湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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2019/11/20深夜ラジオとお笑いテレビとなんとなく調子の悪いときのたわごとについて

2019年11月20日 | 東京温泉
・テレビもラジオも録音録画が積滞してて配信系までとても手が回らない。よくみんな時間があるなあと思いつつ、音楽きく時間を完全に犠牲にしてなんとか、サンドリの録音を全部聞いた。有吉体力MAXのときはたぶんいま一番面白い芸人ラジオだけど(今時の放送と思えないほどリミッター外してるから)、生放送ならではの疲労感不調感、アシスタント芸人との相性の良しあしがはっきり出る番組。

普通ゲスト(サンドリはアシスタント)がいると単独DJのラジオって飛躍的に面白くなるもので。漫才みたいなリズムを作ったり、ちょっと休んで整えて会話に戻ることも可能になる。この番組は月替わりで常時いるので、あんまりよくないアシスタントでも役に立ってる。サンドリはもともと地方のFM番組で特別ゲストなんてめったに呼ばないけど(まあ深夜でもない)、AM深夜は聴取率調査週間(TBSは近年撤廃)の場合ほぼ大きめのゲストが入る。もともと魅力はあるが体力が足りないDJだと凄く面白くなる。長寿番組だとナイナイ、もう年齢的に声が闇へ沈潜していくようなときもあるが、仲良い芸人など来て盛り上がるととても面白い。佐久間Pは脂ぎった超人体力でラジオ好きの喋り好きに加え大ゲストアサインという特殊能力があるので勝手知ったる相手を呼んで、裏方ならではの深いツッコミで通常回の数倍の威力を発揮する。

コンビや多人数のラジオだとまたちょっと違う。「たけちゃんバウ」でお馴染み放送作家相方スタイルは(伊集院さんが笑い声だけ踏襲しているが)昔はさんまコサキンといったラジオ大物がやっていたものの今は泡沫DJが作家の力に頼るだけといったもので意外と聞かない。コンビでも爆笑問題カーボーイは誰にもおもねらない、リスナーにも芸能界にも笑いにもおもねらない独特スタイル。基本は太田の番組(仕切り田中)なので、ゲスト回だと危険臭が物凄くなる。直近では鬼越トマホーク回はゲストが危険、きっかけとなった番組も危険、という凄いリアルな笑いと諌めの暴走回だった(にもかかわらず収録放送)。この番組も昔一時期は生だったからとはいえ、テレビ同様笑いゼロの裸の王様番組だった。それからここまで激しくゲスト回を聞かせられる番組になるとは思わなかった。。ちな昼は田中色が強い。オードリーANNについては若林番組と思いきや今は春日の瞬発力が長足の進歩を遂げたことにより漫才になっているのでちょっと違う。

孤高の単独DJ伊集院さんの深夜は、逆に昔は後輩芸人を多用して、ザキヤマにザキヤマが後輩にやらせてきたような激しいことをさせたりして貪欲に「ゲストドーピング」して、確かにそれは面白かったけど、一方でゲスト不要論もリスナーからは既に出ていて、面白くない若手芸人より伊集院さん一人喋り、ということでコーナーやめて2時間一人で喋り倒すことも既にやっていた(太田はこう考える、の笑えない感じとは違う)。そして多分日曜昼の番組を終わらせたところで、単独喋りだけを突き詰める方向に舵をきり、構成作家の笑い声(これすら不要と罵倒されていた)と影のサポートだけでずっときて、朝の番組が始まると再び後輩芸人をたくさん投入したり日曜の番組のゲストコーナーの後継のようなものも入ってきたが、深夜はますます単独色濃く、構成作家も入れ替わると、何か人工的な新機軸が加わること、ゲストが出ること自体、不自然だし、面白くなる気がしないし、実際まったく無いまま続いている。

冒頭サンドリで言ったような体力や調子の「ムラ」は、完全単独なので、どうしても感じられるときがあるのは仕方ないし、フリートークのある長い番組を週5つやってて、2つだけやってた時代も結構大変そうな時期があったのに、今のクオリティを保っているのはすごいと思う。構成作家交代以後ちょっとカラーがモノトーンになっているというか、探り探りなところもそこはかとなくあって、ここでゲストドーピングではなく「旅行話ドーピング」を連続投入しているのは楽しい。

