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中学1年で自らエホバに入信、禁じられた「大学進学」を突破してたどりついた「欲望の歓楽街」

2023年12月09日 | スクラップ

 

 

 

旧統一教会の宗教2世とされている人物による安倍元総理銃撃事件を受け、様々な宗教の元信者から虐待や被害の告白が相次いでいる。主に宗教2世、3世からの発信が多い中、自らの意思で所属した人は、何を思っているのか。自分から入信し、離れられないその心、葛藤とは——。

 

中学生でエホバの証人の宗教1世となり、自力で脱会。現在はプロテスタントの牧師として活躍し、カルト宗教問題に取り組む齋藤篤氏と対話を重ね、信じるということと抜け出すことについて話してもらった。(取材・文:遠山怜)

 

 

 

■バブルではしゃぐ世の中で、なぜ自分だけが

 

齋藤氏は中学1年生の時に自ら、宗教団体であるエホバの証人に入信。その背景には幼い頃に父親が多額の借金を抱え、蒸発したことが大きく関与している。母親一人の稼ぎで生計を立てなくてはならないため経済的な困窮に陥り、頼れる父親がいない寂しさも心の中でずっとわだかまっていた。当時はバブル絶頂期だったこともあり、友人や同級生は景気の良い話ばかりで、お金がないことを友人や学校の教師からも揶揄されていた。母親が働いて養ってくれていることに感謝しつつも、なぜ自分はこんな目に合うのかと理不尽さを感じていた。

 

そんな時にエホバの証人の信者が家庭を訪問し、「聖書を読んでみないか」と誘われた。

 

「当時は『ノストラダムスの大予言』(著・五島勉、シリーズ累計600万部超)が大流行し、そこには聖書との関連も書かれていたため、原典である聖書も読んでみたいと思っていました。家計を支えるため、自分も新聞配達のバイトをしていたため、そこで働いていたエホバの証人の信者の方とも親しくしていました。そのため、特段彼らを警戒しなかったのです」

 

元々本が好きで人文社会や自然科学など、興味があるものは何でも読んでいたため、聖書に触れることも苦ではなかった。何より、自分が感じていた寂しさや不満を解消してくれる何かを探していた。 「そこで学んだ聖書には、なぜこの世で悪いことが生じるのかが書いてありました。悪魔がこの世の中を支配しているので、悪いことが起きるのだと。そしてその世界から逃れるには、エホバの証人になる必要がある。エホバの証人にならないと救われないとあったのです」

 

エホバの証人では、キリスト教が拠り所としている聖書を独自に解釈して、それを教材としている。その解釈は齋藤さんが感じていた不条理を説明するには、都合が良かった。心の引っ掛かりに一筋の光を与えてくれた解釈に、徐々に心が揺り動かされていった。勉強会に参加することで、信者から温かく迎え入れてもらえた経験も大きい。この手がかりを手繰っていくことで、自分の人生も開けるかもしれない。聖書研修生としてエホバの証人の教えを学ぶようになった。

 

 

 

■周囲の忠告を無に返す「悪魔の囁き」

 

親や周りの人は反対しなかったのか、と筆者が聞くと「もちろん反対された」と言う。

 

「しかし、エホバの証人では予防策が用意されています。この世の中の悪事は、悪魔がいてこの世を支配しているから起こるのだと。助かりたいのなら、悪魔と戦わなくてはならない。悪魔が神の教えから引き離そうと、あらゆる誘惑をするから負けるなと言われます。さらに、神様と悪魔のどちらを取るのかと迫られるため、周囲を悪魔の側だと思い込み、周りの声に耳を貸せなくなる」

 

この構造は宗教に限らず、どのカルト団体でもよく使われる手だと言う。最初から「必ず反対に遭うが、それは間違った意見なので耳を貸すな」と言われているため、本来、中立的な第三者の意見でも一律に「間違った方向に向かわせる悪魔の囁き」に聞こえてしまう。忠告を論理的に考えずすべてに耳を塞ぐようになるため、本来考える力が備わっている人でも考えることを放棄してしまう。

 

