湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編)(2012/3時点でのまとめ)

2012年04月17日 | Weblog
○作曲家(P)ホワイトマン指揮彼のオーケストラ(PADA他)1924アコースティック録音・CD

依属者コンビは2録音が知られいずれもbrilliantの集成ボックスに復刻されていたかと思う。これは古いほうだが、ガーシュインの録音は非常に人気が高いせいか、様々なノイズリダクションが様々な人によって試みられており、かなりよい録音当時の状態に近いと思われる音質の復刻を耳にすることができる。作曲家はしゃっちょこばっており録音を意識した機械的なピアノを駆使し、バックもジャズとは思えないリズムの硬直ぶり、踏み外さない表現が際立っている。テンポも録音条件にあわせた速いインテンポ。ただ、そうであるからこそ音色で勝負している。冒頭のクラリネットから赤銅色の古きよき音がベニー・グッドマン様式とは違う、下品と上品の合間スレスレの感情を駆り立てる。編成を絞ったバックのいずれのソリストも、厳しく引き締めにあいながら、ただ音の質だけで起伏を作っていくのだ(この録音時期では音量による変化も期待しえない)。ピアノだって音色勝負である。もちろん、復刻により改変されそう聴こえるよう整えられたせいもあろう。しかしこれは、ポール・ホワイトマンの提唱したシンフォニック・ジャズの本質を今一度意識させるような記録であり、ガーシュインの天才がそこに注ぎ込まれた結果である。音作りは硬めなのにやわらかい印象を与える、こういう中庸のジャンルが当時あった。今はどっちかに別れている。○。

○作曲家(P)ホワイトマン指揮彼のコンサート・オーケストラ(pearl他)1927/4/21NY・CD

有名な由緒正しい録音で超廉価ボックスに入ったこともある。至極一本調子で即物的だが(特に有名な叙情主題があっさりハイテンポで弾き抜けるところはびっくり!収録時間の関係かもしれない)力強い。20年代の録音としては非常に聞きやすい復刻と言えるだろう。ノリまくるというわけでもないが、ガーシュインの主として細かいテンポ操作における巧さが目立つ。まあ、クラ的にそう固く言うより、即興的な謳いまわしが絶妙、と書いたほうが正しいか。聞いて損は無い演奏。○。決してジャズ寄りではない。

〇リスト(P)ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD

曲のよさというべきか、この色彩的なオーケストレイションにジャズ的なソロの見せ場の多さが(こちらのリストは録音の明瞭さもあり細部まで聴かせる)、派手にぶちまける力技の邁進力とぎちっと纏まった堅苦しいアンサンブルぶりとあいまってミスマッチな、一種雑然とした賑やかさを醸し有無を言わせずとりあえず聴かせる魅力をはなっている。飽きるほど聴いた曲でもまだこのように楽しめるものだな、と思った。緩徐主題あたりの雰囲気も(そこまででお腹いっぱいになるような密度なのだが)いいのである。リストのクラシカルな技術も申し分ない。まあ、録音技術の勝利という感もあるが、押せ押せ演奏の最右翼として価値は認められるだろう。〇。派手にぶっぱなすブラスが耳に痛い。

○カルディッロ(CL)ワイルド(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD

うわーもう舌を巻くほどすごいや。最初聴きはじめて、あまりのフィードラーのカッコよさとアール・ワイルドの超絶技巧に圧倒された。もうこれ以上のガーシュインはあるまい。あるまい、と思ったのだが・・・あれ?こういうフレーズだったっけ?あれ、このパッセージおかしくない?・・・嗚呼ガーシュインの常、当たり前のように編曲されている。勿論より清新で面白くなってはいるのだが違和感しきり。この曲はまだましな方なので○にはしておくが。惜しいなあ。グローフェの通りにやってくれたら最高だったのになあ。シンフォニックジャズってシンフォニックの部分が結構重要ですよう。

