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夫殺し判決 精神鑑定のあり方が問われる

2008年04月29日 | スクラップ

 東京・渋谷で一昨年、寝ている夫を殴殺、切断して捨てたとして殺人などの罪に問われていた被告に、東京地裁が懲役15年を言い渡した。事件当時は心神喪失状態だったとする精神鑑定結果が出ていたため、刑事責任能力の有無が争点だったが、判決は「総合的検討による法的判断」によって完全責任能力を認めた。

 裁判での精神鑑定をめぐる経緯と評価は、いかにも分かりにくい。もともと弁護側が選任した鑑定医だけでなく、検察側の鑑定医もそろって心神喪失と判定したのは異例の事態だった。心神喪失なら刑事責任を問えないので、一部無罪も予想された展開でもあった。

 もちろん判決が精神鑑定に束縛される必要はない。一般的には鑑定医ごとに判断が分かれることが珍しくなく、裁判官が総合的に判断するのは当然だ。責任能力を裁判所が判断することは判例上も確立されている。だが、今回は2人の専門家の鑑定結果が一致し、裁判所も鑑定の信用性を認めて、犯行直前に短期精神病性障害を発症していた、と認定した。それでいながら、刑事責任能力を認めたのだから判断は複雑だ。

 これでは精神鑑定にどのような意義があったのか、素朴な疑問がわいてもおかしくない。ましてや3日前、最高裁が「精神鑑定は十分尊重すべきだ」とする初判断を示したばかりだ。専門家の鑑定と正反対の結論を下した割には、根拠についての説明が達意のものだったとは思いがたい。

 裁判員制度がスタートする折、精神鑑定をめぐる混乱を回避するための努力と工夫が欠かせない。評価が分かれるケースほど裁判員の健全な市民感覚が発揮されるべきで、裁判員が評議に加わることで判決の説得力が増すとも考えられるが、現状には問題が多い。

 精神障害の診断は難しく、法医学や法歯学のように客観的な評価を下しにくいといわれるが、鑑定に一定のルールや基準がないために、裁判所が最終判断せざるを得ないのが実情でもある。最近は知的財産や建築技術などに関する訴訟で専門家の鑑定が幅を利かせているのに、刑事責任を左右する精神鑑定が長年、結果的に軽んじられてきたのは不可思議でもある。

 判決がドメスティックバイオレンス(DV)を犯行の要因と認定したことにも注視したい。秋田の連続児童殺害、山口・光の母子殺人でも虐待やDVの影響が指摘されたが、最近の凶悪事件には家庭内トラブルに起因するものが目立つ。核家族化や都市化の陰で孤立を深める家族への支援強化が叫ばれながら、対策が後手に回っているのは、被害実態が正しく理解されていないせいでもある。注意を喚起し、悲惨な事件の再発防止に役立てるためにも、精神鑑定は市民が納得できる形へと改善を進めねばならない。




毎日新聞 2008年4月29日 東京朝刊


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