齋藤さんの母親は息子の強固な態度に負けて、悪いことをしないならば自分の責任でやりなさいと一旦、静観する姿勢を取った。研究生になると、生活の余暇の時間のほとんどは宗教活動に費やすようになった。高校生らしく友人と遊んだり恋人を作ったり、部活に励むといった時間は全て個別訪問に消えていく。遊びたいという気持ちは湧かなかったのか、と聞くと「終末が近いのだから、宗教活動を今しなくてはという気持ちの方が強かった」と答えた。その時は辛くはなかったそうだ。

 

「自分の場合は、自分から望んで入信したので、強制されていない、自分の意思でやっているんだと思っていました。何より、個別訪問で配布したパンフレットをもらってくれる家もあるので、それが嬉しかった。営業マンが何かを売って、嬉しくなるのと同じ。自分もそれで救われているという感覚もあった。カルトにいると、自分がしていることが最も崇高に見え、それ以外は低俗に見える。周りが何か忠告したかもしれないが、耳には入らなかった」

 

齋藤さんはその状態をこう説明する。「一人の人間としては信者でない人とも付き合える。でも信者としての自分になると、すべてが切り替わる。信者のモードになるとエホバから離れるように仕向けられるのはすべて悪魔の仕業であって、自分は攻撃されているとしか思わなかった」。

 

救いになるかもしれない周囲の声は、当時の齋藤さんには忌まわしい呪いごとにしか聞こえなかった。

 

 

 

■神の怒りと同等に怖い「仲間からの排除」

 

研究生の段階から、徹底的に自分の頭で考えず教えに従順になることを求められる。批評をしたり疑問を持つことも許されない。信仰に最初に亀裂が入ったのは、大学入学禁止の教えだった。学問は悪魔の側、エホバの証人の教えから離れてはいけないと禁止事項に盛り込まれていた。なぜダメなのかと聞くこともできない状態だった。それでも進学への思いを諦めきれず、隠れて受験すると見事、志望校に合格。すると、その情報を聞きつけた指導者から進学しないようにと告げられる。

 

筆者が「それはさすがに反発しようと思わなかったのか」と聞くと「反発心はありました」と言う。それでもなぜ振り切れなかったのかと尋ねると、「神に滅ぼされること、自分を受け入れてくれているコミュニティから外されるのが怖かった」と答えた。

 

エホバの証人には忌避という考えがある。教義に反することをしたり、脱会した人間を避けるように推奨することを指す。エホバの証人を辞めずとも、周囲の人間からは排斥され、声もかけられずそこにいないものとして扱われる。1日の大半を費やすようになっていた場所から外されることに恐怖を感じていた。コミュニティ内で生きるように勧められていたため、それは生まれ育った母国から突然追い出されるような感覚と似ていた。

 

苦悩の末、進学を一旦諦めることにした。齋藤さんが受かった大学は私立の有名校だったため、周囲の人もこれには反対した。「高校の先生からは考え直したらと説得されました。同級生からは入りたくても入れない大学に受かったのに、それを蹴るなんて馬鹿じゃないのかと言われました」。

 

齋藤さんのエピソードには「被害者」としての話が多い。しかし、同時に自身も被害者でありながら加害者であったと語る。

 

例えば、エホバには子どもを持つ母親も参加しており、今問題として注目を集めている宗教2世に対する鞭打ちの体罰の場面にも出くわしたという。「齋藤さん自身は体罰を受けていないのに、鞭打ちを受けている子どもを見ておかしい、可哀想だと思わなかったのか?」と素朴な疑問をぶつけると「何の疑問も抱かなかった」と話した。「自分もマインドコントロールされていたから、信仰上正しい、愛あるしつけだと思っていた」。自分も将来家族ができて子どもが生まれたら、同じようにするのかとも思わなかったのか?と重ねて聞くと「結婚を推奨されていなかったし、当時はまだ高校生だから考えなかった」と胸の内を明かしてくれた。

 

「細かいことを考えず、教義に忠実であることが正しいことだった」。滅ぼされる恐れ、集団から課されるノルマと恐怖から、次第に頭は動かないようになっていった。

 

 

 

■「止まることの安心」「離れることの恐怖」

 

心がないまま宗教活動は続いた。エホバの証人が禁止している「この世的」な仕事をして、お金を稼いで大成することにもピンとこないし、なりたいものもない。週3回個別訪問を行い、毎日勉強会に出る日々。心はすでに宗教からは離れていたが、コミュニティから離れること、自分の核なるものを失う恐れが齋藤さんを引き留めていた。虚無に満ちた心を大きく突き動かしたのは、大学進学への夢だった。隠れて勉強し、またもや有名私立校に合格。団体に報告せずに黙って引越しの準備を進め、一人で上京した。

