湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)

2018年01月06日 | イギリス
○メニューイン(Vn)ボールト指揮LPO(EMI)CD

この古いモノラル録音でも技術的な問題は既に顔をもたげてきている。弓返しや運指の不明瞭さが気になる人は気になるだろう。しかしここでより重く聞き取れるのはそういう子供でもわかるたぐいの浅い問題点より、何かもっと「本質的なもの」を表現しようとした・・・RVWが本質的に内包する自然主義的・哲学的宗教性を抉り出そうとしているとでも言おうか・・・メニューヒンの崇高な意思である。3楽章のジプシー音楽的な(注:ジプシーは差別用語です)無窮動では細かい音符を悉く機械的に組み上げていくことが必要とされるのに対し、メニューヒンは若干ぎごちなさを感じさせるが、音線だけを追っていては見えてこない有機的に組み込まれている「聞かせどころ(もしくはロマンチシズム)」に着目し、余り技巧を見せびらかす方向だけに行かないよう寧ろ気を配っているようにも聞こえる。カスレに近い表現的な音がシゲティに似ているのもその思いを強くさせる。音楽自体は所謂(厄介な定義や知識が跋扈する最近は余り使われない曖昧な言葉だが)新古典主義の範疇にあり、といっても当然擬古典とは違い現代的な和声リズム感覚に明快な構造を与え理知的に組み上げていく方法、特に対位的手法のみをバッハへ帰れとばかりに使いまくる風情は勿論あるし、元々クリスチャンで古楽や宗教音楽に造詣の深かったゆえにドビュッシーの影響を待たずとも既に教会旋法の流用は多数見られた、ところに尚更非西欧的な瞑想的な響が加わり、このあたり前後の作品は楽団も小編成に留められいっそうブリティッシュ・アルカイズムといった感じが強くなっている。いっぽうで前記の「ロマン」というものは流麗な旋律の中に多くも無くしつこくも無く、でもしっかり盛り込まれており、ここを強調させすぎずかといってさらっと流さないように如何に表現し切るか、普通に流してやっても名技性だけでそれなりに聞けてしまう完成度のある曲だとしても、(じっさい短いが)小曲風情に纏まってしまい「もっと表現の広げ方はあったろうに」と残念な気持ちを残してしまう、メニューヒンが避けようとしたのはそういった理に落ちることだったのだ。はっきり伸び縮みはしないがギリギリそこを追求しようとした感じはある。ボールトはまったく重心の低く落ち着いた、かつ適切なテンポ感のもとにメニューヒンをサポートしている。技巧だけ聞ければいいや、RVWなんてそもそも興味惹かれない、なんて人には向かない演奏だろうが(RVWにしては明快スッキリ系なので寧ろそういう人には向く曲)RVWのウェットな薄明の世界が大好きな向きは惹かれると思う。緩徐楽章の平易な二楽章が印象に残る演奏というのは案外ない。そこがRVWの本質だというのに。これはそこがある。○。

※2006-07-27 18:06:30の記事です

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