○R.&G.カサドシュ(P)(COLUMBIA,sony)1959/6/25,26・CD
この決定盤は他の、とくに最近の録音とは違う。ドビュッシーと同じハーモニーを聴き、サティと同じエスプリを体感し、ラヴェルと同じタッチを聴き、そのラヴェルと肩を並べて教鞭を執ったカサドシュがこの曲が言わんとしていることを明確に変化をつけて弾き通した規範である。ドビュッシーは記譜を重視しなかったといわれる。カサドシュは自分の耳で聞き、一曲目ではとくにドビュッシーのハーモニーを再現するために必要なすべてを尽くしている。ドビュッシーのスコアを再現するためには何もしていない。二曲目からは全曲通しでスコアをまとめることなんかしていない。きわめて細かな文節単位で必要な解釈を施し、その集積が結果として大きなまとまりを形作る。とにかく聴かせる。面白い。それに尽きる。ただ上手いなどという残響を多用する演奏に堕ちてはいない。それはとくに奥さんとのタッチの差への配慮にも現れている。カサドシュはとにかくペダルを使わない(古いステレオ録音のせいである可能性もあるが多分ラヴェルの系統のフランスだから粒だったカラッとしたタッチを好んでいるのだと思う)、それが譜面に現れない真にリズミカルな音楽を生む。この二人の共同作業に匹敵する同曲の演奏コンビを知らない。何度でも聴いて噛みしめる価値のある演奏。
この決定盤は他の、とくに最近の録音とは違う。ドビュッシーと同じハーモニーを聴き、サティと同じエスプリを体感し、ラヴェルと同じタッチを聴き、そのラヴェルと肩を並べて教鞭を執ったカサドシュがこの曲が言わんとしていることを明確に変化をつけて弾き通した規範である。ドビュッシーは記譜を重視しなかったといわれる。カサドシュは自分の耳で聞き、一曲目ではとくにドビュッシーのハーモニーを再現するために必要なすべてを尽くしている。ドビュッシーのスコアを再現するためには何もしていない。二曲目からは全曲通しでスコアをまとめることなんかしていない。きわめて細かな文節単位で必要な解釈を施し、その集積が結果として大きなまとまりを形作る。とにかく聴かせる。面白い。それに尽きる。ただ上手いなどという残響を多用する演奏に堕ちてはいない。それはとくに奥さんとのタッチの差への配慮にも現れている。カサドシュはとにかくペダルを使わない(古いステレオ録音のせいである可能性もあるが多分ラヴェルの系統のフランスだから粒だったカラッとしたタッチを好んでいるのだと思う)、それが譜面に現れない真にリズミカルな音楽を生む。この二人の共同作業に匹敵する同曲の演奏コンビを知らない。何度でも聴いて噛みしめる価値のある演奏。