湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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「キャプレと宗教音楽」

2006年07月20日 | Weblog
~戦争に参加して負傷し且つ毒ガスに襲われた彼は、平和になってから宗教音楽にその注意を転じた。これはあるいは戦争の諸経験の影響によるものかも知れずあるいはまたその管弦楽法を手伝ったドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」との親密な接触の結果であるのかも知れない。1911年にシャトレ座で、それから他の場合にも、彼は「聖セバスティアン」の上演を指揮した。

この新しい方向における彼の最初の特色ある作品は・・・戦争中に書かれたいくつかの歌謡とピアノ伴奏の声楽曲「祈願」とによってこれは前触れされたのであるが・・・「三声のミサ曲」と「イエスの鏡」とであった。これらは、敬虔に思考され、絶妙に書かれ、信仰的で神秘的であると共に切実でありながら、抑制されていて、独創的であると同程度に伝統に忠実な作品である。

彼が死ななかったとしたならばどのような作品が引き続き書かれたことであろう。彼はまだ円熟の戸口を越えたばかりで、ようやく自己を発見したように見えたのであった。或る時パリ訪問中に私は彼がある演奏会で指揮するのを聴いたが、それ以上に立派な指揮を私はかつて聴いたことがない。その時の曲目はモーツァルト、ベートーヴェン、ドビュッシー及びラヴェルの作品から成っていた。

私は長い間彼と雑談した。そして彼は多くの計画を語った。彼は元気に溢れているらしく、全速力で前進していた。名声もまた生じていた。従って彼の訃報の伝えられた時、彼が指揮者としてまた作曲家としてその能力をまさに発揮し始めていた時に死んでしまったことを、フランスにおける誰もが感じたことを私は確信する。(「近代音楽回想録」カルヴォコレシ/大田黒、一部現代語訳)

~作曲家は「点」ではない。どんなに昔であっても、一点だけを生きたのではない。その人生は少なくとも数十年の幅をもって長く、様々な起伏があり、様々な人々と交流し時には対立し、一日一日の生活をわれわれと同じように送っていった。そこには家族もいて仲間もいて、喜びと悲しみがあり、死は最後の句点にすぎない。人は歴史を点の集合体で語りがちである。ともすると一つの太陽のもとに胡麻粒のような小さな点が集まっているのが歴史、と考える。しかしすべては人間であった。太陽のように輝く作曲家は単独でただ輝き全てを創造したのではない、関係性の中で、その時代の全ての環境の中で己が個性を確立し、また作風を変えて行き、あまたの失敗の中にやっと成功をおさめているのが大半である。ドビュッシーは「海」だけを書いたのではない。キャプレはドビュッシーの影法師ではない。余りに作曲家を人間として捉えず、単に辞書に並ぶ数行の文字と、数曲の代表作のみの存在として扱う輩が多すぎる。これは音楽鑑賞とは少しも関係のないことだけれども、もし音楽を演奏し、音楽を創造する者であれば、その曲がどのような背景に生まれ、どのような過程の中に存在したのか、理解しておくことは重要だと思う。
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