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週のはじめに考える 権力の重さと怖さ

2007年08月14日 | スクラップ
2007年8月12日



 参院選で権力者としての重い責任を問われた安倍晋三首相は、権力の怖さを発揮することでそれに応えました。その最終判定は最高権力者である国民の責任です。

 安倍首相は参院選の最中も「美しい国」について抽象的な説明に終始しました。改憲を企図し果たせなかった祖父・岸信介元首相と自分を重ね合わせた発言はあっても、体系的な政治思想や理念が語られることはありませんでした。

 それは、「美しい国」の形をどうするかについて、自分に白紙委任を求めたようなものです。

 しかし、一九三三年、「全権委任法」をヒトラーに与えたドイツのような過ちを、日本の有権者は犯しませんでした。



意欲だけが先走る政権

 この法律によりナチスは、当時、最も民主的といわれたワイマール憲法を棚上げし、ファシズムの道を突っ走ったのでした。

 作家の堺屋太一さんは安倍内閣を「知識と能力に欠ける」と断じ、「政治家の知識と能力が欠け、意欲だけが先走るのは一番困った現象」(「文芸春秋」八月号)と嘆きました。選挙結果は同じ思いの人々の多さを示しているようにみえます。

 国会運営や、閣僚の失言、「政治とカネ」、年金など噴出した問題への対応で、国民は予測される「美しい国」の姿に気づいてしまいました。

 他の政治家や末端の公務員を悪者にして自分は逃れようとする無責任さ、民意を汲(く)み取れず対応が後手後手に回る無能ぶり、「私の内閣」や「首相指示」を乱発する権力意識の強さ…権力者の責任の重さ、それ故に求められる謙虚さを首相が自覚しているとは思えません。

 目立つのは祖父に学んだかのような強引さです。選挙前の国会で相次いだ採決強行は、岸政権末期の一九六〇年、警官隊を導入して新しい日米安保条約の批准承認採決を強行した混乱に似ていました。



 想起させる「声なき声」

 選挙に惨敗しても「基本線は国民に理解されている」と強弁して政権に居座る姿も、数十万人のデモ隊に国会を包囲されながら「声なき声は自分を支持している」と言い放った岸元首相を想起させます。

 大衆はナショナリズムの鼓吹で一時的な熱狂を見せても、本質を見破る目は持っています。

 拉致問題に関する安倍首相の「毅然(きぜん)たる姿勢」で北朝鮮に対する優越感にしばし浸った人たちも、「戦後レジーム(体制)からの脱却」に危うさを感じるまでにそう時間はかからなかったのではないでしょうか。

 日本は歴史上、少なくとも二度の大きな脱却を経験してきました。

 明治維新は封建体制の国家から資本主義の近代国家に転換する脱却でした。それから八十年近く後、近隣諸国民と同胞に大きな犠牲を強いたすえに戦争に敗れた結果として、軍国主義を脱し民主国家として新生することができました。

 いずれも、負の遺産を清算し過去を克服するために、それまでの体制と断絶したのです。未来を切り開くための、前を向いた変革でした。そうしてできたのが「戦後レジーム」であり、日本国憲法です。

 日本の政治家なら、まずこの歴史認識からスタートしなければなりません。ところが、安倍首相が三度目の脱却として目指す「美しい国」には戦前回帰のニオイがします。

 かつてと同じ愛国心押しつけになりかねない新教育基本法、「昔はよかった」式の議論で教育勅語の世界に戻そうとしているのではとさえ思わせる教育再生会議、新憲法制定…国民が求めているものとの間には大きな隔たりがあります。

 十九世紀の資本主義をほうふつさせる格差拡大容認の政策は、富の分配に配慮しながら全体を底上げしてきた戦後日本の思想とは異質です。挑戦する機会さえ与えられず格差の淵(ふち)に沈んだ若者の目には、再チャレンジ政策が言葉遊びと映ります。

 おまけに支持率が極端に下がってからの首相のあたふたぶりは、統治能力の欠如を露呈しました。

 表面的には「政治とカネ」、年金問題ですが、根本的には歴史と現実に対する安倍首相の認識と統治能力が問われたといえましょう。

 それでも政権を手放さないのは権力の怖さを物語ります。同時に、有権者が情緒や感性で政治的選択をすることの危険性も示しています。

 近代日本を築いた指導者たちは、青い空に輝く雲を目指して坂を上りました。彼らには歴史の進歩への信頼と重い責任の自覚がありました。

 いまは青空も光り輝く雲も容易には見えない時代ですが、坂道は逆戻りするのではなく、進歩を信じて上り続けたいものです。

 不安や怒りを持続し
 そのためには未来を政治家に一任するわけにはゆきません。

 それだけに今度の参院選を一時の“祭り”や“禊(みそ)ぎ”に終わらせてはなりません。不安や怒りを持続しながら政治家と政治を厳しく監視し、コントロールしてゆくのは最終権力者である有権者の責任です。




東京新聞

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