 

その時はどんな思いだったのかと聞くと、「東京に出てくることでエホバから逃れられるなら、それでいい」「バレたとしても大学に行く」「でも(大学進学と信者であることを)両立できるのではとも思っていた」と話す。

 

神奈川の新居に住み始めて2週間後、東京のエホバの証人の信者が自宅を訪問してきた。エホバの証人内に友人もいたため、友人経由で知れ渡ったようだ。エホバの証人からはその地域の集会場を教えられ、転籍するようにと勧められる。その時の心情は「そうだろうな」と納得し、行きたくない、嫌だとも思わなかったという。ここで筆者が「なぜ友人とはいえ住所を伝えたのか。繋がりを持てば必ずまた接触がある。嫌だから離れたのにまた関わりを持とうとするのか」と聞くと、少し考えた後こう答えた。

 

「エホバから離れたい自分がいた。同様にそこに止まり続けたい自分も。どこかの段階でスパッと離れられるという区分けがない。ぐちゃぐちゃに思いが入り乱れている」。

 

それはブラック企業に勤めている人と同じ心境かもしれない。苦しい労働環境から逃れたいが、そこに留まり続ける安心感と他の企業でやっていけるのかという不安、自分がこれまでした苦労を無駄にしたくないという思いで心は裂かれ、次第に動けなくなる。混乱した思いを抱いたまま東京の街を彷徨い歩くと、出てきた田舎では考えられないようなネオンで夜が光っていた。排除されるかもしれない恐怖と神の怒りを買う不安に満ち、暗闇ばかり見つめてきた目が眩んだ。今まで押さえつけられていた欲望が、一気に噴き出した。

 

どうせ滅ぼされるなら、禁止されていたことを全てやってしまおう。あれだけ行きたかった大学には行かず、宗教活動からは離れ、酒をあおりあらゆるギャンブルに手を付け、女性にハマった。念の為、「それはキャバクラですか?」と聞いたら、「いいえ、風俗です」と答えが返ってきた。「当時はようやく手に入れた快楽を楽しむのに夢中だった。そしてその後に来たのは、ハルマゲドンではなく借金取りの猛烈な取り立てだった」。

 

 

 

遠山怜

弁護士ドットコムニュース
2023年12月09日 09時27分

 

 

 

 

(後編)

元エホバの証人、牧師となった男性「カルトの支配構造はブラック企業、毒親と同じ」

 

 

 


中学生の時、自らの意思でエホバの証人の宗教1世となった後、自力で脱会し、現在はプロテスタントの牧師として活躍し、カルト宗教問題に取り組む齋藤篤氏。信じるということと抜け出すことについて話してもらった。(取材・文:遠山怜)

 

 

 

■金の切れ目はすべての切れ目

 

エホバから離れ、自由の身になった齋藤さんはエホバでは禁止されていたことに次々と手を出して行った。アルバイトで得たお金は享楽に消えていき奨学金にまで手をつけ、それでも借金返済のためにサラ金や街金に手を出す。借金取りから逃げ回る日々が1年ほど続いた。

 

筆者は頭に思い浮かんだことを聞いた。その生活は楽しかったのかと。

 

「確かに快楽はあった。借金の問題を考えなければ楽しい瞬間でもあった。でも、一時的な楽しさだったし、快楽を得るためにずっとこの生活を続けることも無理だった。究極的な幸福ではない、ということが身にしみてわかった」

 

人から禁じられているうちは半信半疑が、自分でも体験することで実感として伴うようになった。そこで知り合いはできなかったのかと聞くと、「できましたよ」と即答返ってきた。「でも、お金で知り合った場所は金がすべて。お金がないと縁も切れる。エホバから離れて今まで禁じられていた世の中の楽しいことは全部やってみたけれど、楽しいことをやるにはお金がかかる。要は全部お金じゃないかと。お金がなくては幸せになれないのかと考えました」

 

 

 

■人を非難せずにはいられない

 

