湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番

2006年11月19日 | ドイツ・オーストリア
○スヴェトラーノフ指揮ベルリン・フィル(KAPELLMEISTER:CD-R)1989/3/5ベルリンlive

強靭なタテノリの比較的クレンペラー型の、やや客観性のある表現ではあるものの、キレのいい音と強いアゴーギグでスヴェトラらしさが発揮されている。かなりちゃんと解釈され、それが音になっているのはこのオケの機能性ならではといったところだろう(けして指揮者を信用しきった音の感じはしない)。前者のイメージが強いスヴェトラ後期の西欧オケものだが、このソヴィエト崩壊しっちゃかめっちゃか状態の時期においてゴスオケもまた人材流出激しくレベルを保てないと言われていたこともあり、ロンドンのオケもの以上にこの時期のスヴェトラ芸術の真価を確認できるものとして価値はあろう。私もこのころスヴェトラのチャイコ実演と比較的古いメロディヤ録音の数々で魅了されていた(進行中のアンソロジーシリーズは余りに一発録りが多くムラがあり、グラズノフなど私には酷いと感じられた)。とくにブラームスやブルックナーが印象的であったが、ベートーヴェンもなかったわけでもなく、ただ個人的に定めていた範疇から外れているので余り耳なじみはなかったのだが、芸風的にはブラームスの録音のやり方に似ており、じっさい最後のヴァイオリンのプレストからの雪崩れ込みはベルリンの聴衆を魅了するのに十分だったようだ。客演指揮者に対する客席反応(拍手とザワメキ)はベルリンにしてはかなりいいと思う。もっと、もっとプレストに力感が欲しかったがある程度の客観性を求められて抑えているところもあるのだろう。○にしておく。
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チャイコフスキー:マンフレッド交響曲

2006年11月19日 | チャイコフスキー
○スヴェトラーノフ指揮ベルリン・フィル(KAPELLMEISTER:CD-R)1989/3/5live

有名な唯一のベルリン客演でラジオ放送もされているが、改めて思った。

なげーーーーーーーよ!!!!!

この曲はきほん「筋のある歌無し歌劇」であり、「白鳥の湖の交響曲化」であったりもし、視覚的効果なしに50分を聞きとおすのはかなりキッツイのである・・・チャイコ・マニアじゃないと。このてのものはやはりクーチカ、とくにリムスキーなどに水をあけられている。グリエールのイリヤ・ムーロメッツの面白さと比べたら雲泥だ(リムスキーのアンタールとはびみょうだが)。もっともオーケストレーションの独特さ巧さなどはやはりすぐれており、中間楽章ではかつてはよく比較されたドヴォルザークに近い書法もみられ、リムスキーとは隔絶しているとは言えそうだ。スヴェトラはこの演奏がラジオ放送されたときも思ったのだがつくづく、ソヴィエトに封じられ権威的立場に固執することなく、積極的に西欧に出て、ロシア伝統のクセをもたないオケで本来自分の作りたかった「現代的な演奏」をやるべきだったんじゃないか、と思った。演奏的にまず隈取が濃くなく、非常に繊細な透明感を保ち注意深く演奏しており(晩年を思わせる)、だからちょっと個性は薄まっているものの、最後の楽章は曲の限界近くまで気を煽ろうという意識が聞き取れる。但しスヴェトラ・クレッシェンドはありません。拍手は通り一遍だが徐々に盛り上がっている。ガウクやトスカニーニすら敬遠して聞いてないのに、なぜかこの既に知ってる演奏をわざわざ取り寄せて聴いてしまったよ。。
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マーラー:交響曲第3番

2006年11月18日 | マーラー
○テンシュテット指揮ミネソタ管弦楽団、ウェンケル(Ms)(WME,KARNA:CD-R)1981/2/13LIVE

うーん・・・テンシュテットのライヴ盤はびみょうなところがある。正直「見る」のでなくたんに音を聴くだけであれば、どの演奏でも解釈のパターンは一様、最晩年はちょっと違う延び方をしたけれども、とくにアメリカのオケを振っているものを聴くと、オケがあきらかに「恐怖政治をひかれて却ってやる気を失っているかのように」きこえるときがあり、更にのめりこめない。相性の善し悪しが非常に出る人であることは確かだ。このオケはシカゴなどに比べれば落ちる点は否めず、アメリカのこのクラスのオケらしい軽く明るい音がテンシュテ・マーラーの解釈された情熱、透明感を悪いほうに煽る部分もあって、何か聴衆は喜んでいるけど人工的で、情熱的な表現と冷徹な構造的解釈の乖離ぶりは、この人の特徴としてつかめてしまった後だと「別にもうこのオケで聴く必要もないか」と思わせる。熱狂的ファンなら。
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ハルトマン:交響曲第1番「レクイエムの試み」

