソンス父はメリク・パシャーエフ的にきっちり引き締める指揮者だからそこでも決して緊張感を失わずに聴く耳を離さない。この人らしいところだが雑味がきわめて少なく、モノラルだし雑音は多いが私の厚盤では音にふくよかさがありデジタル変換して聴いても素晴らしく聴き応えのある低音のゆたかな音になっている。ちょっと感動しました。この曲をちゃんと聴きとおせたのは久しぶりだ。さすが20世紀音楽のロシア内における稀なる解釈者!録音マイナスで○としておくが、◎にしたい気満々。
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☆フレンニコフ:交響曲第1番

2016年09月17日 | ロシア・ソヴィエト
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MELODIYA)1959/11ボストンlive・LP

珍しい録音でモスクワ録音とされたこともあるようだがボストンと明記されている。メロディヤではモノラルだが原盤はRCAでステレオの可能性が高い。モノラル末期の比較的良好な録音だがライヴなりのぼやっとしたところは残り、裏面の協奏曲(コーガン、コンドラシン)のほうが数倍クリアである。最初から最後まで焦燥感に満ちたえんえんと続く激しい愚痴、といった曲だがソヴィエトのリアリズム作家に典型的な作風が発揮されているともいえる。ただ、オケが洒落ているのと指揮者が統制力のある人であるために曲の価値が数倍上げられている感があり、ソヴィエト特有のお定まりの盛り上がりもショスタコ的な骨ばったものではなくかといってピストンやらアメリカ・アカデミズムの平易で安易なものでもない、「フレンニコフってなんだかんだいって独特の才能があったんだなあ」とまで言わしめる起承転結を曲想にあわせしっかりつけた演奏になっており、ブラヴォー大拍手も「いつもミュンシュが浴びているたぐいのものではなく」真にこの珍曲を名曲に仕立て上げたミュンシュとBSOへの賛辞と受け取れる。けしてミュンシュは洗練された指揮者ではないと思うのだがここではやはりロシアの指揮者と比べて数段スマートでまとまりいい演奏をする人、という印象が残った。○。
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☆ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」

2016年09月17日 | アメリカ
○作曲家指揮イーストマン・ロチェスター音楽院管弦楽団(COLUMBIA)1950年代?・LP

アメリカ交響曲史上に大きな足跡を残すハンソンのネオ・ロマンチシズムを高らかにうたう名作・・・1回目はシベリウスみたいと思う、2回目はドはまりする、3回目は飽きる・・・だが、モダニズムからポストモダンという時代にあって強烈に単純な保守性を押し出したイデオロギー的色彩の強い作品でもあり、結局のところハンソン自身の指揮による録音が最も多い状況がある。この盤は旧録として知られ、mercuryの有名なステレオ録音とは別とされる。実際音や表現は更に古いとされる自作自演盤に近いものを感じるが、そちら(CD化されている)は40年代以前とされ、50年代という非公式情報が正しければ別となる。いずれスタジオ録音であること、自身が教授であった学校の手兵によるという「厳密な」状況下のものということで、ブレがないと思われ、完全なる判別は難しい。mercury録音はクリアだが音場が狭く、良く言えば凝縮された、悪く言えばかなりせっかちでせせこましい直線的解釈が今一の印象を与えるが、旧録はいずれもモノラルでクリアさも無い半面もっと大きく一歩引いた、ただ少したどたどしいテンポどりの演奏になっている。この盤は技巧的に振るわない感もある。アクセントが弱く楽想のコントラストがすっきりしない。これはのちの自作自演ライヴ(アマチュアオケ)でも聴かれる傾向でハンソンの解釈指揮の問題もあるのかもしれない。○にはしておく。プライヴェートCD-R化されている。
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※動画サイト直リンやめました

2016年09月17日 | Weblog
リンク記事掲載直後、パブドメ音源なのにものの見事に削除された著名アカウント(そのアカウントの他の音源や動画がやばかった模様)を見て、やはり危険と判断して直リンやめました。ニコニコはヤバそうなものが多くかつ、登録制なので最初からリンクしていませんが、今後は従来通り、ヒントだけ提示して共有サイト(YouTubeなど)へ誘導して調べていただくことにします。

マイナー分野であるクラシックの骨董音源はCD化されていさえすれば大した再生数もない草の根が簡単に見つかるので、手間はかかりますか、どうぞ、ブログに限らず大手販売店の骨董音源(特に廃盤)でほしいものを見つけたら、真っ先に検索。音質も最近はまんまCDから起こしてる音源か多いので、mp3で買うならいっそここまで許容して、骨董音質なんてイコライジングでかなり直せるので、無駄金使わずタダで聴いてください。パブドメなんだから。