生活を立て直すために債務整理をし、借金の取り立てからは解放された。クレジットカードの利用はできなくなり、残った借金の返済を無理のない範囲でしていくことになった。大学で知り合った友人もいつの間にかいなくなり、食費を浮かすために近くの教会に通うようになった。エホバではキリスト教を含め、他の宗教に近づくことを推奨していない。キリスト教の一派という立場ながら、今まで教会に近寄ることはなかった。今まで敵だと思っていた人たちと一緒に食事を取る。何を話したのかと聞くと、「キリスト教を批判すること」と言う。

 

「エホバから自分で離れたとはいえ、頭の中にある知識のほとんどはそれしかない。労力をかけて学んできたんだというプライドもあった。食事を与えてもらっているのに、平気でこんな教会はダメだ、正しくないと悪く言っていた。今、客観的に考えると、聞いている側はさぞかし腹が立ったでしょうね。

 

でも何も言われなかったんです。黙ってうんうんと聞いてくれた。自分でカルトに入信して、エホバから離れて遊びまくって借金漬けになったおかしな話をただ受け止めてくれた。行くだけで喜ばれたし、否定も非難もされなかった。宗教と言えばどこも同じではと思う人もいますが、僕にとっては全く違った。エホバではノルマを達成しないと受け入れてもらえない。遊びだってお金を持っている人でないと、仲間に入れてもらえない。それは思春期から大学生までずっと感じていたこと。でも、そのキリスト教会ではお金がなくても、何かノルマをこなさなくてもいい。ダメ人間でも受け止めてくれる。それは人生で初めての経験だった」

 

齋藤さんが駆け込んだ相模原の教会は、奇しくもエホバの証人対策で有名な教会だった。

 

 

 

■恐怖からの脱出

 

言うことを聞かなければ滅ぼす、痛めつける、排除するという世界から逃れた時に、初めてキリスト教を直に感じることができた。これなら生きていけると感じ、キリスト教に入信することにした。これだけの経験をして、宗教から離れ完全な無神論者に走ろうと思わなかったのかと聞くと、「全く思わなかった」と言う。

 

「ギャンブルに金をつぎ込み、風俗に走っていた時の方がはるかに無神論者だった。エホバにもいられない、無神論者でも苦しい。だったら、今受け止めてくれている神様にすがるほうが楽だと思いました」

 

筆者が「社会人になって多少なりともお金があったら、さらに抜け出せなくなっていたのでは」と聞くと、「本当にそう。自分に悪運があったりうまく稼げてしまっていたら、一生あの生活から抜け出せなかった。いっときは楽しいものを求めて、でもずっと満たされない何かを感じている日々が続いていた。早くに破綻したからこそよかった」。

 

 

 

■カルトの重すぎる後遺症

 

一般企業で働いても上位下達の世界と同じで、もう何かに縛られるのは嫌だった。一人でも多くの人を救いたい。人を解放に向かわせる仕事がしたいと決心した齋藤さんは牧師を養成する神学校に進学した。キリスト教に触れるうちにエホバで教えられた知識を元に判断する癖がようやく抜けてきた。聖書を読む時もエホバではこうだったと比較することも無くなった。しかし、後遺症は思わぬ形で残存していた。物事を白黒で認識する癖が治らず、曖昧な状態が許せなかった。

 

「その時のことを説明するのは今でも本当に、恥ずかしい。論理破綻した論理で人を批判していた。理論ばかり主張して、自分のことしか考えずに実際には何一つできない。キリスト教で与えられた良いものは確かに受け取っている。でも自分の心の中に尖った部分があってそれはエホバ由来のものだった。

 

両極端の価値観が自分の中でせめぎ合い、人としてとても扱いにくかったと思う。周りはみんなキリスト教に触れてこの道を目指してきた人だから、エホバのような存在は知らない。何かに苦しんでいるのはわかるが、何が苦しいのかわからなかったと思う」

 

もがき苦しむ齋藤さんをただ周囲は受け止め続けた。受け止められ続けることで、ようやく物事を考えるスペースができてきた。それはダメだと否定されても改善できない至らなさを感じつつ、後遺症と戦い続けた。その後遺症の悩みの種が、厳しく注意してくる先生の存在だった。

 

「腸(はらわた)が煮えくり返るような憤りにかられました。せっかく受け止められる世界に来れたのに、事あるごとに注意される。すべて自分を非難する言葉にしか聞こえなかった」