2006年11月18日 | ドイツ・オーストリア
○ロスバウド指揮西ドイツ(ケルン)放送交響楽団、トッペル(A)(vibrato:CD-R)1960's

闘争の作曲家ハルトマンの作品はどうしても戦前前衛のイメージがつきまとい、ツェムリンスキーから新ウィーン楽派の管弦楽付歌曲の感じがどうも拭えない。構造的な部分ははっきりヒンデミットと思われる。しかしかれはナチス下のドイツでこの主張を続けた生き証人であり、戦後改作をかさねた結果が今きかれるものであったとしても、魅力的かどうかはともかく意味はあるだろう。まあ、今の耳からすると洗練されず古いかんじはします。演奏は硬派だが。ロスバウトは縁深くドイツ・グラモフォンにたくさん録音をのこし今は廉価ボックスになっていたとおもう。正規録音だと思われる(もしくは放送正規)。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り(合唱付抜粋)

2006年11月18日 | ボロディン
○メリク・パシャーエフ指揮モスクワ劇場管弦楽団他(melodiya他)LP

かなり「うるさい」演奏で、恐らく全曲版からの乱暴な抜粋だと思われるが全曲は聴いたことがない。ウラーウラー耳元で叫ばれると「もういいよ・・・」と思ってしまう、最初から最後まで合唱メインの演奏で、パシャーエフらしくないロシア臭の強さが特徴的である。韃靼人の踊りに旋律の叙情性を求めるならこれはやめたほうがいい。ロシア合唱歌の奔流を楽しみたいのであればおすすめ。とにかく、強い。弱い人は「あてられる」ので要注意。○。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドでシンフォニー1番と一緒にカップリングされていた。12インチ盤。パシャーエフのカルメン全曲があるのだが、サモスードのヴェルディとともに聴くのに二の足を踏んでる。。
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ボロディン:交響曲第1番

2006年11月18日 | ボロディン
○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya他)LP

イワーノフらしい強靭で求心力のある演奏で、ベートーヴェン指揮者らしさが曲を極めて聴きやすくしている。何故スヴェトラばかりが取り沙汰されるのか皆目わからないロシアの現代指揮者の系譜の嚆矢にあたる時代の人だが、まさに「これが初期グラズノフ交響曲のルーツか」といった感じの曲風を強く感じさせる。もともと流派にとらわれず折衷派とも積極的に接点をもっていたグラズノフではあるが(よく言われるロシア国民楽派と折衷派の「対立構造」はたんに都市(音楽院)同士のライバル関係とリムスキーの個人的な嫉妬だけだったように見えるけれども)、ボロディンの比較的若い時代(クーチカがバラキレフ総帥の下でまとまっていた時期)にはロシア音楽を如何に西欧の権威的語法・・・交響曲という純音楽形式にこだわったのは外国人にわかりやすいという以外に海外にも通用する権威をつける意味もあった・・・に当てはめ、その枠組みを乗り越え音楽的に凌駕させるかといったところが強く意識されており、これはリムスキーがワグナーに傾倒したとかという内面的意味ではなく(ムソルグスキーは違うが)あるていど学究的に「アマチュアの視点から」西欧古典音楽の実践研究を繰り返してきたことを意味する。新作発表を中心とした室内楽演奏の「金曜日の会」はパトロンの楽譜出版者ベリャーエフ(今でもありますね)の道楽的側面もあったけれども、そのへんの雑曲に時折見られるサラバンドだのなんだの西欧古典音楽のことばは世紀末以後の俗称「新古典主義」とは別の意図によるあくまで理知的な「形式名」である。弦楽四重奏曲第1番とは少し違い、錯綜しない楽想という意味ではまさにグラズノフ前期を彷彿とする洗練がみられ、この流れの創始者バラキレフからの流れも感じられる。リムスキーは表題交響曲と純音楽としての交響曲の両方を書いて後者はさほど成功していないが同じ曲感を更に西欧寄りにしたようなものをもつものである。これらクーチカ(五人組)の交響曲の中の最高峰はもちろん勇士交響曲のほうだが、この1番もグラズノフが楽しいなら十分楽しめるし、グラズノフの交響曲創作開始の背を推したのがまさにボロディンであったことがわかるだろう。理知的な側面も形式にはあらわれており、部分的に整理が行き届きグラズノフの洗練につながるふうが楽しめる。そんなところだが、拡散的にやられると西欧的な部分での真価が出ない。イワーノフの中心点のしっかりした演奏はじつに耳に馴染み良く、まあマニア以外はそれでも凡庸感を受けるかもしれないが、初心者マニアならぐっとつかまれる演奏だと思う。勇士交響曲(第2番)は個性が明確にあらわれた隙の無い(最終的には)傑作だが、それとは違う、未完成感ともまた違う、グラズノフのルーツとして、バラキレフの野暮を抜いた佳作として、イワーノフでベートーヴェン的力強さを楽しんでみてはいかが。西欧ではル・シャン・ドゥ・モンドから出ていた。
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グラズノフ:交響曲第2番

