goo blog サービス終了のお知らせ 

湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ロフラー:少年時代の思い出(ロシアの村の生活)

2017年12月19日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7live

半音階的で一部前衛的というか印象派的な当時としては新鮮な書法をまじえた、世紀末ロマン派的作品。最初と最後にロシア民謡(最後は例の「ヴォルガの舟歌」を先鋭な響きの中に変容させている)が入るところが回想なのだろう。同曲の紹介者としてたびたび演奏したというトスカニーニはロマンティックでありながらも音と音の関係性を明瞭にしている。録音はノイズまみれだが時代からするとクリア。○。

※2011-10-19 14:26:57の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ガーシュイン:パリのアメリカ人

2017年12月07日 | アメリカ
○フェリックス・スラットキン指揮ハリウッドボウル管弦楽団ペナリオ?(P)(EMI)

親父スラトキンさんの録音としては比較的よく見るもので、最初はかなり楽しめる。だが何度か聞くうちに、この人にしてはいささかこなれていない部分が散見されることに気が付く。解釈の綾(主としてテンポ変化)が時々非常に人工的なのだ。これはデュナーミク変化とうまくシンクロしていないという単純な言い方もできる。もちろんバンド的な演奏ではなくクラシカルなフォームを保った演奏であり、そのせいもあろう。緊密でリズミカルなのはハリウッド四重奏団のころを彷彿とさせる。意外だが響きががっしりしており(速度は保たれる)、そのせいで曲のいわゆる「ライトクラシック」系の魅力と齟齬を生じていると言えるかもしれない。とりあえず私は最初は面白かったが、次第に楽しめなくなった。後半イマイチかも。○。

私のLPはジャケットはホワイトマンとなっているが中身がフェリックスとなっている(泣

※2005/12/19の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ガーシュイン:キューバ序曲

2017年12月04日 | アメリカ
○レヴァイン指揮ミュンヒェン・フィル(OEHMS)2001/12/30,31LIVE・CD

ボックス単バラ共によく売れているミュンヒェンとのシリーズ。この人、けっこう爆演系の人に人気があるみたいだが、私個人的な印象としては響きは雑で開放的だけれども基本的に揺れが無くマトモな解釈をするというイメージがある。この演奏にしても気持ちのいいライト・クラシックではなくしかめっつらのクラシカル・アプローチでもなく、どちらかといえば真面目な中庸の解釈といったところだ。キューバ序曲の生臭さが嫌いな人はミュンヒェンのやや濁るも透明感がある音、勢い良い中にもドイツ的構築性が緻密な響きを造り上げるさまに興奮を覚えるかもしれない。かくいう私も実はこのような演奏は解釈的にはつまらないが面白がる気持ちを抑えられない。アンビバレンツな感覚を持たざるを得なかった。ただ、けして名演とは思えないので○としておく。ガーシュインじゃない。

※2005/2/23の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ヴァレーズ:砂漠

2017年11月30日 | アメリカ
シェルヒェン指揮フランス国立放送管弦楽団(TAHRA,harmonia mundi/INA)1954/12/2初演live(放送録音)・CD

音盤史上に残る大喧嘩の記録として聴くことができる。演奏自体は素晴らしい。この上ない奏者が揃って、フランスを去ったアメリカの騒音主義者の楽曲をシェルヘンで、しかもこの時代のパリで・・・もめないわけがない。アメリカでケージに対して投げかけられた嘲笑や怒号の元祖をここに聴くことができる。ヴァレーズにしては音数が少なく厳選され繊細で、楽曲の哲学的な側面をバス音域を中心に心象的に描いた佳作だと思うし、クラシックというよりドラムが前面に出たジャズのようにもきこえ、ORTFのメンバーも非常に敏感で敏捷で忠実であるのに、とくに静かな場面、電子楽器などを使った純粋な響きの面白さを聞かせるところで、文字通り「面白く聞けてしまったヤカラ」が大騒ぎを繰り返す、それがえんえんと続くのである。ブーイングやらアジテーションやら嘲笑やら意図的と思われる途中拍手やらが場内を満たし、終演後の長々しい批判のブーイングはこの大騒ぎの何やら意図的な悪意を象徴しているようで正直聴くのが辛かった。シェルヒェンは漢である。慣れてるってことでしょうけど、こんな中でよくもまあ全曲をこのクオリティでやり遂げたもんだ。録音は悪い。残念ながら無印。

