湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1943)

2016年11月08日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(NAXOS Historical他)1944/12/30live・CD

初演直後の記録で、フィナーレは初版(カット版)によっている。それでなくとも現行版と違う(譜面どおりなのか?クーセヴィツキーだからなあ)この演奏、”オケ・コン”に親しんでいた向きには、違和感は否めないだろう。私自身は余りこの曲に親しんではいないのだが、精妙な響きの交歓と複雑なリズムの面白さを追う類の華麗にして精巧な組曲、という印象があったのに対して、余りにロマンティックな構成感に基づく「勢い」と「ぶ厚い」響き、曲の”ききどころ”が「古い国民楽派」側にシフトしてしまい、同時期のヒンデミットの、しかも出来のよくない管弦楽曲(何の曲?なんて聞かないでくれー)、あるいはロマン派を固持し続けたマイナー作曲家のしかも「どマイナー曲」を聞いているような、耳痒い感覚を覚えた。暗い熱気を帯びた楽想のがちがちとした構造物、錯綜し、「起承転結」がハッキリせず、掴み所の無いまま狂乱する駄曲に聞こえてしまう。「起承転結」を創り出す演奏家には向かない曲なのか、そもそも。でも、クーセヴィツキーの棒のダイナミズムはとくに舞曲にて破裂せんが如く荒れ狂い、例の間奏曲「レニングラード(ショスタコーヴィチ)」の揶揄とされる唐突な旋律も凄みを帯びて轟きわたりとても揶揄とは聞こえない。寧ろそのへんがききどころで、「夜の歌」を聞くべき悲痛な緩徐楽章は余り魅力的ではない。そうそれが、問題。いや、録音が悪いので、この演奏が本当に「魅力的ではなかった」のかどうか、実際のところはわからない。このオケは、各パート、おしなべて巧い。アメリカ亡命後のハンガリーの作曲家、悲惨な状況。既に病深く、シゲティやライナーを初めとした「業界」の友人に、”注意深く”支えられながらも、聴衆に媚びを売ること無く、孤高でありつづけようとした作曲家のプライドは高く、結果ひたすらの貧困が襲いつづける。理解されないまま自作の演奏機会を失われた作曲家は、自身の演奏活動にしても体力が続かず、ライフワークである民謡研究すら困難となる。1943年には病の為ハーバードでの折角の講義を中途で終わらざるを得ず、傷心のまま入院。結局リヴァーデイルの自宅を退き、サラナクのサナトリウムに滞在することとなる。まもなく明け渡すことになるリヴァーデイルの宅に、5月、福音のように舞い込んだ手紙が、世界一二を争うボストン交響楽団の盟主クーセヴィツキーからの、管弦楽曲作曲依頼であった。内容は明確な報酬金額の提示と簡潔な主旨(故クーセヴィツキー夫人の想い出に捧げること及び財団での手稿保存)以外の何も記載されない簡潔なものだったが、 4年という長いブランクを経て大曲依属の機会を得たことは、金銭的なこと以上に作曲家をこのうえなく喜ばせたという。まもなくクーセヴィツキーはバルトークの病床を訪れ、本依属には一切の強制力がなく作曲期間の指定なども無い、作曲できるときに作曲してくれればいい、という言葉と小切手を強引に残して去っていった、とされている。無論この件クーセヴィツキーだけの意志ではなく、ライナーらの助言があったことは言うまでもない。サラナクで回復の兆しが見え出した8月、バルトークは早速この依属作品に取り掛かる。没頭すればするほど病は回復に向かっていった。サラナクを去り、ニューヨークで校正を終え計算すると、作曲期間は僅か55日だった。それが全5楽章の大曲「管弦楽の為の協奏曲」だったのである。メニューヒンからの「無伴奏」依属など、これを嚆矢に作曲依頼や演奏機会は目に見えて増え始めた。しかしまもなく再び病が深まり、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ後にはプリムローズからの「無伴奏」依属、ならびに妻であるディッタさんが演奏するための、完全なる私的作品「ピアノ協奏曲第3番」だけを選ぶことになった(言うまでもなく遺作となった作品群である)。冬も近いころメニューヒンが無伴奏を初演。カーネギーには称賛の嵐が吹き荒れ、演奏共々舞台に上った作曲家を感激させた。その5日後、1944年12月1日に「オケ・コン」は初演された。バルトークは医師の忠告を退け、ボストンへ向かい臨席した。希に見る大成功であり、クーセヴィツキーは「過去五十年における最高の作品」と熱弁した。譜面にはクーセヴィツキー在籍20周年及び70歳の記念に、とも記されている。クーセヴィツキーと「オケ・コン」の関係はこういったところである。この録音の「存在」はどこかで聞いたことがあったのだが、まさかナクソス・ヒストリカルで復刻されるとはおもわなかった。展覧会の絵(1943/10/9)とのカップリング、安いですよ・・・。この調子でクーセヴィツキーゆかりの現代音楽の、放送録音を掘り起こしていって欲しい。ハンソンの「ロマンティック」とか、コープランドの3番交響曲とか、絶対残っているハズ!・・・話しがシフトしてしまいましたね。聞き方としては、フリッチャイ、ドラティの定番やセル、ショルティらの精巧な演奏で触れてからここ(クーセヴィツキー)に戻る方がいいと思います。あと、雑音だらけのモノラル録音に慣れない方には(この曲では嫌だという向きにも)決して薦められません。,

後注)初演記録と称する盤(既書、stradivarius等)も出ていたがこの録音と同一と確認されている。pristineから周到なレストアのされたものが出たので未聴なら検討されても良いかと。ちなみに文中コープランドの3番の存在可能性に触れたが、まさにpristineで発掘復刻された(既書)。
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