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袴田事件 生死の問いかけに向き合おう

2008年03月27日 | スクラップ

 42年前に静岡県で一家4人が強殺された事件で、最高裁は袴田巌死刑囚の再審請求を認めない決定を下した。確定判決に合理的な疑いが生じる余地はない、とする判断だ。物証など客観的証拠で犯人と認定できると判断しており、自白を強要されたとする弁護側の主張は空振りに終わった。

 再審請求から27年。裁判所はもっと早く結論を下せなかったものか。再審や恩赦を請求している間、死刑は執行されないのが原則だが、例外もある。袴田死刑囚が日々、死の恐怖と直面してきたことは容易に想像がつく。死刑は残虐な刑罰ではないとする判例は定着しているが、刑執行を目的とする期間不定の拘置の是非や、受刑者が味わう恐怖心のむごさについて、改めて精査されねばなるまい。

 事件は、45通の自白調書のうち44通の任意性が否定され、証拠不採用になるという特異な経過をたどっている。取り調べが強引だったとうかがわせるに十分だ。最高裁は自白がなくても有罪は明らかとしたが、今日なら不当捜査として問題化したケースだろう。

 1審の静岡地裁で判決文を書いた元裁判官が昨年、無罪の心証を得ていたが他の裁判官が有罪と判断したため「2対1」で死刑となった、と明かしたことも衝撃的だった。勇気ある発言との賛辞と、評議の内容の秘密を守るべき裁判官の職業倫理に反するとの批判が交錯した。

 裁判員制度のスタートが来春に迫る折、裁判員となる市民には、意に反して死刑判決を下した元裁判官が40年もの間、苦悩し続け、禁を破ってまで告白した事実が重くのしかかる。評議が紛糾すれば心理的な負担が増幅されるはずだし、多数決で死刑を選択してよいか、といった疑問も生じるだろう。その意味で、終身刑を創設し、死刑判決は全員賛成の場合に限ろうとする「死刑廃止を推進する議員連盟」の提案などを、真摯(しんし)に検討すべきでもある。

 いわゆる体感治安の悪化を背景に、世論はもとより判決の流れまでが厳罰化に傾いている。世界のすう勢が死刑廃止に向かっているのに、死刑判決が急増している現状に無頓着でいてよいものか。先ごろの秋田連続児童殺害の判決公判の後、直感やイメージで死刑か無期懲役かを二者択一する論議の輪が広がったことも、見逃せない。

 いかに凶悪事件の被告についてでも、他人の死を求める声が飛び交う現状は、健全な法治国家のありようとは思いがたい。近代以降の刑罰思想は「被害者が望んでいるから」との理由で極刑を選択することを認めているわけでもない。

 最高裁の決定は、死刑のあり方を問い直す好機だ。人ごとではなく、自らが裁かねばならぬことを前提に、生死の選択という重いテーマと向き合いたい。




毎日新聞 2008年3月27日 0時20分


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