Luna's “Tomorrow is another day”

生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ!

クローズアップ2008:クラスター禁止条約採択 被害者の声、流れ作る

2008年06月01日 | スクラップ

 クラスター爆弾禁止条約案が30日、軍縮交渉「オスロ・プロセス」ダブリン会議で全会一致で採択された。主要国が規制を緩めようとしていたプロセスが厳しい「全面禁止」でまとまったのは、不発弾に悩み、廃絶を願う東欧、中東、アジア、アフリカなどの国々の強い後押しがあったからだ。有志国と非政府組織(NGO)が軍縮の包囲網で、米露中など軍事大国に使用をやめさせていく。市民主導の軍縮交渉がまた、実を結んだ。【ダブリン福島良典、澤田克己】

 

◇レバノン戦争契機に

 「被害者の声を伝え続けたことが世界を動かした」。ダブリン市内の会議場で、クラスター爆弾により両手足を失ったセルビア人のブラニスラン・カペタノビッチさん(42)は喜びを爆発させた。

 オスロ・プロセスを主導したノルウェー外務省のコングスタッド国連局副局長は「これほど多数の国が参加して『強い条約』ができるとは思いもよらなかった」と感慨深げだ。

 「08年中の禁止条約締結」をうたう昨年2月のオスロ宣言に署名したのは46カ国。それが15カ月で2倍以上の約110カ国に膨らんだ。「賛同国の増え方はドミノ現象だった」(NGO関係者)

 クラスター爆弾の被害は、90年代末の北大西洋条約機構(NATO)軍による旧ユーゴスラビア空爆後、問題になっていたが、軍縮外交の場で具体的な動きはなかった。

 ノルウェーと一部NGOは06年初め、クラスター爆弾の規制を着想した。ベルギーでこの年、製造・使用を禁じる法律が成立し、ようやく歯車が動き出した。

 だが、プロセスが始まった大きな要因は、06年夏の第2次レバノン戦争で、イスラエル軍が子爆弾で400万発とされるクラスター爆弾を投下、約100万発の不発弾による被害がクローズアップされたことだ。

 この被害は、人道問題に敏感な欧州諸国の世論を刺激し、反クラスター機運は大きなうねりとなり、プロセスの追い風となった。

 緩やかな規制を期待した英独仏など主要国は「交渉に参加した方が自国に有利」(外交筋)と考え、次々とプロセスに参加した。

 一方、ベトナム戦争時代の不発弾を抱えるラオスなどアジア諸国、紛争を抱えて近い将来、被害国となりうるアフリカ諸国など、全廃を願う国が会議を重ねるごとに増え、全面禁止陣営に加わった。

 厳しい内容の条約作りの流れは強まり、困惑した主要国は、米軍との共同作戦への参加を認める条文を交換条件のように条約案に追加させ、「全面禁止」を受け入れた。

 「クラスター爆弾が今後使えないようにしてくれてありがとう」。レバノン政府代表は30日の会議閉会の席で、不発弾の被害に遭った子供や家族のメッセージを伝えた。

 NGO連合体「クラスター爆弾連合」のサイモン・コンウェイ共同議長は「ここにいる一人一人が世界を動かした。私たちが実現したのだ」と話した。

 

◇「共同作戦容認」で一転 首相決断、日米同盟に「支障なし」

 「人道上の問題を起こしうる兵器。安全保障上の問題もある。両方を考えてどうするか政府内で協議して今回の結論に至った」。福田康夫首相は30日、記者団に説明した。

 日本政府はオスロ・プロセスに不参加の米国との同盟関係を重視する立場から一貫して全面禁止には慎重だった。欧州主要国が受け入れを表明しても態度を留保し続けた。

 防衛省幹部は「近隣諸国との関係が安定している英国と、中国や北朝鮮の脅威が消えない日本では、安全保障環境が全く違う」と語り、同じ米国の同盟国であっても事情が違うことを強調していた。

 官邸筋も「自衛隊は敵地攻撃能力がなく、敵軍の上陸を沿岸で阻止する必要がある。クラスター爆弾は99年の対人地雷禁止条約の発効後、代役を担ってきた。全面禁止は防衛政策の根幹にかかわる」と指摘。「クラスター爆弾は日本防衛と日米同盟の両面で必要」というのが日本政府の主張だった。

 一転して同意したことについて、政府筋は「非加盟国との共同軍事作戦を認める条項が入り、米側から『支障ない』との感触が得られたため」と語る。

 この説明通りだと、確かに日米同盟の部分はクリアできたのだが、日本防衛に関する説明はつかないままだ。

 「政治決断」が力説されており、対人地雷禁止条約で小渕恵三外相(当時)が指導力を発揮し、署名を決断した経緯に重なる。

 ただ、23日に公明党の浜四津敏子代表代行らが全面禁止を申し入れた際、首相は子爆弾を見ながら「これが空からヒラヒラ落ちてくるの?」と尋ねたといい、クラスター爆弾に詳しい野党議員は「首相にはそもそも関心もなかったのではないか」と分析している。

 内閣支持率が低下した中、国際的孤立を恐れる「受け身の対応」だった可能性は否定できない。【白戸圭一、田所柳子】

 

◇新時代の外交スタイル定着 NGOと政府が協力

 有志国とNGOが中心となって軍縮条約を作ったのは、対人地雷禁止条約(99年発効)以来2例目。いずれも、米露中などが参加する特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)での議論が遅々として進まないことにいらだったのが、きっかけだ。

 オスロ・プロセスの成功は、CCWに代表される従来型の軍縮外交が機能していないことと、市民社会を巻き込んだ新時代の外交スタイルの定着を印象づけるものとなった。

 プロセスを推進したNGO関係者には、地雷禁止条約制定にかかわった人が多い。NGOは地雷問題時に得たノウハウを活用してロビー活動を展開。主唱国ノルウェーは、NGOを味方に付けることで大国をしのぐ外交力発揮に成功したといえる。

 国連軍縮研究所のジョン・ボリー研究員は「NGOは軍縮外交の当事者として認知されるようになった。軍縮外交が政府だけのものという時代は終わっている」との見方を示した。





毎日新聞 2008年5月31日 東京朝刊


最新の画像もっと見る

コメントを投稿