◎ネロ(P)フィードラー指揮ボストン・ポップス(RCA)CD

ちょっと聴いただけでアメリカ、それもセミクラシック(セミジャズ)の相当の手練れによる演奏だということがすぐわかる。フィードラーのガーシュウィンは、まずこれを聴けというくらい板につき、特に創意が凄い(ソリストの力かもしれないが)。ガーシュウィンはジャズ的な創意を演奏者に要求する。そのまま演奏しても面白いが、数少ない旋律を繋いだだけでつまらない曲、という誤解を招きやすい。この演奏では、特にピアノの表現において、一音一音に実に俊敏な創意が篭められている。それはクラシック音楽に比べて(あくまで譜面上)単純に書かれている音楽ジャンルでは極あたりまえの行為なのだが、元来この曲がシンフォニック・ジャズという概念を実現しようとしたポール・ホワイトマンが自分の理想を余りにクラシック側にアピールしすぎたために、今だにクラシカルなアプローチ、つまり楽譜の忠実な再現に予定調和的解釈といったやり方が優先されすぎている。まるで飽きてしまうたぐいの、旋律と楽器用法の新奇さだけしかない曲にされてしまっている。この演奏には閃きがある。実は勿論予定調和であるのだけれども、それでも瞬時の閃きが音符の一つ一つから眩く放たれているのである。理解という点で、クラシックしか聞かないかたは是非フィードラー盤を聴いてみていただきたい。ここにはライヴではないにも関わらずライヴの熱気溢れる音楽が溢れ生き生きと躍動している。明確な打鍵と胸のすくような解釈で魅せるソリストにも拍手を贈りたい。このような大規模編成のジャズ風音楽で拡散的にならずここまで凝縮されまとめられるというのも凄い。名演。但し、録音が悪いのが生憎・・・ステレオではあるが篭もる・・・でも◎!ちなみに前に書いたフィードラーの別演にかんしてのコメントと全く正反対のことを書いているのは楽曲受容方法の多様性を示すものとして許してくださいね。人間ずーっと同じ感覚ではいられない、だから何度も書きなおす演奏もあります。

◎シュテッヒ(P)ゴラッシュ(CL)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(AMIGA,ETERNA他)

テンポ変化が派手なのにびっくり。ケーゲルのしかめつらを想像してると面食らうだろう。まるきりガーシュインを狙っており、クラシック流にやろうとははなから考えていない。ピアノに牽引されることの多い曲ゆえケーゲルの存在が希薄な箇所も多いが、総じての技術水準の高さの後ろにはケーゲルがいることは確か。ピアニストはクラシック流儀だがこれまた舌を巻くほど指がまわる。パリのアメリカ人ではブラスにミスが聞かれたが、こちらは完璧。グローフェの腕かも知れないが水際立った響きの美しさはちょっと感動ものだ。こういうのは本国でも滅多に聞けまい。全般に出来の良さに感嘆。この曲に今更感動するとは思わなかった。◎。

○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DREAMLIFE)1954/3/18・CD

このソリストはほんとうに巧いな。不詳となっているが、LPで出ていたものとは別なのだろうか。二種あるとは聞いていた。モノラル。演奏はあいかわらずスケールの大きな力感溢れる、統制されたやりたいほうだいであり、完全にクラシカルな世界での表現主義を体言したような、いささか勘違いに過ぎるようなものである。いや、ガーシュインはこういう演奏があったら喜んだかもしれない、同時代に。クラシックとしてかなり聞ける。○。

カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD

どうも四角四面で堅苦しい。ロジンスキらしいガシガシ急いたクラシカルな音楽作りにも違和感しきりである。機械的で、得意の集中力が変な方向にまとまってしまっている。ガーシュウィンにこの芸風はあわないのだ!しかも一応バックオケを意識しているせいかテンポがかたくなに守られているし個性も薄いというか、みんな萎縮していて凡庸でつまらなすぎる。カッチェンも堅苦しくて辛そうだ。ジャズ奏法を取り入れてはいるけれど、よそよそしい。終演後の拍手もやや冷めている。これはどうも、曲に相性のない演奏スタイルと言わざるをえない。無印。録音悪し。