※2007/2/1の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆コープランド:交響曲第3番

2017年11月11日 | アメリカ
◎バーンスタイン指揮NYP(harvestclassics:CD-R)1985/12/5live

これは文句なしでしょう。何度も聴きたい演奏、そしてじっさい何度も聴いてしまう演奏なんて殆ど出会わないのに、私コレ最初2回聴きました。円熟期にもかかわらずアグレッシブに「成長した」かつての手兵をドライヴし続け、音楽のもともと持っている力を、印象派的な方向ではなくベートーヴェン的な方向に先導し大団円後のブラヴォーにもっていく。アメリカ人じゃなくても、ただでさえアメリカの交響曲としてはハンソンのロマンティックと並ぶ殆ど唯二の有名曲なだけに旋律だけで十分楽しめるわけで、自作自演のような突き放した響き(ただでさえ空疎な音)の美麗さにいくことなく、構造を透明に見やすくして「ほれ巧いだろ」と見せるような野暮もせず、耳圧・力感第一という方法がまったくヨーロッパ的で却って世界中に受け容れられるものになっているのじゃないのか。録音がいい具合にデジタルでも悪録音でもないため臨場感がある。止揚する演奏が好きな向きは食い足りないかもしれないが、これはこの方向があっている気がした。最終楽章冒頭に挿入された名作「庶民のためのファンファーレ」も殊更ファンファーレとして突出することなく全体設計の中にはまっている。これだけが突出して聞こえる演奏も多い。

※2007/2/21の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆カウエル:オンガク

2017年09月22日 | アメリカ
○ホイットニー指揮ルイスヴィル管弦楽団(FE)1958/4/20・CD

カウエルは意欲的に他国の音楽にも取材し多彩な楽曲を書いた。日本に取材したものもいくつかある。これはガガクとサンキョクからなる組曲だが、「まんま」である。三曲のほうはいくぶん西欧的なオーケストレイションにより20世紀前半にイギリスあたりによく聞かれた民謡編曲音楽(ま似てますからね)に現代の映画音楽風味をふんだんに盛り込んだかんじで、雅楽風の笛による繊細でのっぺりしたハーモニーに、アメリカらしいペットソロが乗ったりするところはなかなか凡百作曲家にできない絶妙さをもってくる。日本の作曲家に多かった感じもあるが、とにかく西欧置換が上手いので、下品にならない。気持ちがいい。雅楽のほうこそまさに「まんま」だが、三曲はRVWの哲学性にも通じる。かなり日寄った作品とも言えるが縁深いオケの、多少粗くもよく掴んだ演奏ぶりがいい方向に働き秀逸。カウエルはアメリカ前衛主義の創始者としてかなり左寄りに置かれているが、アイヴズより余程感傷的なロマンチシズムと音楽的合理性を持ち合わせたプロフェッショナルである。日本人が聞いても○。

※2006/7/22の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆コープランド:庶民のためのファンファーレ

2017年08月21日 | アメリカ
作曲家指揮ハンガリー国立管弦楽団(DA:CD-R)ブダペスト音楽祭1973/9/28日本での放送音源

萎縮したように生硬で心もとない吹奏だがアメリカオケと比べるほうが悪いか。アメリカ音楽特集の端緒として取り上げられた代表作。

※2008/10/7の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ガーシュイン:へ調のピアノ協奏曲

2017年07月24日 | アメリカ
○レヴァント(P)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(?)1944/4/2?live

これが3月2日ともされる既出音源と同じかどうかは議論がある。私は同じと思うのだが、いくらなんでも一月違いの同日ということはないだろうものの記録と照らし合わせ別録であれば45年ではないかという説もある。演奏は作曲家と縁深いレヴァントによるもので異様なテンポに機関銃のような弾き方は色艶に欠ける音楽を提示する。トスカニーニにいたってはまったくガーシュインをやるつもりはなく、グルーヴのカケラもないクラシカルな整え方で四角四面の表現に終始する。オススメはしないがガーシュインをクラシカルな方向から即物的にやるとこうなる、という意味では聞く価値はあるか。○。録音悪。