2006年11月18日 | グラズノフ
○ハイキン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

終始明るく暖かな雰囲気に包まれた、ゴリゴリのロシア国民楽派の交響曲とは対極にあるとも言えるもの。ボロディン直系と言われる人だがチャイコに受け継がれた西欧折衷派に接近していて、更に語法はこなれている感がある。ロシア・後期ロマン派楽曲としては非常に聴き易い曲。旋律の魅力は失われていないがやや特徴的なものには欠けると「ロシアマニア」には思われるかもしれない。ハイキンの「何と」ステレオ録音で、ロシアオケの迫力がデジタル風に伝わるちょっと面白い録音具合である。モノラル期の悪いプレスに印象付けられたいわゆる古きよきロシア流儀がその霧を取り払った場合こうも「現代ロシアの様式と変わっていない」ものなのかと思わせるが、スヴェトラの拡散性はなく、豪放磊落にただごり押しする感じのない名匠の演奏といった感じだ。いい曲に演奏だが、全般BGM的に聴くのに向くような。○。
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シマノフスキ:ピアノ・ソナタ第2番

2006年11月09日 | 北欧・東欧
○リヒテル(P)(parnassus)1954live・CD

二楽章制という珍しい構成のくせに最初はいきなりショパン系のゴージャスな音楽で始まる。スクリアビン前期でもかなり前のほうの雰囲気だ。細かい語法は現代的とも言えそうだが内容構成はずいぶんと古風なロマン派ピアノ音楽である。二楽章になるとかなりシマノフスキになってくる。ただこれも中期以降のスクリアビン的な半音階フレーズが駆使され、いわばスクリアビンから痙攣トリルを取り去ったうえで、中欧的なロマン派旋律をしっかり突き通している、といった感じがする。スクリアビン中期の個性には残念ながら匹敵するとは言えない。折衷的な感じが強い。リヒテルはとにかく正確で何より力強い。壮年期ならではのホロヴィッツを彷彿とさせる素晴らしい弾きこなしっぷりだ。演奏的には◎なのだが録音と曲自体の解釈評価を多少勘案して○。
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ミヨー:4つのブラジル舞曲

2006年11月09日 | その他ラテン諸国
○ストコフスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1944/1/9live

録音が近くて物凄い重い音!それこそ大砲を連射されるような感じだ。冒頭のペットからして強烈。重いし強いし前進力はあるし、まさにミュンシュを思わせる。一曲めはあきらかにストラヴィンスキーのバーバリズムを意識しており、ハルサイぽい音や楽想が頻発する。曲感は「男とその欲望」に近く、リズムと旋律の南米性はストラヴィンスキーと全く違う地平を指し示している。二曲目からミヨーらしさははっきりしてくる。一筋縄ではいかないのはやはり新古典末期のストラヴィンスキーの三楽章のシンフォニーや同時代英米圏の管弦楽曲の感じに近い。ただ、ストコは(というかNBCは)重い!書法のせいもあろうが、録音のせいもあろうが。最後のヴァイオリンの超高音の動きはミヨーの特許的なものだろう。三曲めはポルタメントが荒れ狂う。音色は明るく硬いが、録音が近いから生々しく迫力がある。四曲めは「フランス組曲」あたりの舞曲に近く、楽天的なミヨーらしさが完全に支配した楽曲である。物凄いわかりやすいのに現代的な書法のワサビもきいている。楽しめます。ただ、ミヨーマニアは何と言うかな。
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チャイコフスキー:交響曲第5番(抜粋)