人気のものはアップされないことが多いから、あくまでマニアックな、コレクション補完音源向けです。むかしは共有ソフトでなくてGoogleフォーラムなどからリンク先ファイル共有サイトにもよく出ていましたが、メディアファイアなどダウンロード型は圧縮パッケージ内にウイルス混入させられたことあるのでご注意くださいね。昔はやった頃の残滓が拾えれば儲け、程度で。

最悪なのは権利解消済みなのに数千円もするパブドメ音源(物理媒体なし)しか目に映らず、ボランティアの手によりタダで聴けるのをあとで知ること。デジタル配信は突然終わるか、残っているであろう日を確実に決めて聞けばOK。

参考までに。
世にはウルトラプレミアすぎて、タダで配布するは悔しく、そのためか誰も開示しない音源があります。これは10年計画で探しましょう。
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

2016年09月16日 | ショスタコーヴィチ
◎ロジェストヴェンスキー指揮フィルハーモニア管弦楽団(medici,bbc)1962/9/7エジンバラlive・CD

medici(旧IMP)には珍しく中古で値が下がらないのも道理でこれは実に緊張感みなぎる凄演である。6~8番を予告するような長大なこの曲は、とくに7番の悲劇的な曲想をより複雑に真摯に表現したかのようなところがあり、そこがストーリーだててきっちり表現されていない演奏はとても退屈である。ロジェストはきちんと物語を作る。長大な作品であれば尚更。そのためだけにすべてを整えていく。初演者コンドラシンは逆に抽象的なスコアのまま音にする。この一種サービス精神の差がわかりやすさと説得力の差になる。ショスタコマニアはコンドラシンを求めるだろうが、一般人にはロジェストのほうがずっと向いているのだ。オケが名うてのイギリスオケであることもロシアの偏向した表現におもねらないぶん音楽だけを楽しめる。気合が余って弾けていない部分もあるが、まったく気にならないのは磐石の解釈のせいだ。全体設計がとにかく巧いのである。録音は抜群にいい。リマスターが非常にうまくいっている。空間的なひろがりを音盤にまとめるのに一部不自然な操作が行われているのは原盤がそうなのだろうか。

これは最も納得いった演奏かもしれない。◎にしておく。売ったけどね。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲

2016年09月16日 | ヴォーン・ウィリアムズ
◎マッジーニ四重奏団、ジャクソン(Va)(naxos)CD

推しも推されぬnaxosのスタープレイヤーで英国音楽集はこのヴォーン・ウィリアムズを始め数々の賞をとっている。ヴォーン・ウィリアムズ集にかんしては満場一致で第一に置かれているが、確かに素晴らしい隙のない出来。驚いたのは先達のメディチ四重奏団の懐かしい音によく似ているところだ。感情的な揺れが技巧のほつれになってしまっているメディチのものにくらべ、一切のほつれのない安定感はヴォーン・ウィリアムズの静謐な世界を楽しむのに向いている。解釈もメディチに似ているが、終楽章のヴァイオリンソロは独特の揺れが面白い。◎。
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☆ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2016年09月15日 | ラフマニノフ
○作曲家(P)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(RCA,victor,sony)1929/4/10,13(1楽章のみ、全曲版とは違う電気録音)、1924/1/2,3,12/22・CD

紙ジャケ廉価再発のRCA録音全集ボックス(2005)に収録された、全曲版とは別のテイクの寄せ集め。1楽章は電気録音だがアコースティック録音の2、3楽章とは音の違う、なかなか重厚な聞き応えのもので、かつ瑕疵は否めないがスケールの大きな落ち着いた演奏になっている。ラフマニノフはけして現代的な腕のある人ではなく、指もすらすら廻るわけではないが、テンポをやや落とし少し気まぐれな揺らぎをもってそれほど違和感なく弾き切っている。オケは正直時代なりのものでしかなく編成の薄さが露骨だがストコの引き締めと特有の色彩感は感じられる。演奏的に劣るのは二、三楽章でオケは耳辛い場面が多く(録音上仕方ないところもある)ピアノのミスもなまじ録音機器に近いがゆえに目立つ。確かに2楽章のてんめんとしたリリシズムはオケはともかくラフマニノフの垢抜けた響きをもって、臭くならずに美しく伝わるし、3楽章のやや走るものの直線的なテンポとリズムは魅力的だ。時代らしからぬストコならびにオケのメカニックな動きが光る。ただまあ、やっぱり、全曲録音にくらべ落ちると言わざるをえまい。面白みはある、その点で○。しかし、安くなったなー。
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