※2011/7/25の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆バーバー:弦楽のためのアダージォ

2017年07月18日 | アメリカ
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(RCA,BMG)1942/3/19カーネギーホール・CD

震える音色、ポルタメント、透明というより重厚な太い感情のうねり。曲を完全に自家薬籠中にしたトスカニーニのひたすらの「歌」。テンポ的には速く淀みないインテンポだけれども音量やデュナーミクや奏法にはかなり大きな変化がつけられており、歌い廻し的な起伏がダイナミックに付けられている一方、静かな場面では録音のせいか弦楽器の音ではなく最早人間の声、歌そのもののような響きがしていて心を揺さ振る。最後のまるでマーラー9番終楽章の末尾のような途切れ途切れの呟きは余りに切ない。トスカニーニの心底からの共感が伺えるし、新即物主義の権化としてのイメージから大きく外れた、ロマンティックな、しかし峻厳な演奏である。トスカニーニの提案により弦楽四重奏曲二楽章より改変された弦楽合奏曲である。早熟の天才バーバー若き頃の傑作擬古典的瞑想曲。

※2005/2/23の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆バーンスタイン:キャンディード序曲

2017年06月16日 | アメリカ
○コープランド指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live

コープランド得意な分野の音楽であり(バンスタが「得意な分野のオトコ」という意味ではない)透明感を保ちつつ派手めの響きでライヴ感ある演奏を繰り広げている。この人は客観的な指揮ぶりが有名だがこれは楽しい雰囲気になっており、BBC交響楽団の硬質な音とピタリ相性がいいこともあって、拍手喝采の終演になっている。○。

※2008/10/7の記事です
Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ガーシュイン:キューバ序曲

2017年06月12日 | アメリカ
〇ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(MERCURY)CD

正真正銘ライトクラシックなわけだが、ガーシュインの晩年作といってもいい円熟期の作品で、シンフォニックジャズという理念を越えて純粋に楽しんで作られた感じが何とも(人によっては軽薄と受けとられようが)耳軽くうれしい。カリブのリズムがガーシュイン節と不可分なまでにミックスされ、手法的にはガーシュイン・ジャズの範疇からいささかも離れてはいないのだが、出世作代表作のたぐいの雰囲気とは明らかに違う。ボンゴの存在は大きい。関係性を指摘されるミヨーがやはり南米のリズムや旋律を使いながらも複雑な本質をいささかも変えなかった様相とは違って、この曲が(たとえセレブと呼ばれる階級の別荘地でしかなかったとしても)かのカリブの島々で流れていても少しもおかしくない。普遍的な魅力をもつのは天才ならではの純粋な歌心あってのものだろう。

ハンソンは緊密でリズムもいいが堅苦しい。統制が厳しすぎて奏者が縮こまっているように聞こえる。だから手堅いのだが楽天的な楽曲の表現としては物足りない。ただ、すぐに飽きる類の旋律荷重の重い曲ゆえに逆にこういう隙のない演奏で純音楽として聴かせたほうが「長持ちする」とは思う。○。

※2006/8/4の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆アイハイム:日本の夜想曲

2017年05月18日 | アメリカ
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/5/21LIVE

わりと抽象度の高い短いアメリカ印象主義音楽で、日本要素も特定の楽曲にしぼれるであろう部分はあっても僅か。静かな楽曲中に放たれるピアノの硬質な響きがアメリカ印象派特有の冷たい叙情をかもし秀逸だ。ストラヴィンスキー前よりアイヴズが使っていた高音打楽器的用法は好き嫌いはあるだろうがワタシは好きです。静謐さの中にも官能性をかもすストコの表現が光る。何度か演奏していたようだ。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆カウエル:妖精の答

