湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ネットクラシック愛好家の文章傾向

2010年12月16日 | Weblog
クラシック愛好家には、その楽しみ方によって「階層」がある。

(1)頭で聴く「分析理論派」
(2)頭と体で聴く「批評体質」
(3)体で聴く「快楽主義派」
(4)体と心で聴く「昔ながらの愛好家気質」
(5)心で聴く「文学派」

※「頭で聴く」は何も楽理的な面だけを指しているのではなく、「作曲家の歴史文化的背景」「作曲技術」「演奏」(音盤では「録音」「マスタリング」「録音媒体」「再生」それに「骨董品としてのレコード」)いずれかの学究的行為を中心に「聴く」ことを指している。

そしてその書く文章を見ていると(3以下は必ずしも音楽批評を書くべきではないけれど)、パターンがあることに気がつく。

・楽語を駆使して書かれるプロないしセミプロ級の分析家
・オーソドックスな評論形態というかんじの「程ほど分析ほど程知識」な随筆家
・そして完全なるド素人の印象批評家、、、

私もすっかり楽器から離れスコアや譜面を見なくなるうちに、上記「セカンド形態」にすら達することが出来ず、(不本意でもないのだが)「サード形態」にハマっている。特に最近の文章傾向を見ていただければわかると思う。

ネットなんてなんでもありなわけで、読みやすいものを書けばいいというものでもないと思う。随筆を読みたい人もいればそういうのはいいからと思う人もいる。私は自分は随筆を書きたいとはひとかけらも思っていない。

うちは情報量勝負であり、文章は付け足しだ(データを提示しているだけだ)。なので「サード形態」でも構わない。ただ、音盤の状況であったり収録内容の客観的な評価指標・・・ライヴなら拍手はどんな感じだったか、指揮者の鼻息は入っているか、とか・・・筆者は高弦だったので管楽器の誤りやとちりにかんしては知識不足や勘違いを防ぐため敢えて評価基準に入れていないし触れもしないけれど・・・については載せている。

なんてことを・・・久しぶりに音楽批評系愛好家ブログを見て回っていて思ったのだ。

うちはちょっとよそとは違うブログなのです。

悪い意味で。

Comments (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミヨー:弦楽四重奏曲第3番 | TOP | ミヨー:弦楽四重奏曲第12番 »
最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ええんでないかい (Sonore)
2010-12-16 16:43:43
とても膨大で目を通すというほど拝読してりません。好みのあれこれを覗かせていただいた程度ですが、余計なことが書いてないので、安心して読むことが出来ますね。
返信する
ありがとうございます (管理人)
2010-12-16 19:04:48
最近blogを書くということの敷居が妙に上がり過ぎているみたいで、検索しても知っている限られたblogにしかあたらなくなっていて、こんなに気軽に書いてていいのかなあ、と思っていました。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Weblog