○カッチェン(P)マントヴァーニ楽団(RCA)CD

何故ジャズ・ミクスチュアー音楽というだけで大胆なアレンジが許されるのか?クラシックだってこんくらいいじってもいい。指揮者の意図がより明白に見えていいではないか。屈託無くドラマチックに煽情的に(音は普通で単調だけど)スピード感溢れる演奏を提示してみせるこの演奏は示唆的であり、自身の編曲でなかったにせよ本人の録音ですらアレンジまくりである。オケ譜だっていじられるためにとりあえず仕立てられたような乱暴さがある。やはり、オーケストレイテッド・ジャズが本来の形なのだ。ラヴェルやストラヴィンスキーがホワイトマンの招きにせよ真面目に客席でこの曲を聞いていた様子を想像するだに可笑しい。あの原典主義者たちが、である。商業音楽のありようのひとつの原型だろう。クリエイターみんなが一人の天才的メロディライターのもとに結集して「ガーシュイン」が生まれた。シンフォニック・ジャズが生まれたのである。ガーシュインがウタダとすればランバートはさしずめクラキか(わかりにくーい)。やや単調なため○にしておく。

○アントルモン(P)ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団(CONCERTHALL/MMS他)

ちょっと真面目にクラシックをやってしまっているかアントルモン。滅法上手く詩情あふれ美しいが、ガーシュインとして面白いかというとどうか。ガーシュイン(グローフェ)は割合積極的に表現することを求めるが、その点ややつまらないかもしれない。ゲールのほうは、オケが余り上手いどころではない仮面オケなのが、人により好嫌別れるところだろう。比較的解釈的なものを入れてきているが激することはない。総じて知見だけを評して○。

○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・フィル(SOMERSET)LP

ハイテンションで弾ききる娯楽的スピードの演奏で、生々しい録音が更に気を煽る。余りに率直だと感じられるかもしれないが、この力感にメタ・クラシックらしくハスッパな発音で応えるオケもまたやる気が漲り、クラシカルな演奏家にもジャジーな演奏家にも見られないまさにライト・クラシックはこれだ、という自信も漲り清々しい。◎にしたいくらい飽きないが、解釈上の工夫がないので○くらいが妥当か。

○タッキーノ(P)不明

音質より恐らく正規音源によるものだがweb配信のデータでは不詳。曲がよくできているのでソリストさえ万全なら言うことない。おしなべてうまく、適度に遊んでいるのがいい。美しく透明な音が印象的。

○ワイエンベルク(P)プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)

なかなかガシガシくる演奏で、ジャジーさは少なくクラシカルではあるのだが、クリアな録音でいやおうにも感興を呼び覚まされる。ロマン臭さもなく過度な透明感もなく、ガーシュインなりのアレンジを求める人はやや物足りない感じもするかもしれないが、クラシックの範疇ではこれが最大限「引き出された」表現と言えるだろう。○。

~小編成編曲

○ワイエンベルク(P)アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(BRILLIANT)CD

かなり大人しいクラシカルな演奏。余りにスウィングしない「透明感だけの音楽」に違和感を感じる。だが、流石に年齢的にタッチの弱弱しさは否定できないものの、ワイエンベルクらしい美しい音の煌き、カデンツァでは実に軽やかな「胡麻のばら撒き」を愉しむことができる。録音操作か何かやっているのかもしれないが、サックスと音量的に拮抗できており、いや、オケが相手ならかなり辛いのかもしれないが、いや、前半はちょっと辛い部分もあるものの、生真面目なカルテットを相手に生硬なテンポを維持しながら、これが俺のガーシュインだ、と言い切っているような、往年のバリ弾きピアニストの片鱗を垣間見せる。ロンの弟子らしい、クラシカルな美学がこの生々しいロシア系アメリカ人の音楽を灰汁抜きしている。個人的には感銘は受けた。○。

~抜粋

○イタルビ(P)伝クレンペラー指揮ロス・フィル(SYMPOSIUM)1937LIVE

即物的な速さと意外とジャジーなオケの音色表現にメリハリが聞き取れるくらいで、ほとんどピアニストとロスフィルに任されている。テンポの切り方の律儀な頑なさくらいか。ピアニストはジャズ的かと思ったらシンフォニックな部分ではしっかり協奏曲している。なかなか巧い。前半のみのSP復刻。

~アンダンテ(ピアノ編曲)

◎作曲家(P)(History他)1928/6/8・CD

あっぱれです。これは下手するとオケ付きのものより本来の意図を伝えられているかもしれない。オケ付では即物的に演奏される緩叙主題がここではいくぶんゆったりとして感傷が感じられるのがいい。サクサクした商業ピアニストというよりソロピアニストとして立派に弾きあげている、さすが作曲家。
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