2017年04月23日 | アメリカ
○バーン(P)(ACTA)CD

サティ的に単純化したドビュッシーの前奏曲ふうの断章に内部奏法による掻痒なハープ式装飾が美しく色を添える。この時代にありがちな極めてフランス的な夜のアルカイズムがそのままシミュライズされており「これ、何だっけ?・・・」と頭を悩まされることうけあいだが、単純な美感はなかなか独特の粋を感じさせてよい。短いことが効を奏している。演奏はややぎごちなく、パセージ途中の間髪なき内部奏法導入の難しさを感じさせる。二人でやればスムースかもしれない。曲は単純に綺麗で内部奏法にも山っ気がなく素晴らしい。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ガーシュイン:ヘ調のピアノ協奏曲

2017年04月14日 | アメリカ
○シーゲル(P)スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1996/9/20live・CD

これは楽しめる。スラットキン盤の緩やかなテンポと透明な響き、整ったリズムを彷彿とさせるスベトラ・スウェーデンのガーシュインだが、よそよそしさを払拭するようにソリストがガーシュインらしさを発揮して、流れをいい方向に持っていっている。ソリストとオケのリズム感に齟齬を生じたような場面もあり、二楽章ではずれて感じるところもあるが、逆に二楽章が一番印象的であり、遅いテンポがリヒテル盤の鈍臭さに近いものを感じさせる三楽章、おなじくリヒテル盤と似て冒頭から重々し過ぎるも、途中からノリが俄然よくなり破裂するようなスベトラフォルテや自在なテンポ変化が驚かせる一楽章とあわせて、聴く価値はある演奏になっている。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆コープランド:交響曲第3番

2017年04月13日 | アメリカ
◎作曲家指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1958・CD

everest録音と同じものか。CD-Rでコピー盤が頒布されていたりもする。私はいくつかある自作自演の中でこれが一番好きだ。この人がCBSに録れた新しい自作自演選集はいずれも音符と音符の間に隙間風が入るような物凄く疎な演奏ばかりで、庶民的な意味での演奏効果の高いこの曲も、現在sonyでCD化されている音源は余りに莫大で薄くて客観的に整えられすぎている。50年代のまだ曲がいくぶん生々しいころの録音であることもあってか、この演奏は(専門指揮者のものに比べれば終楽章など生硬さが感じられるとはいえ)スピードも速く疎な感じがしない。ひたすらのアメリカンな舞踏的リズムとプロフェッショナルな手腕の発揮された無駄の無い構造、軽く明るい空疎な和声だけが浮き立つ、「コープランドらしさ」の感じられる大曲であり、やり方によっては全く中身のからっぽなアメリカ賛歌になりかねないものだが、より緻密な構造への配慮がみられる演奏で、少し前時代的な重さを引きずるようなところがあり、それが骨と骨の間を肉で埋めるように働いているようだ。コープランドのマンネリズムというものがじつはこういう「無駄な整理を徹底させない」演奏で聞くとそれほど単純ではないということ、結構マニアックに造りこまれているのだとはっきりわかる。一種感興はそういう「余白に散り埋まった音の数々」によって生まれるものであり、全曲の聴き所である「庶民のためのファンファーレ」の流用からの終楽章の喜びにいたる前に、既に心を奪われてしまったのだ。

整理されすぎると譜面上物凄い変拍子や無茶なパッセージが絡み合っていてもそれとわからないことがある、これは聞く側にとって聴きやすくしてくれているというメリットはあるが、一方作曲家の意図としてはその「難しさ」がちゃんと「難しく」聞こえないことには、はなから単純に書けばいいことであって、意味がなくなりかねない。私はコレクション初期において自作自演を大変重視していたが、作曲家自身の演奏であっても作曲後30年も半世紀もたってしまうと「作曲当時の意図」を履き違えたような変な整理やカロリーの低さを求めていくことが多いように思われた。ひいてはウォルトンみたいに(演奏家側の要請にあわせてのことでもあるのだが)スコア自体に手を入れて管弦楽を軽くして、却って時代精神を失い深みを欠く単なるライトクラシックにしてしまう人までいる。これは作曲したのが同じ人でも「演奏」においては別の人と捉えたほうがいい場合が多いということとも関連している。

ステレオ録音で50年代にしては自然で良好。昔からの愛聴盤です。◎。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする