湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2017年10月26日 | Weblog
ノリントン指揮スイス・ロマンド管弦楽団(eternities)live

とにかくホワイトノイズバリバリの音の悪さは何とかならないものか。最近の放送エアチェック音源だろうがこれはきつい。SPで鍛えられた脳内ノイズリダクションを発動させなんとか聞いてみる。さっさと進み思い入れのない音に一楽章、落胆する。指揮者ではない、このオケが「ただ鳴っている」、それを良しとする楽団なのだと思ってしまう。スケルツォになると楽想に変化があるせいか、ヴァイオリンが繊細で美しい表現をきかせ、アンサンブルはすみやかに組み上がり自然に聴ける。ただ、ノイズのせいで肝心の高音楽器がきれいに聴こえない、いや、不明瞭でそもそも聴こえない。ところが急激な音量変化とマイクの拾え方の問題か、三楽章はわりとよく聴こえる。誰がやっても印象的なRVWの世界だ。この頃になるとオーケストレーションにブラスのダイナミックさが加わり、万人受けする音楽、深い祈りを届けられるようになっている。が、ちょっと、このオケはやっぱり醒めてるなあと、思わせるところがやはり音色に出ているのは気になる。RVWには珍しいフィナーレらしいフィナーレは教会音楽ふうの旋律から始まるが、ノリントンらしく音響バランスは非常によい。古典的な印象を与える少し引いた感じの整え方だ。スピードは早めインテンポだが楽想次第でデジタルに表情を変えさせており、統制の厳しさ故か軋みを生じているところもあるし、そもそも弦楽セクションが薄いようにも思うが、先人たちの偉大な演奏にはおよばないものの、スコアに立ち返り表現すべきものだけを表現しているさまは賛同は得られるだろう。そのわりに構造的な部分がそれほどきっちり聴こえないのはイマイチ弾けないオケの醒めたところからきているか。あるいは録音の悪さからか!このオケにヴォーン・ウィリアムズを弾かせただけでも良しとすべきか。
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ブラームス:交響曲第3番

2017年10月26日 | Weblog
コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live

力強いが羽目は外さずしっかりやる。縦にリズミカルでスピードをいたずらに上げることもない。オケがコンセルトヘボウであることも手伝ってロシア式の発音もありながらも基本線はしっかりブラームス、構造をしっかり意識し音にしっかり中身を持たせ集中力の高い演奏に結実させている。かつてスヴェトラのロシアオケによるブラームスを聴いて「羽目を外したブラームス」に耳を楽しませたものだが、本来ブラームスはいじってはならないほど書き込んでいて、変に表情をつけたり楽器を突出させてアピールさせたりすると不恰好極まりなくなってしまう。コンドラシンは晩年にいたってはちゃめちゃなラフマニノフもやってはいるが、スピードもきちんと制御して最後までいく。音量変化もオーソドックス。発音は激しめなので、オーソドックスという言葉に惑わされぬよう。
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ウェーベルン:夏風の中で

2017年10月26日 | Weblog
ノリントン指揮スイス・ロマンド管弦楽団(eternities)live

リヒャルト・シュトラウスを灰汁抜きしたような曲で周到に管弦楽配置され隙はないが反面中身のなさというか、どこが夏風というようなドイツドイツの交響詩である。リヒャルト・シュトラウス初期に近いくらいの10分半ほどの長さがあり、シェーンベルク初期のようなブラームス的な癖こそないものの、中欧では相対的に穏やかな曲、という感じであることを念頭に聴かないとノリントンですらずしっと重く感じてしまう。フランス的にもっともっと軽くやるほうがいいんだろうが、ブラスの充実した書法だとなかなか難しいだろうか。オケがかつてはフランス的であったことのメリットは比較的残ってはいる。技術的な問題はない。問題とすれば、ノリントンが普通すぎ。ノリントンで聞く意味はあるのか。
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