 

ある時、その先生と二人きりになり時間をかけて話す機会があった。なぜお前に対してうるさく言うのかわかるかと聞かれた。

 

「本当にお前のことが嫌いだったら、注意しない。放っておいて人に嫌われたり離れて行かれるのを黙って見ているだろう。お前に立派になってほしいから言いたくもないことを言っているんだ。大事に思っているから言っている」。

 

その時、心の中の攻撃性がすっと消えた。非難されることに過剰に敏感になっていたが、それは齋藤さんを否定したいための言葉ではなかったのだと、ようやく気づけた。

 

 

 

■カルト脱会の相談から見えてきたこと

 

正式に牧師になった齋藤さんの元にはカルト宗教にハマった人の家族や本人から相談を寄せられることが多くなった。その中で齋藤さんも気づいたことがある。

 

「カルトにいた経験がある人は、徹底的に自分の頭で考えないことを叩き込まれている。極限状態にずっといるので、渦中のことは記憶が飛んでいることが多い。それに、宗教内のことを相談するにも、一般の人には知識がない。

 

打ち明けてもわからないだろうという孤独、打ち明けてもいいよと言われても何から話していいかわからない孤立がある。精神的な苦しさを抱えて病院に行っても、カルトの構造を理解していないから、そもそもの問題を理解してもらえない。人それぞれ、信仰の自由と言われたら何も言えなくなる」

 

家族を脱会させたいという相談では、主に自分の子どもを脱会させたい人が多いという。

 

「大抵の方は、カルト相談というと僕のような脱会専門家に任せておけば大丈夫だと思って相談してくれる人が多い。でも、脱会の鍵を握るのは家族だと思います。家族の問題を解決できれば脱会させられるとも言えます。元々何か家族間に問題を抱えて、入会したケースが非常に多いのです。親子の間で歪んだ支配を押し付けて、子どもが苦しんでいるからカルトに逃げる。親子カルトからカルト宗教に支配構造が移動しただけなんです。またはそのカルト宗教から脱しても似たような支配構造の関係に絡め取られてしまう。ですから自分が押し付けた支配構造をまずは家族が理解することが大事だと言うのですが、中にはそう言われると怒る親御さんもいます。鍵は自分の価値観を押し付けないこと。カルトをやめろ、この教義はおかしいと批判しないこと。矛盾を論破しても敵だと見なされるだけ。年数をかけてでも同じ態度で接する。時には数年はかかるでしょう。何が起きても顔色を変えない。ずっと安定して受け止めてくれる人がいれば、そっちの方が居心地が良いことに気づく。問われているのは、脱会させたい人の真剣度なのです。相手を変えたいなら脱会させたい人自身が、自分を変えなくてはいけない」

 

それで本当に変わるのか、と聞くと案外明るい声が返ってくる。

 

「少なくない人たちが脱会に成功しています。親の人に対する姿勢が変わると、子どもも驚くように変わってくる。それを見られるのはこの仕事の醍醐味だと思います。決して、脱会は不可能ではない」

 

 

 

■カルト対策は人のためならず

 

齋藤さん含め、多くの専門家がカルト対策に力を入れているが、ここ1年は風向きが変わってきたと言う。

 

「昔はそれこそ、カルトの話をしても、はあ? という反応だった。関係ない人ごとというか。でも宗教2世が注目されるようになって、ようやく真剣に話を聞いてくれる人が出てきた。今、世の中には支援者も、カルトから脱会させたい人がいる一般の人も話を聞いてくれるようになった。カルトから抜け出した人や2世の人を受け止めるためにも、もっと多くの人に知ってほしい。何より、ここで語られてきたカルトの支配構造は、詳細は違えど違う場所でも起きる。ブラック企業、ブラックバイト、半グレ組織、毒親などでも同じことが起きている。エホバだけの問題ではなく、人生のうちのどこかに顔を出すもの。それに気づくためにも、誰もが知っておくべきだと思う。宗教2世やカルト宗教の問題を、一過性のブームにしてはいけない。恐怖にかられながら何かを信じることに、おかしいと気づいてほしいのです」

 

 

 

遠山怜

弁護士ドットコムニュース
2023年12月09日 09時28分

 

 

 

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