◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/4/6live
怒涛の剛速球、凄まじい名演。とにかく速く、カットがあるのかと思うほど。ラフマニノフのシンフォニー2番ライヴに近いスタイルで、これは弛緩した楽曲にはうってつけのやり方である。ボストン黄金期の機能性と馬力が最大限に発揮され、ミュンシュライヴと聴きまごうほど。統制が凄く、専制君主的な存在であったことを伺わせるが、聴く側にとっては清清しい。ミュンシュのような柔軟な統制ではなく一直線なので確かに単調な側面はあるのだが、ロマンティックなグズグズの曲やパズルのような構造をきっちり組み立てないとならない現代曲にはこのような直線的スタイルはあっている。ほんとにあっという間に聴き終わり、終演後の大喝采も演奏の成功を物語る。ロシア臭が無いというわけでもなく、濃厚な味がぎゅっと凝縮。3楽章ではねちっこいまでの自在なルバートが詠嘆のフレーズに織り込まれる。いや、私はこのシェヘラザードなら何度でも聴ける。録音がかなり悪いが、◎。
<クーセヴィツキーについて>20世紀前半の25年間ボストン交響楽団に君臨した亡命ロシア人指揮者。音楽キャリアの最初をコントラバス奏者として始め、ソリストとして名声を確立してのち指揮に転じた。夫人の財力を背景にオーケストラを組織し既に現代作品の擁護者としても活動していたが、革命後ロシアからフランス経由でアメリカに活躍の場を移してからはボストンに居を据え、中欧指向の強い市民に対してロシアものやフランスものを積極的に紹介し、周辺国作品の十字軍的役割を果たす。ボストン交響楽団の中興の祖であり、五大オケに持ち上げた功績は大きい。その技術力を背景に新作初演をストコフスキと争い、委属を大量に行ったことでも知られる。中でもラヴェルの展覧会の絵編曲やバルトークのオケコンは有名。未だ黎明期であった作曲におけるアメリカ・アカデミズムを盛り立てた功労者ともなっており、新作擁護のクーセヴィツキー財団の存在は国内外に対して絶大であった。
ボストンの聴衆には尊敬されていたが、プロフェッショナルな指揮技術を学んでいなかったため解釈表現には賛否あった。他聞に漏れず専制君主的でありスクリアビンやプロコフィエフとは交流が深かったものの余り好感を持たれていなかったようでもある。元来ショウマンシップを持ち合わせた自由人であったことが芸術音楽指向の強いプロには余り受けなかったということもあろう。その態度ゆえんか演奏都合で曲をどんどん変えていく調子にはラヴェルも好感を持たず、晩年のバルトークも同様であったとも言われる。
ただこの時代そういった指揮者は珍しくなかった。教育において高い能力を持っていたことは夏季教育プログラムの主催に言及するまでもなく結果が証明している。バーンスタインは弟子にあたる。幅広いレパートリーを持っている中で中欧作品の演奏でも評価を得ていたが、リヒャルト・シュトラウスより後の前衛作品には手を出していない。50年代に亡くなりライヴに活動の重心を置いていたため活躍の割りに正規スタジオ録音が少なく、音質も悪いものが多いことから現代は余り評価されていないが、極めて集中度が高くそれでいて理知的に整理された演奏ぶりは、ラヴェルやシベリウスの作品において特に今も愛好されている。
シベリウス:交響曲第2番, 第5番(クーセヴィツキー )(1935-1936)シベリウスNaxos Historicalこのアイテムの詳細を見る |
バルトーク:管弦楽のための協奏曲/ムソルグスキー:展覧会の絵(ボストン響/クーセヴィツキー)Naxos Historicalこのアイテムの詳細を見る |
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)/ラヴェル:ボレロ/他(クーセヴィツキー)(1930-1947)ムソルグスキー;ラヴェルNaxos Historicalこのアイテムの詳細を見る |