2006年11月09日 | チャイコフスキー
○ストコフスキ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1952/11Live

全曲ならよかったのに!デトロイトの強烈な合奏力とドラマティックな解釈が、チャイ5のアップ系の部分だけを煽り物凄い大見得を切っていく。派手だがデトロイトなのでばらけはしない。ただ、恐らく演奏会自体そういう構成だったのだと思うが*、3楽章のワルツが抜けている。1楽章終わりで拍手が入り一旦途切れるところからも、再編集版かもしくは元からワルツなどという要素を入れたくなかったストコの芸人魂がなしたわざなのかもしれない。つくづく全曲であればよかった。いい演奏。50年代には名演多いねストコ。録音は同時代の放送ACとしては妥当なラインか。細かいフレーズ削除など、ほぼストコ編曲と言ってもいい部分も多々あります。

*情報をいただきました、クーベリックとのカップリングというわけのわからない組み合わせで最近話題になったM&Aの「ステレオ(正規)実験録音」がまさにこのライヴの「全曲録音」だそうです。音質も違うそうで。修正させていただいたうえ、後日別項にて感想をアップさせていただきます。
Comments (2)
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レスピーギ:ローマの松

2006年11月08日 | その他ラテン諸国
ストコフスキ指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(DA:CD-R)1945LIVE

ブリキのおもちゃのような音。往年のアメリカが前面に出すぎている。構造の見えやすいコントラストのはっきりした演奏ゆえ理解はしやすいが、それにしては録音が貧弱。オケも「芸」としてしか感じられず、とくにアッピア街道が(音量ではなく音楽的に)迫力不足。無印。残らない。
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シベリウス:交響曲第2番(冒頭欠落)

2006年11月08日 | シベリウス
○バルビローリ指揮西ドイツ(ケルン)放送交響楽団?(DA/VIBRATO:CD-R)1970放送

冒頭欠落。ラジオエアチェックにしてもかなり悪い(60年代前半までくらいレベル?)モノラル録音。DAはライヴとしているが拍手は入っていず、ナレーションの入り方からしても正規録音だろう。演奏も二楽章こそ独特の粘りを見せてデロデロなところを出しているものの、一楽章からかなりばらつきの感じられる合奏で、四楽章の異常な高速の盛り上がりに思わず○をつけたものの、NYPの正規録音ぽいんだよなあ・・・晩年にあんなテンポはとらなかったと思うが、いかがでしょう?ナレーションはイタリア語?まあ、四楽章が素晴らしい、バルビにしかできない起伏の盛り込まれた胸のすく表現ではあるものの、疑問符をつけておく。他CD-Rレーベルでも同じものが出ているが冒頭の状態は未確認。
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カバレフスキー:交響曲第2番

2006年11月07日 | カバレフスキー
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CDーR)1945/3/25LIVE

録音が非力すぎる。かなり乗って演奏しているみたいだが想像で補完しないとこのわかりやすさの極致のような曲でも解析がつらい。トスカニーニがなぜにこの恥ずかしい曲を何度もやっているのかわからないが、ロシア国民楽派嫌いに陥っている私でも引き込まれる瞬間はあった。アンサンブルと集中力。おそらく協会盤LPと同じ。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

2006年11月07日 | ショスタコーヴィチ
○ストコフスキ指揮NYP(DA:CDーR)1960/3/5LIVE

ストコのショス1はいい!わかりやすい!同時代の中欧音楽の影響下にありながらも何にも似ていない、しいて言えばプロコに似たせわしなさと単純さをシニカルな楽想にのせてひたすらマニアックに突き進みドロドロし、といったところの描きだしかたが巧い。NYPのパワーがあれば怖いものなしだ。冗長さもなんのその。録音も聴きやすい。両端楽章を聴くとつくづく適性を感じる。人により大げさでシニシズムが浮き立たないと思われる可能性があるので○にとどめておく。拍手はふつう。
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シマノフスキ:スターバト・マテール

2006年11月07日 | 北欧・東欧
ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(DA:CDーR)1966/12/10LIVE

録音も悪く雑然としてしまった感もある。最後の轟音こそ凄まじいが、そういったデフォルメのわざが効かない神秘主義的な表現の場面ではアクが強すぎて、タトゥラ山地の民謡旋法にインスパイアされた晩年ならではのわかりやすい旋律も何か埋もれがちである。合唱を録音が拾い過ぎているようにも思う。とにかく録音だめ。
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