すべての番組にあてはまる「投稿コーナーが時間の水増しになりがち」ってとこは、でもほんとは通常(伊集院さんだけはスタッフがノイズフィルタリングした全投稿データから自分で選ぶ、これはDJ色が極めて強くなるのでセンスの相性で面白くないと感じる人もいるかも)投稿を選ぶスタッフの問題だと思うので、まあ、そこまで書き出すときりがない。

サンドリはコーナーが代々わけがわからないのにすぐれてるし、それは狂ったお題を聴いたリスナーが「この番組だけは普通読まれない酷いネタも採用される」と見込んで死力を尽くし投げつけてくるからだろう。狂った仕切りをする有吉魂も凄い。線引きできて落ち着いたといっても定期的に心配になる回がある。昔の伊集院さんの番組もそういうコーナーがあった(短命)。気まぐれに始めて終わるわけのわからないコーナー、というのはハライチもそうだなあ。ハライチのターンは1時間しかないゆえのシステマチックな番組で、独自性を探っている感じ。

・ラジオはとりとめもなくなるのでこのへんで止めとくべきだ。ちょっと思うのは深夜ラジオは常に旬のDJを持ってくるものだった。ANNは俳優とアイドルばかり、というのはいつのまにかそんなことはなくなってきていて、漫才コンビやクリーピーナッツが目立つ。まさに旬(佐久間Pも画面に頻繁に写ったりステージの表舞台に出てきているという意味で旬)。

今のラジオで自分があんまりあわないと思ってるのは(あうのはアルピー)バナナマンと三四郎で、バナナマンは完全にセンスの問題で、あと今はおぎやはぎも聴かなくなったので、JUNKの「ヤングジャンク」が既にヤングじゃない問題と密接にかかわりがあり、初期は若くイベントでパシリ役だった山里もしれっと脱皮して昼もやるようになり、聡明さを押し出して伊集院さんラインにのろうとしているというか、客観的に番組を俯瞰し支配するDJの色が強くなって「やっぱりヤングじゃない」となっている。若かったり突拍子もないのは1時間枠かANNということになるんだろう、深夜ラジオのイメージがどうしてもそちらになってくるので、深夜ラジオを楽しく聞くという態度でいるとき、アラフォー以上は外れがちだ(支配感でおなじみアルピーを除く)。おぎやはぎはアラフィフ…坂上バイキングで使うため毒舌ドーピングを封印し、狭い話題と眠さとグダグダを臆面もなく出す環境ラジオ。こういうのは生で聴かないと意味がないから録音派としては聞かなくなってしまう。矢作結婚はもう若手のフリができなくなった、ヤングジャンクからアンクルジャンクに切り替わったタイミングだった。

三四郎への違和感がよくわからなくて、多分小宮が顔を改造し喋り方を矯正し職人的な技を身に付け太ってきたせいだと思うが、相田がおもしろいというのがあったんだけど、ラジオだとそこまででも・・・というのがやっと放送に追いついたロンハーの昨日の放送で、納得いく部分があったというか。M1も準決勝にいけなかったという話をあえて昨日の夜の、新ネタがない、きつい言い方だと旬を過ぎたという話に直結してしまう。ロンハーは見てられないことがときどき起こる番組だが、格付けしあう芸人、のこの前後編はなんとなくテレビやネットや配信で洗脳されていた「ライヴを見にいかない芸人好き」を、いやいや、現実はこういう側面もある、狩野やナダルは不祥事さえなければ安泰、カズはまだ文化人にシフトするのはもったいない、EXITと宮下草薙はまだ時間があるからこれからどう化けるか(ここもM1絡みだ)、全裸監督は賞味期限短そう、などなど揺り戻してくれた。かじさん2番組は両極端でダメなときはダメだけど、これは面白さのいいダメではなく、興味深いお笑い教養番組というものだった。。

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